最近実家を出て、スーパー通いが始まった。スーパーがなぜだかとても好きという人は意外と多いんじゃないかと思います。

色も形も賞味期限も様々で、電気がこれでもかって位に光っていて、ひんやりとしていて。私は映画や小説でもいわゆるSFというジャンルが結構好きで、見たり読んだりしていますが、未来のスーパーって、今のスーパーとあまり違いがない描かれ方をしていることが多いと思います。

洋服やら外見やら通信方法は今とずいぶん違ったものをイメージするらしい人たちが、スーパーとなると結局雑多なものたちが雑多に置かれているだけの扱いをする。置かれているものが錠剤になったカレーだったり、逆に物資不足で缶詰が少しだったり、お金の代わりに変なカードで払ったりするだけで、基本的なスーパーの役割っているのは変わらないらしい。ハードボイルド小説の主人公が食べ物よりもお酒が好きっているのと同じ位、普遍的にスーパーには食べものなんかが売っている。

今では私自身もインターネットで買い物をすることが増えて、そうなってくるともうお店というものも必要がなくなってしまう。地球は崩壊しかけて、縄文時代みたいに狩をして、水を川まで汲みに行くという お話は見たことがある気がするけれど、誰もが一歩も家から出ずに生活をおくるというSFはあったかしらん。一歩も出なければ事件らしい事件は何も起きないかもしれない。でもインターネットがあるのだから何かしらの衝突だったり、結びつきだったりはあるのだろう。

などと考えているときに、NHKでスーパーマーケットのドキュメンタリーを見た。これは鹿児島の人口2万5千人の村にある24時間営業のスーパーマーケットの話だったのだけど、なんと人口2万5千人なのに、1日に1万5千人の人が訪れるらしい。村に大きな、大きすぎるスーパー、これも近未来的な風景なのかもしれない。

竹之内 温