その日暮らしながらもブルース弾きが、「お前、明日から、年収一千万にしてやるから、唄って踊るだけの、パンダになれや」 と、言われてもなるか? 古典に励んだ落語家が、「コンビを組んで漫才したら、一生涯、生活の保障をしてやる」 と、言われそうするか? 或る意味、悪木盗泉、瓜田李下。真剣に、自己の何かを伝えるとしたら、その、一念だけだと思う。
ハナシは変わり、年越し日記。
さて当方、下手に気取って、間借りしている部屋にテレビを置いていないのですが、矢張り、結局は日本人。暮れはどうしても、『ゆく年、くる年』だけは見たくなり、視聴する為に最寄駅近辺のネット・カフェへと駆け込み、その中で新年を迎えました。以下は軽く、そこで起きた出来事を書きます。
正月だろうがなんだろうが、ネット・カフェは変わりません。当方も深夜に入店したからには、一時間・四百円を払い帰宅するよりも、七時間・千五百円のナイト・パックで、夜明けまで居座ろうと思い、個室部屋で転がっていました。判りきっていた事ですが、このご時世、店内は作業服の年配者やら、如何にも、常連オーラを漂わせている若者やらで、混雑していました。勿論、当方、それを笑う事なぞ出来ません。紙一重、月並みに、明日は我が身ですから。最近は、如実に肝臓が痛んで堪らない日々。ただ、隣り部屋から聞こえる歯軋りの、余りにもの気持ち悪さには、発狂しそうになりました。
やがて朝が迫り、そろ々々、公園でも散歩がてら帰ろうかなぁと、久々に読み直していた『三国志』を戻しに、フロント脇の本棚に向かったトコロ、或る女性に「こんばんは」と、声を掛けられました。半年前、多少は金銭に余裕があった頃、何度か飲みにいったバーの女給でした。
「あれ、奇遇だね。明けましておめでとう」
図らずもこれが本年度、当方が発した最初の台詞となりましたが、お互い、そこはただ単に、ちょっと顔を知っているだけの、それも飲み屋での関係。中学生でもあるまいし、それだけで終わる筈の「挨拶」でした。然し、彼女も返却しようとしていたのか、手にしていたポンチ画が『水滸伝』だったので、ニ、三言だけ「会話」をしました。
「いいの読んでるね。まだ、二十三、四才ぐらいだったよね、珍しいね」
「えー、よく言われるけど、トシは関係ないよ。ワタシ、同年代でハヤリの、官能くずれモノとか興味ないし」
「でも、それじゃあ、彼氏も嫌がるだろう? なんて言うのかなぁ、例えば、味噌汁(ミソシル)を、味噌汁(ミソジル)って、発音するな! みたいに」
「アハハ、なにそれ? イマイチ意味が判らないよ。第一、今、ワタシ彼氏どころか、住むトコロもないし。こないだのクリスマスも、一人でここにいたし」
可愛い笑顔を持ち、美しく自己を保ち、屈折していない綺麗な心を備えたこのコすら、俗に云う、『ネット難民』か。当方、「もう随分、泥酔しているけれど、これから三度吐くまで一緒に飲もう。途中で吐き疲れたら、隅田川でも見に行こう」と、喉まで出かかりましたが、今日は元旦、もうこれ以上、どうせやり遂げれない、感傷に従うの辞めようと瞬時に考え直し、それでも大袈裟に握手だけ強要して、サヨウナラしました。まあ、これを読んで頂き、皆さん全く意図が判らないでしょうが、新年、つい先程、実際に起きた事実を、日記としてありのまま書いただけで、それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、『破滅派』 これからも所謂、現代の梁山泊であって欲しいなぁと思います。
迎春。