
二〇〇二年、川原礫は電撃ゲーム小説大賞に応募するため生まれて初めて書いた小説『ソードアート・オンライン』を完成させた。しかし、完成させたものの、賞の規定枚数を大幅に超過していたため応募を諦めたと、のちに書籍化された際のあとがきで書いている。
川原礫が別の作品で賞を取り、編集者からの拾い上げで『ソードアート・オンライン』が世に出て爆発的なヒットとなるまでには完成から七年の歳月が必要であった。
その間にオンラインゲームについての世間の認知が広まったことも、出版にこぎつけた要素の一つだろうと川原礫は語っている。『ソードアート・オンライン』は大規模多人数参加型オンラインロールプレイングゲームを舞台とした小説だからだ。
「近未来仮想ゲームとしてのファンタジー」という厄介な設定の物語を書いていた川原礫。
「ネットゲームって、仮想世界ってなんだろう」というテーマで創作を続けた原動力は、自身もネットゲームにハマり、人生を踏み外しかけた経験から来たものだろう。
『ソードアート・オンライン』のヒット以降、一度WEBで無料公開した作品であっても、紙の本にすることで大きなヒットを狙えるのだと出版社が気づき、それが今にも続くWEB小説投稿サイトの隆盛にも繋がっていった。
言わば『ソードアート・オンライン』は、世界を変えた物語なのだ。
さて同じく二〇〇二年、この文章の筆者こと俺は、ゲームセンターの格闘ゲームプレイヤー小説を書いていた。いきなり世界を変えた大作家先生と自分を並べて書くのには我ながら抵抗があるが、ここはひとつ飲み込んでいただいて話を続けさせて欲しい。
その当時の俺は、ゲームセンターに集まるちょっと変わった人たちに魅了され、人生を踏み外しかけていた。
ゲームの筐体にコインを突っ込んでは、目先の勝負に大騒ぎし、大会に参加すれば、まるで自分が重要な歴史の瞬間に立ち会っているかのような興奮を味わっていた。
その上で、プロゲーマーなんてものが想像もつかない時代だったこともあり、何の未来にも繋がらないゲームの勝敗なんてものに青春を捧げている状況をなんとか文章にできないかと、もがいていた。
この話は、俺のその一人相撲についての話だ。
当時書いていた作品から少し引用しよう。
―― 引用開始
「格ゲーやってる奴のトップクラスの奴等がなんかの辛い修行みたいに意識して対戦してると思ってる?
『日々のゲーセン通い』に意味を与える上で、大会は確かに分かりやすい目標になり得る。でも、格ゲーの大会はそんなストイックな意識でやってる奴が頂点に立つわけじゃない。
無邪気に楽しんでる奴や、惰性でやってる奴が優勝かっさらう時だってある。単純にもともとセンスがある奴、強心臓な奴、運があった奴、極端に言えば一番やりこんだ人間の十分の一しかやってない奴が勝つことだって沢山ある。
なぜか?
それは、格ゲーにはそれほどの業を競い合えるだけのキャパがないから。それが少なくとも今の現実だし、これから変わるかと言ってもどんなに希望的な観測で考えても厳しい。っつーか無理。断言できる。
たまたま自分がゲームの世界にどっぷり浸かってるからって、ゲームの本質というものを見て見ぬ振りして、社会的に立派に成立してる他のものと同じように適用しようとするのは、単なる現実逃避でしょ?
それでも『日々のゲーセン通い』に努力とかの意味や価値を付随させたいのなら、それはあくまでも自分自身の中だけで完結させるべきものであって、間違っても外に求めるべきじゃない。
あまりにも的外れで、どうやったって報われるものじゃないから。そもそも、俺たちがどれほど格ゲーで精進するのは意味のあることなんです、と叫んでも、世間の一般的な評価は言うに及ばずだよな。いい歳して何やってんの? で終わっちゃうだろ」
(中略)
政治家が改革を声高に叫んでも、アメリカのビルに飛行機が突っ込んでも、その全てが、俺とは関わりのない出来事のようにしか感じ取れなかった。
いや、言い直そう。関わりなくはないんだ。そんなことは知ってる。
物価やガソリンの値段に跳ね返ったり、自衛隊に行った幼馴染みにとっちゃそれこそ無視できない問題だってこともわかってる。だけど、俺が言いたいのはそういうことじゃない。
いい加減、ハッキリさせていいだろう。もう『デカイ一発』なんてのは来ないってことを。
あれほど騒がれたY2K。そういやノストラダムスなんてのもいたっけ。ワールドカップの時、周囲の熱狂ぶりに違和感を覚えたのは俺だけか?
深夜のコンビニバイトで退屈にため息をつきながら、ゼミの飲み会でほとんど話したこともない奴に親友面されながら、俺は俺の人生を変えた映画のセリフを思い出す。
『俺たちの可能性は潰されている。職場といえばガソリンスタンドかレストランに、しがないサラリーマン。宣伝文句に煽られて、要りもしない車や服を買わされている。歴史のはざまで生きる目標が何もない。世界大戦もなく、大恐慌もない。俺たちの戦争は魂の戦い。キミもいつの日にか億万長者となり映画スターやロックスターになるのだ、なんてテレビは言う。大嘘だ』
そう、そんな日は来ない。
大嘘の価値観を叩き込まれて終わりのない日常を、ただ生きる。
そんなことを知ってしまった俺は、同じブラウン管使うんならってんで、より意のままになるゲームを選んだ?
