今年で二年になる女子高校生・共子は下校の道を一人で歩いていた。ありふれた田舎の土地を照らしている夕暮れはすでに溶け始めていて、薄っすらとした紺の色が見え隠れしている空だった。
広大な田んぼと田んぼの間の、土の道。おおよそ直線の、小さくて長い道。共子はそれをゆっくりとした足取り、牛歩とも表せるような小さな歩みで行く。それは共子が、この広く自然に溢れた地元の風景を五感で堪能しながらの帰宅を楽しんでいるためでは決してなく、むしろ現在の共子は、どん底の感情に全身が沈んでいた。故に、通常ならば十分ほどで自宅にたどり着く帰路も、まだ三分の一ほどしか歩いていないにも関わらず、すでに学校を出てから三十分が経過していた。
共子がここまでの落ち込みの中に居る原因はただ一つ。それは告白に失敗したからだった。
気に掛けていた女子生徒は、同学年の黒帯の文学少女。彼女の姿や声はもちろん、名前の字列を見ただけで、全力疾走をした後のような激しい息切れに襲われるという奇妙な事態に陥ってから、一年という時間をかけて互いの好みを共有し、学業でも、それ以外の事柄でも苦楽を共にした。そんな努力の結果、ついに先日、自宅を使ったお泊り会の開催を達成した。
お泊り会の最終の夜。彼女の寝顔を横で見つめる共子は確信していた。誰にも打ち明けていない悩みから全身のほくろの数までを知っている自分なら、いける。この女性と友情を超えた絆を作り、生涯を共にすることができる。
しかし、現実は違った。
女性として愛している。そう伝えてすぐに、彼女の顔には驚きと戸惑いが浮かんだ。不純物の無い氷のような瞳から、同性愛を拒絶をしているわけではないのは一目瞭然だったが、震えている唇から出た「ゴメンナサイ」の一言で共子は全てを悟り、そのまま一礼をして帰路についた。
あの時の彼女の、さまざまな感情が入り混じっている顔が、引きずるように足を動かす共子の脳裏に浮かんでいる。それは霧か、あるいは雲のように朧気ではあったが、どんなに振り払おうとしても、その輪郭が崩壊して消え去ることはなかった。
次に共子の脳に浮かび上がったのは、彼女とのこれまでの記憶、思い出だった。それは楽しく、思い返すだけでも全身が温かくなるようなものだらけだった。そしてその記憶の中では、彼女はもちろん、自分も輝いている笑顔を浮かべていた。笑顔で互いのことを見ていた。笑顔で、その瞬間の喜びを分かち合っていた。
共子の下校の道はまだまだ続いている。この直線に終わりが無く、どこまでも続いているものだと思えてしまうのは、単に道の先が地平線の向こう側にあるからだけではないだろう、と共子はしみじみと考えた。
足を動かす筋肉が、次第に硬くなっていく。息を吸うことすら、億劫になっていく。
まさに共子は今、沼の中に居る。どれだけあがいても抜け出すどころか、むしろさらに奥へと身体が入り込んで行ってしまうような、絡みつく沼にとらわれていた。
ふいに共子の下がり気味な視線の隅に、茶色い物体が映りこんだ。
共子は足を止めた。そして道の右側に置かれている物体に目を向けた。
それはいわゆる『お地蔵様』だった。共子の腰の辺りまでの背丈があり、こけしを巨大化させたような、ずんぐりとした形をしていた。
共子は地蔵に近づいた。その歩みは明らかに、今までの道のりを行く足取りよりも軽やかな動きだった。地蔵の簡略化されている顔を見ていると、どうしてか共子は、今まで自分の脳内に漂っていた曇天のような暗い感情を無視することができた。柔らかい土を踏みしめて、一歩一歩を確実に、地蔵に近づくことができた。
至近距離で対峙した地蔵はやはり茶色だった。共子が遠くから睨んだ際に受けた、人糞のような色の印象は全く変わらなかった。また、手を置くのにはちょうど良い位置に頭があり、共子は、せっかくだから、と地蔵のはげ頭に右手を置いてみた。
「まあ! このお地蔵様、チョコレートで作られているわ!」
地蔵のはげの頭に触れている共子は歓喜の声を上げた。鼻孔にカカオの臭いが触れたことで放たれた大声は、遥か遠くの山々にて涼んでいた鳥たちが一斉に逃げ出すほどの巨大で強烈な咆哮だった。共子は右手を高らかに上げると、さらに音圧を高めた咆哮と共に地蔵の頭を砕いた。柔道部にて他の部員から『親分』と恐れられている共子の剛腕は茶色い地蔵の頭を簡単に破壊し、光沢のあった綺麗な球状の頭は、月のような、不規則なでこぼこで構成されているいびつな球になってしまった。
「全くっ! 良いイメチェンになったわね!」
右手の指に付いたチョコレートの欠片を食べながら、共子は弾丸のような高速で帰路を駆けた。
"チョコレート地蔵と、地平線の向こうの彼女よ。"へのコメント 0件