晴人と沙耶は永遠の愛を誓った。その愛の儀式の証人に私が指名された。天地山河の霊の前で二人が生涯離れないと誓うから、見届けろと言うのだ。
なんだそりゃ、と思ったけれど、晴人は私の兄だし、沙耶は私のクラスメイトだし、二人がそれを望んでいるのなら、引き受けるより仕方がない。
場所は私の部屋である四畳半の和室。どこで探してきたのか古びた三宝を部屋の真ん中に据えて、習字の半紙をその上に敷くと、沙耶は大切そうに封筒ほどの紙包みを取り出した。
「まずこの上にオクマを撒いてもらいます」
包み紙には「稲荷神社 御供米」とデカデカと書いてある。「御供米」と読むらしいと見当をつけた。
「近所の稲荷神社で御祈祷してもらってきたの。『神饌』とも言うんだって。お稲荷さんはお米の神様なんだよ。狐はネズミを食べてくれるからって」
蘊蓄を垂れつつ、沙耶は紙包みを私に押し付けた
「えっ、なに?」
「お米は美鈴に撒いてもらう」
どんな理屈か分からぬまま、紙包みを開こうとすると、またまた沙耶の声が飛ぶ。
「あっ、全部撒いたらダメだよ。撒いたの後で食べるんだから、十粒くらいにして」
「食べるって? 炊いて食べるの?」
「ううん。生のまんま食べるの」
ますますなんだか分からぬまま、紙包みから米粒をつまんで半紙の上にパラパラと撒いた。
次に沙耶から白い盃を手渡された。
「ここにお米入れて」
「撒いたのを?」
「うん、撒いたのを」
撒いたと思ったら盃に入れる、忙しいことだと思いながら言うとおりにした。すると沙耶はミニカッターを取り出し、ガチャリと刃先を出すと、左手の小指の先をスーッと切った。たちまち血が流れてくる。それを絞り出すようにして盃に落とす。
仰天している私には目もくれず、沙耶は晴人に向き直った。
「左手、出して」
「え……俺も?」
「そうだよ」
無様なことに晴人はすっかりうろたえてぶるぶる震えている。助けを求めるように私を見たが完全無視をした。
「大丈夫。一瞬だよ。目つぶってていいから」
沙耶にガッチリ手首を掴まれ、観念した晴人は血の気の引いた顔を背けて目を固くつぶった。沙耶は手際よく小指を切って血を絞り出す。盃の中で混じり合った二人の血が米をわずかに浸した。沙耶は晴人の指に絆創膏を巻いてやると、盃を取り上げて晴人の口元へ持って行った。
「全部口に入れて」
「えっ?」
「口に入れて!」
半泣きで盃を啜った晴人の唇が血まみれになった。と、沙耶はいきなり晴人の首に抱き着いて口づけをした。
「半分……あたしに……ちょうだい」
現金なことに晴人はピタリと抵抗を止めて、沙耶の身体を抱きすくめた。柔らかな吸盤みたいに二人の口がゆっくりゆっくり吸い合っている。ディープキス、初めて見た。なんでこんなものを見せられなきゃいけないんだと、呆気に取られているうちに、二人の喉がほぼ同時にゴクリ、と鳴った。
「はい、飲んだね? OK」
沙耶は身体を離してニッコリ笑った。口の周りも歯にも血がべっとりで大昔流行った口裂け女ってこういうのだったのかもと思った。
これで終わりかと思いきや、沙耶は晴人に右手を出すように言った。
「こっちも切るの?」
真っ青になった晴人には構わず、沙耶は手首にピンク色のものを巻き付けてやった。それから自分の右手を晴人に向けた。
「あたしにも着けて」
よく見たらそれはミサンガだった。濃淡の違うピンクに白、赤を織り交ぜたなかなか綺麗なものだ。
「あたしが編んだの。紫色のビーズは一応本物のアメジストだよ。それにちょっと出っ張ってるところがあるでしょ? そこに御供米を仕込んであるの」
神聖な御供米を二人の血で浸し、それを体内に納め、愛の守護石アメジストと御供米を仕込んだミサンガを右手に着ける。これで二人は神聖なパワーで結び付けられ、未来永劫離れることはない。
「でもこれって何の儀式? 神道か何か?」
「あたしが考えたんだよ」
平然と言い放つと、沙耶は口を綺麗にしなくちゃと水を飲んだ。
洗面所で口を漱いだ晴人が戻って来ると、沙耶の瞳が妖しく潤んだ。
「ふふっ、これで離れたくても離れられなくなっちゃったね!」
あぐらで座ったところを横から抱き着かれて、ひっくり返りそうになるのをなんとか堪え、晴人は沙耶の肩をぎゅっと抱いてイチャイチャし始めた。あんなに怖がっていたくせに切り替えが早い。
