母校の思い出

合評会2025年5月応募作品

眞山大知

小説

5,380文字

仙台の高校に通っていた頃のことを書きました。ちなみに8割が嘘です。

太陽の光輪は、一八歳の彼女の肉体の無垢な肛門なのだ。
(ジョルジュ・バタイユ『太陽肛門』、酒井健訳 景文館書店)

 

 

 

 

クラスメイトの村田の肛門が消え去ったのはゴールデンウィーク明け直後の火曜日、四限の体育が終わって教室へ戻ろうとしたときで、体育館のトイレからこの世のものとは思えないほどおぞましい叫び声がするやいなや、村田がトイレの入口から顔を真っ青にして走ってきたのだった。

アンパンマンのような膨れ顔の村田はクラスの集団に駆け込むと泣きっ面で叫んだ。

「俺のケツの穴が消えた!」

村田を見ていたクラスメイトたちがざわつくと、ヤンキーでバレー部の渡辺が、剃ってほとんど残っていない眉毛をくいくいと動かしガンをつけた。

「あ? てめえ本当だろうな?」

渡辺は脅すと村田に近寄り、体操服のズボンをいきなり引きずり降ろしたのである(男子高だったからできた芸当だ)。

村田は「ちょっと、やめろよ」と慌てふためき、渡辺の手を払おうとするが、太っちょのくせに所詮PSPより重いものを持ったことのないようなゲーマーの村田の腕力では、バレー部で高速スパイクを放つ渡辺の手を払うことはできず、渡辺は村田のケツをわしづかみにしてぱっくりと左右に割った。

刹那、渡辺は全身を震え上がらせて「う、うわあああ!」とみっともなく叫ぶと床へ尻もちをついた。

クラスメイトたちは押合い圧し合い、村田の尻に群がった。クラスメイトたちの体をかき分け進むとようやく村田の尻が見えた。

――渡辺の真っ青になった手が割っている尻は、割れ目の奥にあるべき穴が影も形もなくなっていた。

肛門があるべきところには、ただつるつるとした皮膚があるだけだった。

 

 

仙石せんせき線の小鶴新田こづるしんでん駅の階段を降りると、真夏の朝の熱風が襲いかかってきた。思わず顔をDaisukeのように腕で隠してしまった。

駅前はだだっ広い空き地で、4階建て程度の低いマンションが申し訳なさそうにまばらに建ち、その空き地の右側を平屋の馬鹿でかいパチンコ屋が、シムシティの初心者が配置したように雑に置かれている。

村田から借りた狼と香辛料のXII巻の続きが気になりながら、幅二メートルもない歩道を歩いていた。毎日、仙台市営バスとJRを使って一時間もかけて通学していて、当時はスマホなんて一部の怪しいギークしか持ってない代物だったので、暇を潰すためにラノベや漫画を読むしかなかったのである。

線路に併走するブロック歩道は、夏服のワイシャツを着た同じ学校の生徒が埋めつくしていて、バカ騒ぎする中入生ちゅうにゅうせいがコロコロコミックのキャラしか言わなさそうな下品な言葉を全力疾走しながら叫び、一方、高入生こうにゅうせいは暗い顔をして歩いていた。

田舎で中高一貫の私立校というのは不格好なキメラのような存在である。

中学は、公立中学に入ったら文字どおり凡人どもに消されるほどの天才か、逆にヤクザや半グレの下っ端としても役に立たない落ちこぼれを収容する施設である。当然、全員がなにかしらイカレている。中学から入学した中入生はたとえ内部進学して高校生になったとしても、エロ本を教室に持ちこんで授業中にオナニーするバカだらけだ。渡辺もそうだ。村田もそうかもしれない。俺はさすがに違う。

高校も残念だった。この宮城県には厳然たる高校のヒエラルキーが存在し、わが高校にはトップの公立校に落ちて、仕方なく来たヤツらがやってくる。高入生――高校から入ってきたヤツらの背負う、学校指定の学習カバンには、ルサンチマンが背後霊のように乗っかっている。

