ナガサキ=原爆、と、思われがちだが、実はそうでもないのである。

当方、ナガサキ一の繁華街から、歩いて五分圏内に住んでいるが(それでも村レベル)、原爆が落とされたのは、郊外の、浦上、という地区であって、当時からの盛り場の所謂、この丸山界隈は、ほぼ無傷。
だからこそ、浦上界隈は、その後、国の援助で整備されたのに、丸山界隈は、市街地付近なのに、町並みが三百年ぐらい変わらず、汚いとの意見もある。確かに、当方がこの現世で一等、忌み嫌う、蔦だらけで、背中が痒い感慨を覚える。

天領だったナガサキ地区と浦上地区は、江戸幕府時代には、三里も離れてないのに敵対していたし(現在でも、連帯感は希薄、例えれば青森県の八戸と津軽の関係に近い)、そもそも、浦上地区に原爆が落ちたのは、第一標的の北九州が曇っていたから、往時、三菱の主要軍事施設があった浦上に落とした、と言われるが、それだけではなく実は、宗教(主にカトリック上の)問題もあった。ナガサキ地区に、英米が開いた協会が密集していたのに対し、浦上地区には、ポルトガル、スペイン等の、所謂、鎖国以前の協会群が多かった。有名な、「浦上四番崩れ事件」も、嫌悪感として関係があったと思いますね。

とにかく、明日の十一時二分、当方は寝ているだろうが、この辺にも狂ったように鐘がなるから、TVなぞでその光景を見たみなさんは、「ああ、あのお馬鹿も、このカトリックの集落で、だらだら生き延びているんだろうなぁ」と、想いだして頂ければ、幸い。

実は起伏が激しく、半アル中と言われているイエスの真似をして(吉田拓郎が、下手なバラエティーより、国会中継の方が笑えると言ったらしいが、いやいや、バイブルは見方を変えれば、それこそ嬉々として読める。イエスが商人に絡んで、屋台を壊すトコなぞ、真意は置いといてギャグでしかなし)、無論、祈りつつも酔いどれ天使で式典にでも出たいが、ここは小うるさい日本国であるが故、断念。しょうがない発言(そもそも、被爆した関係者以外、痛みを知ったフリするのは、おかしい。語り継がれるモノとしても、未だに、関が原の合戦で、家族皆殺しにあった、と訴える末裔はいないだろう)。極論を、吐けない人の子は総じて、偽善者、である。

サンパイ・ジュンパ・ラギ。

山谷感人 拝