こうしてみるとまあまあ似合いのカップルかもしれない。晴人はこの通りの弱虫のチキン野郎だけど顔だけは良い。幼少時から町内一の可愛い子供で、お祭りではお稚児さんの代表で、写真館では七五三写真のモデルで、地元の小学校でも中学校でも高校に入ってからも、校内一のイケメンの名をほしいままにしてきた。かたや沙耶はきりりと顔立ちの引き締まったクールビューティーといった趣で、行動力もあり知的レベルも高い。今まで兄と付き合った子にはいないタイプだ。
その後、二人は手を繋いで出かけて行った。どこへ行くのかと聞くのは野暮というものだ。
一人家に残った私は、米について少し調べてみた。
日本人の主食である米は、古代から変わらず神聖な食物とされている。沙耶に教わった「神饌」は神への捧げものだし、仏前へはご飯をお供えする。「米一粒に七柱の神様」とも言う。
外国でも事情は同じで、カトリックのミサではパンがイエスの肉を象徴する「聖体」として使われる。アステカ文明やマヤ文明ではトウモロコシが祭祀に使われていたという。チベットでの主食は大麦粉のツァンパで、仏教の儀式では空中に撒いて祈りを捧げるのだという。なるほど、さっき私も米を撒いた。
互いの血を啜り合うなんて、時代劇とか歌舞伎とかで見る義兄弟の契りみたいだし、神社で祈祷したお米が主役の割には、アメジストが愛の守護石だったり、極めつけはミサンガだったりで、いろいろ突っ込みどころはあるものの、永遠の愛の象徴として、何万年もの祖霊が宿る米を選ぶとは大したものだ。一連の儀式を考えて実行し完遂した沙耶の愛は一途でひたむきだ。
もちろん晴人の方は、行きがかり上、付き合っただけに決まっている。
晴人を見ていると、ド田舎で顔だけ良く生まれることの弊害を考えさせられる。競争相手がいないから比較の対象もなく、無駄におだてられながら成長する。そうして何も考えないくせに自己肯定感だけは高い脳天気男ができあがる。中身が空っぽだから、女の子と付き合っても長続きしない。それでもすぐに別の女が寄ってくる。
ひょっとして沙耶は例外になるのかもしれない。強い愛と知性、素晴らしい実行力で晴人を叩き直してくれるかもしれない。
……という予感は残念ながら外れた。愛の儀式から数ヶ月で、沙耶から一方的に別れを告げられたのだった。
「ごめん、美鈴、あんたの兄さんってカス」
そう言って右手のミサンガを外して私に押し付けた。
「適当に処分しといて」
いつものことなので特に驚きはしなかった。
家に戻ると晴人はテレビを見て大笑いしていた。その間抜け面にミサンガを突き付けると、ああ、とバツが悪そうに笑った。
「俺のも捨てといて」
と、右腕からミサンガを外した。
どうすりゃいいんだと、ミサンガを持って自室に戻った。捨てるのはあんまりだし、だからと言って神社でお焚き上げなどしてもらうのも違う気がした。始末に困って、とりあえず壁掛けフックに吊るしておいた。
二つのミサンガが西陽を浴びて絡み合い、アメジストが鈍い紫色の光を放っている。あの儀式は何だったんだろう。あの時の二人、少なくとも沙耶の愛は本物だった。生涯の愛を誓ったこの部屋に、情念の澱だけがいつまでも取り残されているようだった。
それから二年後、私は進学して東京へ引っ越した。晴人は町役場の職員になっていた。なんで地方公務員試験に通ったのかは謎だ。沙耶は進学して京都へ行き、そこから外国へ留学したと聞いた。
更に数年後、晴人は結婚した。相手は同じ役場の同僚だった。結婚式で初めて兄嫁に会った時、あまりに似た者同士であったのに驚嘆した。美しい顔立ちで明るくて、そして何事も深く物を考えない女性だった。数年間付き合ったのに、兄の空っぽぶりに少しも気が付いていない様子だった。この人とだったら添い遂げられるだろうと思った。
しばらくして子供が生まれた。凛ちゃんという女の子だ。赤ん坊は苦手だがこの子だけは例外で、兄夫妻と一緒になって可愛がった。時々洋服などを送ったりもした。
その後、三つになった凛ちゃんの七五三参りをするから見に来ないかと誘われて、それではと帰省することにした。
家に戻ると大仰なことに兄は紋付袴、兄嫁は訪問着姿だ。凛ちゃんは座敷で着物を着せられていた。
「美鈴叔母ちゃんが来たよ!」
兄が大声で呼ばわると、トトト、と可愛らしい足音がして赤い着物の凛ちゃんが駆けてきた。抱っこしてやろうとしゃがんだその時、薄っすら化粧をした凛ちゃんの顔が、誰かの顔と重なった。
ドキン、と心臓が弾けて脳天を衝いた。
沙耶だ。
