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哈爾浜の一夜 ―凍死寸前、私の親は共産党だった

第41回文学フリマ東京原稿募集応募作品

大猫

ハルビン/死の淵/政治性と純粋性

タグ: #第41回文学フリマ東京原稿募集

小説

8,515文字

零下二十度の夜、異国の街を宿なし状態でトボトボ歩いている光景を想像してみてほしい。

時は一九九〇年代一月初旬、中国最北端の都会、哈爾浜ハルビンは冬も冬、日中の最高気温がマイナス十度という頃のことだ。

おりしもハルビンは冬の風物詩である「氷祭り」がたけなわだった。松花江しょうかこうに張った分厚い氷を切り出して、巨大な氷の城や塔、遊園地、人気キャラクターなどをこしらえて、赤や緑や黄色のイルミネーションを氷の内外に仕込んでライトアップする。大陸の漆黒の闇の中、そこだけ氷の彫像の群れがぽっかりと浮かんだ様は、息を呑むほどに美しい。

しかし今はそれどころではない。今夜の宿が見付からないのだ。

私とクラスメートのリコの二人が、北京からはるばるハルビンまでやって来たのは、この氷祭りを見物するためだったのだが、「見知らぬ街で歩き疲れて凍死」の危機にさらされている今、そんなことはとっくにどうでもよくなっていた。

北京発直快列車がこの町に到着したのは今日の午後三時。氷祭りが始まる前にと宿探しを始めてそれから五時間、ひとつもない。一泊一万元という超高級ホテルから、素泊まり一泊十五元という極貧旅館まで、しらみつぶしに当たってみたがだめだった。私らが日本人だから拒否されているわけでもなく、明らかに中国人と分かる団体が、やっぱり泊めてもらえなくてカウンターの係員と大喧嘩をしていたから、本当にふさがっているのだろう。

 

私らも呑気というか、バカだった。ハルビン旅行は一ヶ月も前から決めていたのに、列車の切符だけ手配して宿泊先は押さえていなかった。いつもの「行けばなんとかなる」式思考だったのだが、今度という今度は通用しなかった。

聞けば、年々派手になる氷祭り目当てに押しかけた国内外の旅行者に加えて、今年は「アジアスケート連盟」なる組織の総会が行われているとかで、各国のお偉いさんが大挙してやってきたのだという。

「真冬のハルビンで会議なんかやるなよ!」

総会は口実で氷祭りを見物に来たに決まっている。おかげでただでさえ少ない外人用ホテルは、VIP、A級、B級、C級の順に割り当てられて、カスである私ら留学生は、どこへ行っても門前払いを食らったというわけだ。

泊まれないならせめてホテルのロビーにでも座って夜を明かそうと思ったが、エントランスを入った途端に、屈強な警備のおやじにつまみ出されてしまう。半泣きになって頼んでもムダだった。ここにはさる国の大臣がお泊りなのだ、出ていけ。

当時は二十四時間営業のファミリーレストランやコンビニなどはない。深夜喫茶があるわけでもなし、夜でも開いている店といえばぼったくりバーか地下賭博場ぐらいのものだ。

 

夜が深まるにつれて寒さが堪えてくる。綿入りコートの下をスキーウェアで固め、手編みのふかふかマフラーで、顔をぐるぐる巻きにしてはいるが、それでも鼻先から凍ってしまいそうだ。慣れない街を歩きに歩いて足先の感覚がなくなってきている。頭に浮かんで来るのは最悪のシナリオばかりだ。

 

その一 歩き疲れて道端に座り込んでしまいそのまま凍死。

その二 暗い道を歩いていて自転車に突き飛ばされ、転倒。そのまま凍死。(この国の人々は零下二十度の夜中でも自転車を操れる)

その三 道路の穴ぼこにつまずいて転倒。そのまま凍死。

 

こうなったら、泣き落としでも座り込みでも何でもやって、どうにかして深夜にならないうちに、落ち着き先を見つけねば。私は悲壮な決意を胸に、眉を寄せ口元をきりりと引き結んで大股で歩いた。

「ミキ、あたし、疲れちゃった。」

焦って早足で歩く私の後ろを、三メートルほど離れてかろうじて付いてきていたリコの声が聞こえた。私はキッと振り返った。

「疲れたから何? ここで座り込んで凍死する?」

「なんか食べようよー、おなかすいちゃったー」

ええい、この女は。今夜、凍死するかもしれないという瀬戸際に、目先の空腹にしか考えが及ばんのか。

とは言え私もはらぺこだ。このまま歩いても体力を消耗するばかりだろう。月並みなセリフだが、「腹が減ってはいくさができぬ」という。うまい具合に道の向こう側に「小三餐館シャオサンツァングゥアン」という看板が見えた。「餐館」とは直訳すればレストランということになるが、どう見ても小汚い食堂だ。まあいい、贅沢を言っている場合ではない。

私らは食堂に入り、一番奥のテーブルに行って、木製の丸椅子にヘナヘナ腰を下ろした。やっと座れた。列車を下りてから約五時間、ようやっと座れたのだ。その上、暖房がきいているではないか。

見れば店にはほとんど客はいない。入り口付近に、二人組のおっさんが酒を飲んでいるぐらいのものだ。

「何食べる?」

「うどん!」

壁に貼った真っ赤な紙にメニューが墨書してあり、リコはその中から迷わず「面条ミエンティアオ」を選んだ。うどんと言ってもきつねうどんや天ぷらうどんが出てくるわけではない。茹でてお湯から上げた白いうどんそのままで、要は白いご飯と同じだ。

熱いうどんしか頭にないリコに代わって、私はおかずに鳥肉と魚を注文した。無愛想な食堂のおねえちゃんが運んできた鳥肉はこちこちに冷たかった。それでもともかくうどんは熱々だった。一言も口をきかず、私らは食べはじめた。

 

餓えた獣のようにひたすら食べている最中、入り口近くにいた男たちが、なぜか隣りのテーブルに移動してきた。

「あんたら、外国人だろ? なに人だね?」

冬のハルビン用にと派手なスキーウェアなどを着込んでいた私らの姿は、こんなボロ食堂では目立つのだろう。一目で外国人だと見抜かれてしまった。

「はあ、日本から来た留学生です」

「さっき、〇〇旅館であんたらを見かけたよ。もしかして、今夜、泊まるところが見つからないんじゃないのかい?」

こんなことを聞くからには、この人たちも同じような旅行者なのだろうか。そこで初めて二人のおっさんを眺めてみた。

ひょろひょろ背の高い口ひげをはやしたおっさんと、やたらちっこいおっさんのペア。さっきから話しかけてきているのは小さい方で、ぎょろ目が敏捷そうにキラキラ光っている。古い例えで恐縮だが漫才のオール阪神・巨人みたいだと思った。

しかし私らも人のことは言えない。私は百七十センチもある大女だし、リコは百五十センチない。私は老け顔だし、 リコはまるで小学生だ。私らが同い年の大学生だと言っても誰も信じないだろう。

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© 2025 大猫 ( 2025年10月15日公開

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