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終焉の地のエイレネー

合評会2025年9月応募作品

小林TKG

あばばばばばばばばばばばばばばばばばばば

タグ: #合評会2025年9月

小説

4,400文字

エイレネーにとって幸運だったことは、夫であった時の皇帝レオン4世が若くして死去した事であった。

エイレネーにとって不幸だったことは、実の息子であるコンスタンティノス6世が長ずるにつれて夫と同じ思想を持ったことであった。

 

エイレネーはアテナイで生まれたとされている。彼女についての生い立ちははっきりとわかっていない。人によっては実在の人物ではなく創作と言う人もいるらしい。エイレネーはアテナイで生まれ、やがて成長するとコンスタンティノーブルに向かった。理由は王の妃になる為であった。この当時のビザンツ帝国、あるいは東ローマ帝国という国の支配階級者達は大がかかりなイベントを好む性格だったそうである。その中の一つに、皇妃候補を探し出すための美人コンテストの開催があった。エイレネーはこれに参加しようとしていたのである。エイレネーは妃になろうとしたのである。この当時は血筋、家柄が重要視されていない時代でもあったそうだ。

エイレネーは生まれ育った地を離れてコンスタンティノーブルに向かった。これだけを聞くと、なんとなく、エイレネーに対して尊敬の気持ちが生まれない。勿論、エイレネーは支配階級の人間ではない。アテナイで生まれた一市民であった。孤児だったという説もある。それが何段も飛ばして支配階級、妃になるためにコンスタンティノーブルに向かったのである。美人コンテストに参加するためにわざわざコンスタンティノープルに向かったのだから、それはまあ、容貌は整っていたのであろう。見目麗しかったのであろう。

地方に生まれた人間が夢を叶えるために東京、アメリカに向かったという事と同義であれば、まあ誰にとっても多かれ少なかれ思い当たる節はある。気持ちはわからなくはない。しかし、これは妃になるための行為である。候補とはいえ皇妃である。一個人の地位、立場が大きく変わる。この時代、王の移り変わりは激しかった。即位してもすぐに死んだり、遠征先で死んだり、政治方針が納得されずにその地位を追われたり、そもそもその器でもないのに王になってわざわざ間抜けをさらしたり。王の移り変わりは激しかった。王の立場が危うくなれば妃も危うくなる。なりうる。死んだり、追放されたり、流刑にされたりする。

とはいえ王の妃である。皇妃である。

しかし、国を挙げての美人コンテストが開催されて、その大賞には皇妃候補という栄誉が用意されていたのだから、それを今更とやかく言う事はよくないだろうか。それでエイレネーを尊敬できないというのはお門違いな意見だろうか。ちょっと自分の夢を叶えたい。という程度の事であれば何とも思わなかったと思う。応援も出来たと思う。

でも皇妃候補は信じられない。

 

一方で、この時エイレネーは召命をうけた、受けていたという説もある。召命、御召しである。彼女は神からの思し召しによって王の妃になるためにコンスタンティノーブルに向かった。という話である。

当時、国の教義に取り入れられている旧約聖書が偶像崇拝を禁じていた為、キリスト教の教会などで神の像が置かれなくなった。置いてあるものを撤去、廃止するという考えが広まっていた。

そしてその時の皇帝レオン三世が聖像禁止令を発令するまでに至った。

西方のローマ教会は東ローマ帝国、ビザンツ帝国のこの発令に強く反発した。これにより以前から小競り合いを続けていた両者の対立が明確化し、後年、それがきっかけになって両者は袂を分かつことになったそうである。西方の教会はカトリックという名称になり、東ローマ帝国、ビザンツ帝国を中心とする東側は正教会となり、東西の教会は完全に分裂にした。

国を挙げての美人コンテストで見事に皇妃候補の座を射止めたエイレネーは皇帝レオン四世の妻となり、それから、三世からの教えを守って聖像禁止令を続けている夫が像の撤廃、破壊、遺棄を命じる度に、それを思いとどまるようにと彼女は夫に述べた。時には意見として、時にはなだめすかし、時には懇願した。レオン四世の時代、それまでは強固であったイコノスクラム政策が若干軟化、寛容化したと言われている。これもエイレネーの功績だと唱える人もいる。彼女の進言が夫の事を抑えていたのだと。

彼女にとって教会などが持つ、聖像、聖画像を一つでも多く守る事が己の意義であった。それこそがアテナイでの召命によって彼女に託された事であった。

やがてある時、彼女にとっても、国にとっても大きな転機が訪れた。夫である皇帝レオン四世が死去したのである。エイレネーとレオン四世の間にはコンスタンティノス六世という実子が居たが、まだ幼い事もあってエイレネーが摂政となって自ら政治を取り仕切ることになった。