この顔は、沙耶だ。そっくりだ。
はしゃぎ声を上げて私にまとわりつく凛ちゃんを兄がひょいと抱き上げ、凛ちゃんとっても綺麗だよ、と話しかけた。
「お兄ちゃん、この子、沙耶だよ、沙耶だよ」
晴人は怪訝な顔をした。
「沙耶って誰だよ」
「忘れたの? 高校生の時付き合ってた、ほら、米撒いて変な儀式したじゃない」
そう言えばそんなことあったっけと呑気な顔をしている晴人に畳み掛ける。
「沙耶だよ、この子、沙耶と同じ顔をしているよ」
「馬鹿言ってんじゃない。この子は俺にそっくりだよ。だいたい沙耶なんて女の顔覚えてないよ」
「写真見れば思い出すよ。ちょっと待ってて」
二階へ駆けあがって自室に走る。駆け込んで本棚を探す。あった、高校の卒業アルバム。これと見比べればすぐに分かる。
アルバムを開いて沙耶を探していたら、ポツン、と何かが落ちてきた。
米粒だった。
見上げると、フックに掛けた二つのミサンガが、色褪せて朽ちかけていた。十年近く放置され、大きく崩れた編み目から、米がポツリ、ポツリと滴り落ちてきた。
河野沢雉 投稿者 | 2025-07-22 14:10
いやーまさかのホラー(?)展開。やられました。
経口摂取した血液から遺伝情報が移行するわけないと分かっていても、何万年の霊魂宿る米パワーでゴニョゴニョ……と言われればつい納得してしまうかも知れません。
眞山大知 投稿者 | 2025-07-22 18:23
生米が人の身代わりをするとかいう話は中国の伝奇で見たような気がして、ホラーになる展開かなと思ったら案の定そうでした。
田舎の空っぽなイケメンの描写が巧みで素晴らしかったです。
祐里 投稿者 | 2025-07-24 01:53
いろんな要素が絡み合っているようで、何度読んでも怖いし面白いです。
:(´◦ω◦`):
サマ 投稿者 | 2025-07-24 20:31
出だしは読んでいてどういう小説なのか見通しが立ちませんでしたが、読むにつれてじわじわと怖さが広がっていきました。
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-26 00:29
グロテスクコメディ(?)かと思ったらホラーだった! 儀式の後にどこに出かけたか訪ねるのは野暮、っていうのがエッチでした!
沙耶は死んでしまったのか……? だから転生してきたのか……? とかいろいろ気になりました。そんな儀式思い付く時点で人ではない何かだったのか……? とか。疑問を持たせる余韻。
諏訪靖彦 投稿者 | 2025-07-26 12:38
毎年病気平癒のご祈祷を頂いているのですが、ご祈祷後御饌を頂いて帰ります。そこには必ずお米が入っていて神道とお米の繋がり、稲作神道を再確認するのですが、甲信地方の父方が帰依する神社では狩猟採取時代の神事が今も残っていて鹿や猪の首を祭っていてヤマトの征服されながらも残した民族のアミニズムを感じます。ホラー作品において血を汚れと扱う現在の神道と古代アミニズムは親和性が高いすよね。
浅野文月 投稿者 | 2025-07-27 02:00
私事で恐縮ですが、だいぶ昔。まだユーチューバーが一般的でなかったころ、ニコニコ生放送の生主をしていたことがありました。無料枠でやっていたので30分しか生配信できなかったのですが、その時にとある実験をしてまして、どうしても血液が必要で針で指を刺そうにもためらって…いるうちに30分経ってしまった。という経験があり、自ら血を出すという行為に恐怖を感じるようになりました。
女性は男性よりもその点、大丈夫なんだろうなと思いながら、ブルっときました。
こい瀬 伊音 投稿者 | 2025-07-27 20:39
田舎のイケメンのろくでなし感、その妹は歴代彼女を見てもいるし、観察眼が冴えに冴える…
むかしミサンガを編むの、流行りましたよね。作ったミサンガを自分の手にまくまえに
どうやって好きな人に触れてもらえばいいかいろいろ考えました。おまじないの本のいろいろなお作法がややこしければややこしいほど願いが叶う気がして…。
沙耶は…化けて生まれる(?)ほど
クズにひどいめにあわされたのかな…そこを想像してまたぞくぞくぞくと…
怖く面白く読みました!
藤田 投稿者 | 2025-07-31 12:59
完成度が高い小説だと感じました。文章に過不足がなく、話の構造も明快で、お手本にしたい書き方だと思いました。