走っていた中入生は、歩道を監視する生活指導の教師に大声で説教されていた。それを高入生たちは素通りしていって目を虚ろにして、起きているんだか寝ているんだかわからない顔をしていた(中入生なのか高入生なのかはだいたい暗記している)。

礼拝なんてなきゃ、もう少しゆっくり寝れるのにといつも思う。朝八時からホームルームがあるのは八時半から礼拝があるからで、毎日、厳かな礼拝堂で賛美歌を歌い、聖書を読み、お祈りを捧げる。

窮屈な生活だった。

ロードサイドの無意味なほど広い歩道と、その前にある古びた、家庭崩壊気味の実家の美容室。イオン。イエローハット。ニトリ。やたら混む幸楽苑。ハローマック。あの頃は帰りたくない家と、この学校と、仙台駅前のしょぼい予備校と異様に魚臭いアニメイト仙台店が、この世界を構成するものの全てだと思い込んでいた。

パチンコ屋のそばを通ると、国道四号線仙台バイパスの巨大な陸橋が現れた。下をくぐると陸橋のコンクリートの壁には、口に出すのもはばかられるスラングが一面にべったりと描かれていた。東北の中心地・仙台市でも、この宮城野区は治安がとにかく悪い。

突然、背後から「おい、眞山まやま。早く狼と香辛料を返せ!」と声をかけられた。

振り返ると村田がいた。

「うるせえな。まだ読みかけなんだよ。朝からそんなキンキン声を出すなよ、ドム」

俺は村田に文句を言った。

村田にはドムというあだ名をつけていた。ガンダムとはまったく関係ない。ガンダムに疎いオタクなのでドムすら知らなかった。

中学二年のある春の放課後、駅までの道で村田と一緒に帰っていた時、村田のカバンに刺繍されたイニシャルのD・Mがなぜかドムに読めてしまったので、「ドムって読むのか?」と聞いてしまった。

村田にとって悲劇だったのは、俺と村田の真ん前に渡辺がいたことだった。渡辺は吹き出してその場で腹を抱えてゲラゲラ笑った。

それからドムは中学卒業までずっとドムで、高校でもずっとドムだった。大学は別々のところへ行ったが、風の噂だと大学でもドムと呼ばれていたらしい。申し訳なかった。いまでは反省している。

「まだ読みかけだから待ってろ」

「ちげぇよ。俺が言ってるのはⅣ巻の話だよ」

忘れていた。やっべ。そういやこの前、家に遊びに来た従兄弟に貸したままだったっけ。なんとかして誤魔化さなきゃ。

いちおう学年ヒト桁を取れる思考回路をフル回転させ、ここは村田に逆ギレするのが正しいという結論を弾きだした。

男子校に五年も平気で通える時点で、自分の頭も結局はイカレているのだ。

「つっても、村田、お前こそ早くシャナを返せよ」

村田の肩を思い切り叩く。

案の定、村田は膨れた顔をさらに膨らまして怒った。家の近所にあるやきとり大吉の提灯のようにすら見えて吹き出したところ、村田は回し蹴りをかましてきた。

そのまま陸橋をくぐり抜けるまで、村田とラノベを返す、返さないと喧嘩をしていた。――村田はすっかり元気になっていた。肛門が突然消えてショックを受け一ヶ月程度不登校になっていたがなんとかまた学校へ戻ってこれて安心している。

陸橋をくぐり抜けると、青々とした広大なが田んぼだけがどこまでもどこまでも広がっていて、その真ん中にレンガ色の礼拝堂と校舎があり、形状は陽炎でおぼめいていた。

村田はこめかみに青筋をたてて、「じゃあ眞山がエッチなラノベを学校に隠し持ってきてまーすってチクるぞ」なんて言ってきた。

ふざけんな。わかつきひかる大先生のエロラノベを没収されたくない! せっかく小遣いをはたいて魚臭いアニメイトで手に入れたのに。

下手すれば、校舎の三階にある生徒指導室という座敷牢へ一週間も投げ込まれ丸坊主にさせられるという恐怖心からすぐにビビり散らかし、村田に「わかった、すぐ返すから。明日の朝、必ず返す。絶対だぞ」とペコペコ頭を下げた。