そして彼女は聖像禁止令を撤廃した。

国の民、人々が祈りを捧げる聖像の破壊をやめさせた。

この当時、印刷技術もまだ十分に発達しておらず、文字を読める人も多くなかった。故に、イエス・キリストや聖母マリア等の聖画像、彫刻の存在は多くの人間にとっての心の拠り所であった。教会にとっても聖像、聖画像は教義を広めるためにもっとも重要なものであった。

エイレネーはその禁止、廃止、イコノクラスム政策を撤廃した。

神の存在を感じさせるための。

それを手に触れられるほどの距離における。

祈りの為の。

安寧の為の。

人の心の為の。

人の命の為の。

死後の為の。

人間、最後は神に祈る。仏でもいい。

死ぬ間際。もはや誰にも助けてもらえない。もう死ぬ。死は人を選ばない。生まれてしまった以上、最後は必ず死ぬ。楽しかろうが幸福だろうが元気だろうが絶好調だろうが快活だろうが明朗だろうが死ぬ気配が無かろうが、人は死ぬ。必ず死ぬ。有史以来死ななかった人間はいない。

そして誰もが最後は必ず心の中で願う。
「誰か助けて下さい」

自身の人生に完全に満足して死ぬ人間はいない。後悔は波、大波となって押し寄せてくる。あれをやればよかった。これがやりたかった。あれを食べたかった。これが欲しかった。あの人に謝りたい。今、手を握ってくれているこの人に感謝したい。言葉で伝えたい。

しかし、死んでしまう。もうどうにもならない。

その最後、瀬戸際、人は祈る。神に祈る。

聖像は、神に祈りを捧げる、祈りを伝える為のアンテナである。墓石も同じ。仏壇もそう。死者に祈りを捧げる。それを伝える為のアンテナである。

人間は、祈りを捧げる、祈りを伝える事がそう上手ではない。切手を貼っていない手紙をポストに投函するような事である。切手はつまり、聖像である。墓石である。仏壇。位牌がそれになる。仏像、伽藍、堂がそれになる。携帯のアンテナと例えてもいい。電波の無いところで電話やラインをする事だと言っても構わない。聖像、墓石はその基地局という事になる。

何も無くても祈りが全て先方に伝われば、過剰な増税などありえないはずだし、物価高だってあり得ない。人種問題もないだろうし、資源問題だって存在しない。領土問題だってそうだろう。

聖像は、不安な人々の祈りをあちら側に届けるためのアンテナであった。

それをある時、ある時代、禁止して破壊してしまおうという流れ、政策が発生した。

エイレネーはその政策を撤廃した。撤廃したのち今度は保護活動を国家の制作とし、教会や修道院への多額の寄付を行った。国家の、東ローマ帝国、ビザンツ帝国の財政が傾くほどに。民の生活どころか、宮廷までも危機にさらすほどに。多くの、数えきれないほど多くの敵を作るほどに。誰にも理解されないほどに。

エイレネーは最終、最後、最後までその様な政策を強行した。財政難に関しては、ローマ帝国、カール大帝との結婚、それに伴うローマの東西帝国統一を行う事で危機を乗り切ろうとした。しかし大帝にその旨の手紙を送り、その返事が届く前に失策を理由に反勢力によって失脚、己が位のはく奪、最後は流刑に処されることになった。

 

エイレネーの終焉の地、流刑の地はレスボス島だと言われている。その地に流されて一年ほど経って、彼女はそこで死去したとされている。エイレネーの遺骸はそれから一世紀の後、歴代の皇帝が眠る聖使徒聖堂に移されて、正教会によって聖人の一人となった。

しかし、生前のエイレネーにはそんな事わかるはずもない。関係もない。彼女は召命に従ったに過ぎない。それが彼女の力となった。生きる糧となった。アテナイからコンスタンティノーブルに至る行程を、苦労を、危険に立ち向かう光となった。

代償はあった。

エイレネーは息子、まだ幼かったコンスタンティノス六世の代わりに摂政になり、それまでのイコノクラスム政策を撤廃した。しかしコンスタンティノス六世が長じるにつれて、その親子関係は険悪になっていったそうである。コンスタンティノス六世はそれまでの、父のイコノクラスム政策を支持していたのである。親子、母子と言えども、常に一緒にいれるわけではない。お互いに立場もある。コンスタンティノス六世はイコノクラスム推進派に懐柔、信じ込ませられていたのである。彼はその耳に毒、言葉による猛毒を流し込まれていた。
「イコノクラスム政策こそが、この国をさらに発展させて御身の名を歴史に残し、名君として後世まで語り継がせる政策であります」
「あなたの母君は市民から成り上がった身です。彼女はその立場に慢心してこの国を崩壊させようとしています。彼女は間違っているのです」

