【織田作之助の舊さ】
最後に、「現代小説を語る」の一場面を見てもらいたい。
太宰「……織田作之助といふのは一つも傑作がないだろう。駄作ばかり……。」
織田「ないんだ。それで何書いても面白いんだよ。何書いても誰と一緒に書いても俺のが一ばんくだらなくて、息もつかせず讀める。ちつとも傑作ぢやないのだよ。」
太宰「息もつかせず……?」
織田「讀ませるよ。」
坂口「そういうところはあるね。」
太宰「織田作之助は舊いよ。舊くないか。」
坂口「いやそうじゃない。太宰も舊いし、俺も舊い。俺たち一ばん舊いんだよ。」
ここで言う「舊い」とは何か。僕に解釈させれば、織田作之助の小説には小説というものの始まりの姿が残っているということだ。始まりの姿と言っても、何も文語で書かれているということではない。俗的な言葉で言えば「小説本来の面白さ」、あるいは「文章の上手さ」というものだ。確かにオダサクの作品は傑作かどうかは別として、「讀ませる」ものがある。難しいこと、堅苦しいことは書いていない。おそらく戯れに作っている。そうでなければ、わずか一年足らずの期間に、破格の原稿料で多数の連載を同時進行することなんてできなかっただろう。
誰もが「文壇進歩党」の後を追いかけて小説を書いていた時に、オダサクは肉体を失いながらも、あらゆる思想を排除し、小説が生まれた時から存在したであろう「小説の思想」のみを信じて小説を書きまくったのである。これこそがオダサクの小説が持つ特色であり、自由を手にしたオダサクが戦後いち早く羽ばたくことができた理由ではないか。
「小説」がこの世に生を受けた時、そこに「可能性」を限定するようなものがあっただろうか。オダサクは戦中、何度か発禁処分を受けたが、「小説の思想」のみを追いかけたオダサクにとって、規制の強かった戦中は何も書けないのも同然であり、戦後になってようやく「可能性の文学」などと言うまでもなく、書きたいものが全て書けるようになったのである。発禁処分も受けないような小説家には、この自由の使い方など分からなかったに違いない。ただ単にオダサクは今まで出来なかった事をやっただけ、いや、オダサクもそれ以外の作家も、戦中と戦後においてやっていることは何も変わっていなかったのであろう。
人々の心が移ろい易い現代、古ぼけて時代遅れになってしまった小説の化石をいつまでも掲げるよりは、始まりの姿を保ったまま生き続けているオダサクの小説にこそ、見るべきものがあるのではないだろうか。オダサクの小説は初めから舊い以上、決して古くならないのであり、古くなっているとしたらそれは『夫婦善哉』や『可能性の文学』という看板が古いのだ。
言って見れば、オダサクは「文壇進歩党」に対する「小説原理主義」である。その中身は種々の宗教の原理主義とは真逆で、彼は小説を決して崇高なものと見なしておらず、むしろ投げ捨てたってかまわないというくらいのものであった。しかしオダサクは特に過激派で、『可能性の文学』は、「文壇進歩党」に対する自爆テロだった。
思えば、現在に至っても文学はやたらと、お高くとまっていないだろうか。心境小説的私小説を最高の権威とするロビー活動は流石になくなったようで、まさに「文壇進歩党」など信じる価値のないことが証明されたわけだが、未だに「文学」というものがそのほかの芸術より一段も二段も高いところにいるようでは、オダサクの自爆テロも最高の結果とはいかなかったらしく、かくして「文壇進歩党」は生き残り、文学の地位を高めるために今もなお精力的に活動中だ。