その瞬間、背後からそれ、、が駆け抜けていった。たしかにそれはうちの高校のワイシャツと黒いスラックスを着ていて、ふっくらした胴体は二本の腕と二本の足が生えていた。しかしそれの頭は明らかに人の頭ではなかった。通学する生徒たちは一斉に驚き、顔面を蒼ざめさせた。――それの頭はまぎれもない肛門だった。「肛門」はしわだらけのひだひだを当然のように公衆の面前にさらけ出し、「けけけけけ」と叫びながら、手を前後に振り、背筋を真っ直ぐ伸ばして走っていた。

俺が震えていると村田はその場にへたりこんでしまった。村田はぷるぷると震える、ぷくぷく太った指を、走っていきだんだんと小さくなるそれに向けてつぶやいた。

「あれは俺のケツの穴だ……。こんなところにいやがったなんて!」

 

 

仙台は怪談の街である。

市の中心を流れる広瀬川は特に「出る」ところで、川にかかる橋にはたいていなにかしらの怪談話が伝わっているぐらいだし、仙台に住んでいて怪奇現象にあったことのない人に出会ったことがない。試しに仙台人に「地元で面白い怪談とか知ってる?」なんて聞いてみればいい。おそらく持ちネタの怪談を、耳にタコができるほど聞かされるだろう。

社会人になりたての頃、当時住んでいた静岡から仙台の実家に帰ったところ、ドッペルゲンガーに遭遇したことがある。スーツケースを引きながら実家の目の前を歩いていると、父親が、飼い犬のチワワを引き連れて玄関から飛び出してきたので、ああ、散歩に行くんだなと思った。玄関の中に入ると、外に出ていったはずの父親とチワワがリビングから出てきて出迎えてくれた。ひとしきり驚いたあと、人のドッペルゲンガーがいるなら犬もいて当然だろうと妙に納得した記憶がある。

まあ、ゴーゴリだってペテルブルクの公務員の顔から鼻が逃げた話を書いているし、村田のように肛門が消え去ることなんてたぶん世界中の怪談を探せば似たような話があるだろう。

だけど、これから話す恐怖体験なんて、おそらく人類の歴史上、あの日にあの学校にいた人間しか見たことがないだろう。――太陽が肛門に犯される様子なんて。

 

 

村田とともに農道に毛が生えた程度の通学路を走っていった。ふと疑問に思って村田へ聞いてみた。

「ドム、なんでお前は自分のケツの穴の形がわかるんだ?」

「ケツの穴が逃げたとき、あいつはトイレの窓へ走っていって飛び降りたんだ。さすがに顔、じゃねえや、肛門ぐらい覚えている」

二人で田んぼを流れる高野川を渡るともう目の前は学校だった。――校舎の正門には、あろうことか村田の肛門が腕組みをしながら立っていた。生徒たちと、正門に常駐する警備員、そして教職員たちは離れたところに固まって、村田の肛門をおそるおそる見ていて、肛門はなぜかスーツを着用し、出席簿と数学の教科書を持っていた。