エイレネーはアテナイ出身の、元市民であった。コンスタンティノス六世はそんな母から生まれたとはいえ、それでも彼は王族であった。未来の王を約束された身分であった。

それ故、一時母エイレネーから実権を奪ったコンスタンティノス六世であったが、遠征の失敗などで人望を失うと母が動かした軍によってとらえられて、目をえぐられたうえで国を追放されることになる。

目をえぐった理由は、この当時の暗黙の了解によるものである。
『身体に損傷があるものは皇帝になれない』

エイレネーはこの後、自ら即位して女帝となる。東ローマ帝国、ビザンツ帝国初の女帝である。

レスボス島に流されたエイレネーの頭にはもはや召命の事も、国家を深刻な財政難にした事もなかった。やれるだけの事をやった。国家を傾けても聖像を守り、教会を守ったのだから。その当時の人間、民の事を救えたかどうかは疑問だが、しかし後世の人々を救ったのは言うまでもない。彼女はその時代の多くの切手を守り、アンテナを守った。
流刑地で彼女は息子の事を案じていた。祈りを捧げていた。許しを乞うていた。
「誰か助けてください」

一年後、エイレネーがその地で没したのはこの願いが聞き入れられたからか、あるいはそれに関係なく功績によって召し抱えられたのか、定かではない。

正教会によって聖人になって以降、今日に至るまでは彼女も切手、アンテナとなって人々の願いを天に届けている。

© 2025 小林TKG ( 2025年9月18日公開

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"終焉の地のエイレネー"へのコメント 6

  • 投稿者 | 2025-09-19 12:23

    東ローマ帝国の女帝というマニアックな題材ですがスケールが壮大でいいなと感じました。実子の目をえぐるなんて恐ろしい……。むかしから思うのですがヨーロッパの王侯貴族は残虐だなあと。
    『人間は、祈りを捧げる、祈りを伝える事がそう上手ではない』という言葉には激しく同意します。東日本大震災のときは地元が被災しましたが、空腹で寒い思いをしているなか食べられやしない千羽鶴を地元へ大量に送りつけられたのを思いだしました。祈りよりも食料とまともに着れる服と車を動かすガソリンが欲しかった。

  • 投稿者 | 2025-09-22 08:45

    ビザンツにおける偶像崇拝の禁止には、アナトリア方面へのキリスト教布教に際して元々偶像崇拝にアレルギーのある民の懐柔という側面があって、当時としては「文化の破壊」という感覚はなかったように思います。偶像破壊に反対した人たちが後に聖人扱いされたのは多分に後付け的な要素があったでしょう。
    しかしタリバーンによるバーミヤン石仏破壊は擁護の余地がありません。あれはだめです。
    この文字数で大河的な話をまとめきった筆力には感服しました。その貴重な文字数を第一節、エイレネーの輿入れまでにかなり割いたにもかかわらず、それが後になって効いてきたのがさらにいい。

  • 投稿者 | 2025-09-22 22:54

    勉強になりました。
    目をえぐり取られ追放されたコンスタンティノス6世のくだりを読んで、自ら目を潰してテーバイから追放されたオイディプス王と同じなんだな…と感慨深かったです。

  • 投稿者 | 2025-09-23 11:14

    出だしの二文がうまいです。先を読みたくてたまらなくなります。
    歴史をただの情報ではなく抒情的な物語として再構成しているのが見事です。「誰か助けてください」というお題に正面から向き合った作品だなと感じました。

  • 投稿者 | 2025-09-23 22:14

    TKGさんの歴史ものが好きです。
    謹直で正確な描写の合間にひょこっと呟きみたいなのがあって面白い。
    今回はやたらと「皇妃になるための美人コンテスト」に意見があるようで。

    また、史実を列挙するだけではなくて、目の付け所が良いです。
    今回は偶像崇拝でした。

    偶像や十字架が祈りを捧げるための「切手」という比喩が見事です。人の命が今よりずっと軽かった時代、特に一般庶民は目に見えるものにすがりたくなったと思います。今でさえなにかに縋らずにはいられません。
    一方でこの時代は偶像厳禁のイスラムが台頭してきていたりして、複雑な状況だったのだろうとも想像します。

    「人は死ぬ、必ず死ぬ」(Juan.Bさんのバンドの人生逆噴射のテーマでもあります)って、分り切ったことだけどいよいよの時が来るまでなかなか実感しないものですね。

    つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

    私も人生が終盤に近いので、在原業平の和歌を胸に日々を適当に懸命に生きようと思います。

  • 投稿者 | 2025-09-24 18:15

    「誰か助けてください」と思う時に信仰があれば「神様」と…考えそうなもの、
    今回のお題をすごく真ん中において書いてくださったのかな、と思いました。
    文字や経典を持たない人々には神様(仏様)にお姿があったほうが思いや信仰のかたちをまとめて保ちやすそうです。
    それにしても西洋では身分の低い女性が王妃になり(側室ではない)、摂政になるなど表に立つ文化があったのですね…!たのしく学ばせてもらいました!

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