私の父には悪癖がある。
人の意見、考え方を自分の意見に塗り替え、修正する。
それを無自覚で行っている。
私はこの無自覚の暴力を、子供の頃から浴びせられている。
おかげで、私と姉は自分の意見を自発的に発言する自信を奪われ、自己肯定感の低い大人に育った。
私は社会不安障害に陥り、姉はストレスを溜め込むと体が石のように固まり、何も言えなくなってしまうようになった。
あのおぞましい修正癖の傷痕だ。
姉はすでに病気で他界しているが、もちろん父は今も無自覚のままだ。
自称インテリ、プライドの塊、そして救いようがないほど鈍感な男。私の父親だ。
この男は、驚くことに神道を熱心に信仰している。
毎日、神様への感謝の呪文を長々と唱え、そうすることで心が成長し、先祖霊に守られるのだと信じきっている。
だが、その背中で彼は、私のクレジットカードを勝手に使い込み、私を自己破産へと追い込んだ。
その際も、謝罪の一言すらなかった。
毎日神様に感謝を捧げているが、彼は人に謝罪をするということをまったくしない。
自分を見つめ直す、反省するとういう概念そのものが欠如しているのだ。
宗教とは、これほどまでに無力で、時に人を傲慢にさせるものなのかと絶望している。
彼が唱える「感謝」は、自分の弱さと向き合うことから逃げるためのカモフラージュに過ぎない。
本当の心の成長とは、地獄の底から血反吐を吐きながら、見たくない己の醜さを凝視し、そこから這い上がろうとする足掻きの中から生まれる。私はそう確信している。
神に祈るだけで無条件で成長できるほど、人生は甘くない。彼の心の「コア」の部分は、この数十年、一ミリも成長していない。神に守られているという慢心が、彼から「本当の成長」の機会を奪い続けているのだ。
やがて私は耐えられなくなり、父へ反発するようになった。
父の失礼な言動へ怒りをぶつけると、かならず彼は開き直る。
そして、最終的に弱ったフリをし、被害者を装う。
これを私は「第二形態」と呼んでいる。
これもすべては臆病さの裏返しだ。
私から見える父は、もはや「聡明なインテリ」などではない。ただの「哀れな臆病な老人」だ。
精神科の主治医は言った。「父の正解は、君の正解ではない。君は君の正解を作ればいい」と。
私は子供の頃から、父親の言う事がすべて正しい、正解だと思っていた。
父親の言うことを聞いていれば間違いないんだと。
私は、父という名の絶対的正解に、自分を無理やり当てはめようとして壊れた。
だが、もうそんな必要はない。
私は、私を解放する。
「哀れな臆病な老人」を無理やりリスペクトするのはもうやめだ。
彼の「修正」を拒絶し、この不恰好のまま、傷だらけで歩き出すことを、ここに宣言する。
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