昔、オーストリアにアブラハム・ア・サンタクララという説教師、または説教者がいました。説教師、または説教者というのはキリスト教の礼拝や伝道集会等で集まった人々、人達に向けて説教を行う人の事を言います。説教師、または説教者というのは牧師、または神父のように聖職者という資格、または免許の所持取得携帯が必ずしも必要では無かったそうです。礼拝や伝道集会の際、説教師、または説教者はそこに集まった人達、人々の中から選ばれる事もあったといいます。伝道師、伝道者、あるいは一般信者がこの役割を行う、説教師、または説教者になる事もあったそうです。とはいえ、おいそれと誰もが出来るわけではないでしょう。それができる人間は、教会によってあらかじめ決められていた、定められている、前もって指示を受けているなどして、限られていただろうと思います。ちなみに、説教を職業とする人間の事を説教家というそうです。賃金が発生するとかそういう事でしょうか。そういった場合は説教師、または説教者ではなく、説教家というそうです。アメリカ等では説教で有名な方、説教家が多くいらっしゃるそうです。沢山の人のいる前で説教、説話、つまりわかりやすく言うと、ありがたいお話でしょうか。そういう話をして人々を希望に導くのです。言葉による光で照らしていただくのです。絶望の淵底から救い上げてくださるのです。
私達からしてみたら、そういう人ですぐに思いつくのは瀬戸内寂聴氏ではないでしょうか。俗名は晴美さんといいました。私の印象で合っているのかどうかはっきりしない事で恐縮ですが、この方は自身がお亡くなりになる直前、かなり間際まで各地で説法、法話を行って人々を元気づけてくれていた、勇気づけてくれていた様な印象があります。間違っているかもしれません。しかし印象はそうです。印象がそうだという事は、もうほとんどそうなんだろうと思います。例え違っていたとしてもそういう印象なら、時代が下ればきっと正式、正史がそうなっていくでしょう。なお瀬戸内寂聴氏はれっきとした天台宗の尼僧であり、位階は従三位であり、僧位は権大僧正でした。元々は瀬戸内晴美さんでした。
アブラハム・ア・サンタクララは、アウグスト派、アウグスティヌス、聖アウレリウス・アウグスティヌス。ラテン教父の一人の影響を強く受けた、アウグスト派に属する、オーストリアはウィーンのウィーン宮廷のウィーン宮廷説教師を歴任された方です。ウィーン宮廷というのは所謂、ホーフブルク宮殿の事を指すのでしょうか。それともシェーンブルン宮殿の事を指すしょうか。ハプスブルク家という歴代オーストリア皇帝は、冬はホーフブルク宮殿に住んで、夏になるとシェーンブルン宮殿を避暑地として住んでいたそうです。ホーフブルク宮殿の敷地面積は広く、その敷地内には旧王宮や新王宮、オーストリア国立図書館、アウグスティナー教会、アルベルティーナ美術館、王宮庭園、乗馬学校、スイス宮などが立ち並んでいます。加えて、シェーンブルン宮殿の方もまた敷地面積は広いです。シェーンブルン宮殿は庭園が有名で、オーストリアを代表する名園だそうです。その庭園の敷地内には、グロリエッテ記念碑、ネプチューンの噴水池、ローマの廃墟、オベリスクブルネン、ボスケ、日本庭園などがあります。それと植物園と動物園があるそうです。この、どちらの事を指すのか、あるいはどちらの事も指しているのかもしれません。
オーストリアのアルベルティーナ、アルベルティーナ美術館、アルベルティーナ広場。通り、道の名前で言うと、オペルンリング、オペルンガッセ、ゲーテガッセ、ハヌシュガッセ、ヘルムート=ツィク=プラッツの集まってる所にあるアルベルティーナ美術館、アルベルティーナ広場からブルクガルテン、王宮庭園、ホーフブルク宮殿の庭園に入る門の手前に、アブラハム・ア・サンタクララの石像があります。この石像は1928年にハンス・シュワテ、またはハンス・シュヴァーテという彫刻家によって作られたものだそうです。ハンス・シュワテ、またはハンス・シュヴァーテはオーストリアの彫刻家で、メダリストだそうです。石像のアブラハム・ア・サンタクララは左手に聖書を持ち、ローブを着た聖職者の姿で台座に立っておられます。
アブラハム・ア・サンタクララの事をネットで調べると、アブラハム・ア・サンタクララではなく、アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラという名前で出てきます。私が読んだ本ではアーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラではなく、アブラハム・ア・サンタクララだったのですが、ウィキなどのページではアブラハム・ア・サンタクララではなく、アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラと出てきます。場所によっては、アーブラハム・ア・サンタ・クラーラとしても出てきます。
アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラまたは、アブラハム・ア・サンタクララはウィーンのウィーン宮廷、ホーフブルク宮殿かシェーンブルン宮殿かどっちでもかもしくは別の場所か、のウィーン宮廷説教師、あるいはウィーン宮廷説教者でした。とても優れた説教師、あるいは説教者だったと言います。
本名はヨハン・ウルリヒ・メゲルレといいます。出生地はドイツです。現在のドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡ライバーティンゲンで生まれました。南ドイツ、現在のドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ジグマリンゲン郡ライバーティンゲンの下層民の出でした。本名ヨハン・ウルリヒ・メゲルレで、洗礼名がアーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラまたは、アブラハム・ア・サンタクララがウィーンのウィーン宮廷、ホーフブルク宮殿かシェーンブルン宮殿かあるいはどっちでもかもしくは別の場所でウィーン宮廷説教師、あるいはウィーン宮廷説教者になったのは三十三歳の頃でした。
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