省みてオダサクの小説は、始まりの魅力を保ち続けており、また評論は目的こそ違えど結果としては文学の地位を貶めるようなものだったのであるから、「文壇進歩党」にとっては、オダサクの存在が表に出てきては困るのである。だからこそ「体制維持」のためにも『夫婦善哉』や『可能性の文学』というレッテルを貼って、70年経った今、無かった事にされつつあるのだ、という推理を僕がしたところで、探偵になりたいわけではない。作家は作家である以上、文学を貶める事など出来るはずがない。しかし、オダサクはただ一人「小説の思想」に殉死した。誰も言えないことを言い、誰も書けない小説を書いたのだ。私たち読者は「文壇進歩党」と「小説原理主義」のどちらに票を投ずるべきか、常に考えていなければならないのではないか。
【まとめ】
織田作之助は太宰治や坂口安吾と並ぶ「戦後無頼派作家」である。そして、織田作之助が「戦後無頼派」として語られることは、現在ではほとんどない。織田作之助という作家に対するこの評価と現状は、どちらも偽りのない事実である。
太宰治と坂口安吾に並ぶという評価を得たのは、間違いなく戦後の作品であるのにも関わらず、代表作はいつまでたっても『夫婦善哉』として読者に与えられている。『夫婦善哉』はオダサクにとってサルトルとの差を克明に浮かび上がらせるだけの「愚作」なのに。
そして、『可能性の文学』などという文学理論があるわけでもなく、その中身はツギハギだらけの大風呂敷であるにも関わらず、オダサクの死によって大きくなり過ぎたが故に、織田作之助の小説イコール「可能性の文学」であるという色眼鏡がかけられてしまう。「可能性の文学」なんてものは存在しないのに。
こういった点に見られるギャップを取り除くため、とは言ってもほとんど僕の興味本位で始めた本論も、オダサクが間違いなく太宰や坂口に並ぶ、あるいは短い間ではあっても、それ以上の存在だったことが確認できただけで僕としてはもう満足なのだが、やはり現状を憂う思いが残る。
微力ながら再評価のために、『夫婦善哉』という看板と、『可能性の文学』という実体のない色眼鏡の存在をもう一度見直し、『小説の思想』に目を向けるよう提案したが、それを踏まえたうえでの個々の作品の魅力については、『木の都』を少し触れた程度で、その他にはほとんど言及することができなかったことが心残りである。とはいえ、オダサクの小説は傑作でもなく、大したことも書いていない、ただ面白く「讀ませる」小説であるというだけなので、ビブリオバトルで扱うことも難しいだろう。
しかしやはり、戦後の作品が読まれるような機会がない限り、再評価はありえない。まずは知名度の向上が必須。現在は国語便覧に名前すら載っていないのだから。「天衣無縫」の能力者でも良い。三つ編みしてても良い。太宰、坂口、織田という三人の親密な関係を話のネタに、関西弁で高身長の夭折の天才というキャラを売っていく必要がある。カレー好きの善哉好きという、辛党なのか甘党なのか分からない設定も使えるだろう。それが冒涜になるのかどうか、僕には分からない。しかしそれでも、戦後の作品が文庫化されることは期待できない。流行り物でもないし、売れるという判断は下されないと思われる。そこで電子書籍がその役割を果たしてくれるかどうか。わざわざ『大人の童話』を読むために、大学の図書館に行く必要がなくなるように、もっと多くの作品が幅広く普及してくれることを願う。
以上に見てきた通り、文学史上極めて特異な位置にあると言える織田作之助であるが、特異であるが故に、いわれのない様々なレッテルが貼られていることも否定することのできない事実である。しかし、特異であると感じるのは僕たちが思想や定跡に毒されているからに他ならないのであり、オダサクの小説はもっとも原始的な姿を保った小説なのである。現在、織田作之助という存在は、ワシントン条約を適用してもらいたいぐらいの状況かもしれないが、彼の小説が原始的な姿のまま生き残っているというならば、絶滅さえしなければ必ず再評価される日が来るだろう。その日を待つためにも、まずは無闇やたらに貼り付けられた張り紙を綺麗に取り除いておく必要があるのではないだろうか。
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