ソウというえいがを見ました。とてもおそろしいな、こわいなとぼくはおもいました。ソウというえいがでは人がしにます。二人の男の人がはいきょのバスルームで目をさまします。二人の男の人の足にはくさりがつながれていて、じゆうにうごくことができません。バスルームの中おうには二人とはちがうべつの男の人のしたいがよこたわっています。カセットプレーヤーからはゲームかいしというこえがきこえます。そんなじょうきょうから二人の男の人はだっ出しなくてはいけないのです。だっ出しなくてはしんでしまうのです。ぼくは本とうにこわいなとおもいました。
おとうさんやおかあさんにはこういうえいがを見たとは言えないのですが、このえいがを見たあと、しぬってどういうことかきいてみました。
おとうさんもおかあさんも、
「よ空のおほしさまになることだよ」
といっていました。
「天ごくにいくことだよ」
ともいっていました。
でも、ぼくはこのえいがの人たち、バスルームにつながれた二人の男の人も、はん人にべつのけんでとらえられて生きのこるためにゲームにさんかさせられた人たちも天ごくにいくとはおもえませんでした。それに天ごくにいくにしてももうすこしおだやかな、マシなしにかたはないのだろうか。とおもいました。
ぼくはこういったゲームにさんかするのは本とうにいやだなとおもいました。ぼくだったらどうするだろうとおもいました。そもそもゲームにさんかさせられた人たちはみんな、ちょっとだけわるいことをしているようでした。わるいことをしているためにはん人によってこのゲームにさんかさせれたみたいでした。なので、わるいことをしないようにするのが一ばんです。ぼくはわるいことをしないようにしようとおもいました。わるいことさえしなければゲームにさんかさせられることもないのです。でも、なかにはちょっとじさつをほのめかしただけでゲームにさんかさせられる人もいました。ぼくはこれから先もそういうことをするつもりはないのですが、でも、ちょっと人のちゅう目をあつめたいというのはあるような気がしました。
しょうにんよっきゅうというものです。ネットのせかいや、Xとかにはそういう人がたくさんいるそうです。しょうにんよっきゅうおばけです。たまたましゅだんがじさつというものであっただけで、その人もしょうにんよっきゅうというものがあったのではないかとおもいました。みんなからちゅう目をあつめたかったのではないかとおもいました。だからそれだけでゲームにさんかさせられるのは本とうにおそろしい、こわいなとおもいました。なにがはん人のきんせんにふれるかわからないなとおもいました。ぼくだってこういうことに、まきこまれてしまうかのうせいがあるのではないかとおもいました。こないだアリをふんでしまってしなせてしまったことがあります。だからもしかしたらぼくもゲームにさんかさせられることがあるかもしれないとおもいました。とてもこわいなとおもいました。
このえいがの中でぼくはアダムという男の人がすきでした。アダムはバスルームで目をさます二人の男の一人です。
アダムはほめられた人げんではないのですが、でも、アダムという人はこのえいがをとてもしめているなとおもいました。アダムのそんざいが、このえいがにおくゆきをもたせているのではないかとおもいました。アダムは、りょうりでいうところのおとしぶたのようなやくわりをになっているのではないかとおもいました。
というわけで、アダムの名シーンをしょうかいします。
えいがのオープニング、バスタブの水の中で目をさますところ
シャツやおふろのせんをつかってカセットプレーヤーをとろうとするところ
トイレのきたない水に手をつっこむところ
そうそうにしきゅうされたのこぎりをこわしてしまってキレちらかすところ
こんなじょうきょうにいるのにタバコを、しかもはん人がよういしたタバコをすいたがるところ
どくの入ったタバコでしぬえんぎをするところ
でん気ショックをうけるところ
カメラのフラッシュでじぶんのいえへのしん入しゃをさがすところ
気もちわるい人ぎょうをバットでこわすところ
じぶんの足をきるゴードン先生を見るリアクション
いのちごいするところ
けんじゅうでうたれるところ
トイレのふたをつかって人をころすところ
しんはん人とのかいこうのときのリアクション
ぎゃくてんがしっぱいするところ
絶叫
そのままエンドロールにいくところ
このように、ソウというえいがの中にはアダムの名シーンがたくさんあります。とくにぼくはトイレのタンクのふたではん人、本とうはその人ははん人じゃないのですが、はん人をなぐりころすところが大すきです。
ぼくはやくしゃではないのですが、もしもぼくがしょうらいやくしゃになったとしたらあれはやりたいなとおもいました。ぜったいにやりたいなとおもいました。
アダムはそれまでそういうことをするタイプの人ではありませんでした。そんな大それたことをする人というかんじではないやくでした。人ぎょうをなぐるのがせいぜいの人でした。
でもぼくは、アダムはゴードン先生にけんじゅうでうたれて、そうなったのだろうなとおもいました。のうないまやくがドバドバと出たんだろうなとおもいました。このときアダムはゴードン先生にかたをうちぬかれたのですが、それでもアダムはいかりにまかせてトイレのふたではん人のあたまをなぐります。いたみなんてかんけいないというかんじでなぐります。なんどもなぐります。トイレのふたがこわれるまでなぐります。
そうしなくてはしぬかもしれないからです。一さいのちゅうちょなくなぐります。
とてもこわいかおでなぐります。ききせまるかおでなぐります。さけびながらなぐります。そうしなくてはしぬかもしれないからです。
ぼくはこのシーンが大すきです。ぼくもああいうじょうきょうになったらああいうことができるだろうか。そうおもいました。じぶんのいのちをまもるために、ああいうことができるのだろうかとおもいました。いまもかんがえているのですが、まだわかりません。
でもさいご、なんとかなるとおもっていたのに、けっきょくアダムはたすからないかんじでえいがはおわります。
絶叫。
アダムの絶叫でおわります。
そしてその絶叫のさなかに、エンドロールがはじまるのです。
ぼくはこれがとてもみりょくてきなエンドロールのはじまり、えいがのおわりかただとおもいました。
でも、ぼくはこういうじょうきょうにはなりたくないとおもいました。
こんなことになるくらいだったら、いさぎよくしんだほうがマシなのではないかとおもいました。でもきっといさぎよくはしねないのです。なぜならはん人がにげみちをよういしているからです。それで生きのこれるというかんじが、いさぎよくしぬのをためらわせて、そのうちにじかんがきてしまってそれでしぬのです。むごたらしくしぬのです。
ぼくはぜったいにこういうじょうきょうにはなりたくないとおもいました。
でもなにかが、はん人のきんせんにふれてしまいぼくもいずれどこかでこうなるかもしれないとおもうと、とてもこわくなりました。おそろしくなりました。そのときトイレのふたで人のことを人ともおもわないでなぐれるだろうか。そうおもいました。
やめろ!
やめろ!
やめろ!
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