「ドム、気をつけろ」

「ああ。いつの間にか教師になりやがって。下手すりゃ殴られるぞ」

村田の肛門に近づくと、肛門も堂々とこちらにずんずんと近づいてきて、いきなり村田の胸ぐらを掴むと怒鳴りつけた。

「おい、村田。『太陽肛門』の対義語ってなんだ?」

「は、はあ?」

「教師に向かってタメ口とはいい度胸だ。なんだ、対義語っていう言葉すら知らなかったのか?」

「いや、そもそも太陽の対義語ってなんですか。てかそもそも太陽肛門ってなんですか?」

村田が質問すると肛門は「うるっさい!!」とヒステリックに怒鳴りつけ、村田の頭に出席簿を叩きつけた。

「いってえ!」

村田は顔をしかめて頭を抱えた。

数学科の中村みたいにすーぐ暴力に頼る教師だなと思うと、肛門は太陽を指さした。

「いいか、太陽は肛門なんだ。十八歳の女の無垢なる肛門なんだ。そして太陽の対義語は地球、肛門の対義語は陰茎だ。少なくとも俺はそう思っている。いいか、そこのお前ら、地球はな、でっかい陰茎なんだ。宇宙の極寒に震えて縮こまってるだけで、地球温暖化が進めばだんだんと勃起してくるだろう。まあ、どうせ、何十億年も使ってない陰茎だからすぐ萎えて使い物にならないんだろうがな。ああ、ほら、俺のペニスのほうが先に勃起してきたじゃないか」

突如、村田の肛門がむずむずと蠕動すると、その穴から陰茎――それはとても立派だった――が飛び出してきた。

周囲がどよめくなか、村田の肛門から這い出た陰茎は一気に直立・延伸し、大空へ向かって一直線に伸びていった。――果てしなく広い空、その向こうの大宇宙へ、そして、その空を統べる、十八歳の女の無垢なる肛門である太陽へ!

村田の肛門は「あちい! やっぱり太陽のアナルの中って暖かい!」と喜んだように言うと、頭をヘドバンし、陰茎を高速でピストン運動をさせた。

いったい俺達は何を見させられているんだ。肛門が太陽を犯すだなんて。

呆気にとられていた――ホームルーム五分前の予鈴が鳴り響くと同時に、肛門はぶるぶる震えて絶頂した。陰茎全体がどくどくと脈うつ。

そのとき、空から甲高い喘ぎ声が雷を百発同時に撃ち落としたような大音量で鳴り響いた。すぐさま空を見上げる。突き刺さった先の太陽はぶるぶる震えてびくんと跳ねると、それこそ十八歳の敏感な女が絶頂したあとのように、死んだようにぐったりと空に横たわっていた。

 

 

村田の肛門が村田の体に戻ってきたのはホームルーム後だった。村田いわく、トイレに行くとそこに肛門が立っていて申し訳なさそうに謝ると、ワイシャツとスラックスの間にダイブして戻ったということだった。

村田にはドムのほかに「太陽孕ませマン」というあだ名もあった。それも当然俺がつけたが、よくよく考えてみれば太陽は肛門だから孕ませることなどできない。

大学生になってもこのあだ名が使われたかどうかは知らない。

2025年3月24日公開

© 2025 眞山大知

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"母校の思い出"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2025-03-24 21:36

    女性の場合は肛門の裏側は尿道になるのかなと思いました。孕まされた太陽は一体どうなったのか。私たちが今見ている太陽はあの時と太陽とは違うのかもしれない……。2割の事実が気になりました。ドムとエッチなラノベ……?

  • 投稿者 | 2025-03-24 22:51

    まず8割の嘘については
    ・この学校が母校でない(中高一貫校を中学卒業した段階で辞めて別の高校に行く)
    ・肛門が逃げ出す事件は起きていない
    ・高校の同級生に村田という苗字が存在しない
    ・眞山は本名でない

    2割の事実は
    ・うっかりドムとあだ名をつけてしまったヤツがいる
    ・親父と犬のドッペルゲンガーを目撃したこと
    ・エロラノベにハマっていた

    という感じです。

    毎日、天に昇るのはこんな無理やりな形で男を知ってしまった太陽なのかもしれません。

    ※肛門の裏の話はちょっと分かりにくかったので修正しました。また、太陽は肛門なので正確にはアナルセックスだったことを書き足しました。

    著者
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