俺の話をここまで聞いていてそんな分析しかできない奴は、さっさと帰っていい。寝てたほうがよっぽど建設的だし、そもそもイカれた人間の話なんか聞きたくないだろ?
ゲームってものの魅力は、ボタンを押すと技が出るとか、レバーを倒してキャラクターを操作するとか、そんなところにはない。
すべての行動に至るまでに過ごした葛藤、そして一瞬毎に明らかになる結果。
それを味わえるところが、ゲームの魅力の本質だと俺は断言する。
たとえば、悩みに悩んだ末に脳味噌が導き出す、答え。
あるいは、刹那の瞬間に反射神経が選択する、答え。
その瞬間と密度。
そうした意味で、俺は、現実とゲームに何か違いがあるとは思わない。
アクションとその結果としてのリアクション。そこに付随する様々な感情が俺の脳髄を駆け巡る。
ゲームのカテゴライズには、やれメディアだ、芸術だ、商業娯楽だのと、不毛な議論があるがどれも的外れだ。
一人ひとりのプレイヤーにとって、ゲームは体験であり、記憶であり、湧き起こる感情なんだ。
だから、俺はゲームをやっている。
経験したいんだ。
たとえどんなに小さなことであっても構わない。
自分にとって大切な、記憶に残るような『デカイ一発』ってやつを味わいたい。
それは紛れもなく、俺自身の、俺だけの物語だから。
……こんな狂った主張が他人に届くとは思わないから、俺は人と分かち合うことを諦めていた。
それでも俺は、一人で家路を辿りながら、俺の想いが無駄にならないことを祈る。
めんどくさい希望だと、俺も思う。
―― 引用終了
今読み返すと主人公がちょっと斜に構え過ぎてる。これは当時の俺が斜に構えてるヤツだったことと無関係じゃないだろう。
でも当時の俺にはこれを書く必要があった。
「日々のゲーセン通い」の意味を考える上でも、次第に活気を失いつつあったゲーセンを守るためにも。
もちろん俺には打算もあって「格ゲーに人生を捧げてるヤツらのことなんて誰も知らないじゃん。その世界のことを書くだけで新鮮だし、遊びにしかならないものに執着することにはブンガク性もある。勝負ごとだからドラマも生まれる。戦う前に語っていた言葉の真贋が問われる展開もできる。ちゃんと書けたら賞も取れて、学生のうちから作家デビューできるっしょ。作家デビューしたあとも『俺にはゲーセンのことしかわからない』」みたいなスタンスで発言すればキャラ立ちするし、結果的にゲーセンに来る人口が増えればWin-Winでしょ」
みたいなことは考えていたし、周りにも言ってた。
今ではこんなガキに賞を与えなくて正解でしたねと思う。未熟なうちに注目を集めてたらどんなバカをやらかしたかわからないので、本当によかった。
俺が書いていた物語のあらすじは、ざっと以下のようになる。
格闘ゲームブームを巻き起こしたストリートファイター2の発売が一九九一年。それからの十年で格闘ゲームは複雑化の一途を辿り、限られた者たちの遊びとなっていた。有志で大会を開いても、見知った面々との同窓会のようになっていく現実。
そんな折、格ゲーやゲーセンの未来を憂いて、ゲーセン店員の高城という青年が奮闘する話が、第一部となる。
高城は当時流行し始めていたインターネット掲示板文化を利用し、格ゲーコミュニティを活性化する。一部の者にだけ独占されていた攻略情報、知る人ぞ知る流行りのゲーセンや時間帯など、コミュニティが求めていた情報をウェブサイトにまとめ、誰でも利用できるように解放する。
それらの活動の最中、人に教えるレッスンプロの経験から、プロゲーマーという道を見出す。しかし、先鋭化していくシーンの煽りを受け、これまで献身的な協力をしてくれたゲームセンターが倒産するところで第一部は終わる。
第二部は高城が姿を消してから二年後、都内でゲーセン通いをする青年トシが主人公の物語だ。何を経験してもそれが『自分の物語』だと感じられないトシは、唯一ゲームで対戦している瞬間にだけ『自分の物語』を感じ、ゲームセンターに通う。そんな折、高城の弟子であった和泉と出会うことで運命が動き出す。強さを求めて対戦に明け暮れるトシと、高城が居なくなったことで、高城の代わりになろうとしていた和泉の友情を描く。ほぼ男しか出てこない青春小説だ。
たまに読み返すと、文章のヘタクソさに辟易するけど、俺にとっては特別な作品だ。
この小説は大学卒業直後に文藝賞に送り、その年は『人のセックスを笑うな』と『野豚をプロデュース』が賞を取った。
"世界を変えた物語――メイク・格ゲー・グレート・アゲイン"へのコメント 0件
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