「熱狂できないということは凡庸のしるしだ」
(バルザック)
上の言葉は私が15年間、落ち込んだ時も、多額の借金を抱えた時も、ずっと心の中でつぶやき続けてきた人生のスローガンだ。
…というのは嘘で、ついさっきインターネット上で検索して、「心に残る名言集」というウェブサイトから拝借してきた。
「己戸春作」と書いて、「おのれど・はるさく」と読む。オノレ・ド・バルザックにあやかった。こうした命名は江戸川乱歩以来(それ以前からか?)、日本では珍しくないので、こうした命名が「凡庸のしるし」かもしれない。
私は今のところ、紙媒体の「破滅派創刊号」にエドガー・アラン・ポーの短編の翻訳を投稿しただけで、ウェブ上の「破滅派」には何も載っていない。なので破滅派との関わりはまだそんなに深くなく、同人というよりはむしろ傍観者に近い。
ただ、破滅派ウェブサイトにもある「破滅派発刊の辞」に書かれているような「破滅派」の黎明期を知っている。2000年ごろ、大学キャンパスで間近に見た。
私も当初、「破滅派って何なの?」と思った輩だ。「破滅」とかいきなり言われてもピンと来なかった(正直、今もあまりピンと来てない)。
しかし、彼らは傍観者たちの冷めた目線をよそに着々と構想を練り、長い潜伏期間を経て、サイバースペースに新しい共同体を造った。破滅派の「スクラップ&ビルド」精神は、冊子創刊号の表紙に書かれている「後ろ向きのまま前に進め」という言葉に集約されるのだろう。
世の中には文学の志を抱きながら、世を忍ぶ仮の姿のサラリーマンやOLなどに化けた文学タヌキたちがたくさんいる。そう考えれば、破滅派の潜在ニーズも結構多いにちがいない。
破滅派が「凡庸」という名の皮をまとった「熱狂」たちでにぎわうことを願いたい。