滑りのある湯の中を浮いている。温いものが、全身に触れている。身体を重くしている倦怠に抗うことをやめてみれば、途端に煙のような眠気がすでに溶けている脳の中に噴き出て来て、意識がさらに薄まってしまう。そんな希死念慮と、どこにでも飛び込んでいけるような、無敵で派手な生の感触の泥。
視界の全てが視えていない。全ての輪郭が溶けていて、滲んだゴキブリが隅に蠢く。
脳がぼうっと茹で上がっているのを視ている。身体は、やはり動かない。自分自身が、意識のある不格好な彫刻になったとひたすらに思い込み、喉の辺りの違和感が、希死念慮であることにゆったりと気が付く。
耳の奥で鼓動を訊ねる。醜い自身が自傷をしている妄想を再生する。皮膚が洗剤を求めている。頭皮の悲鳴で炭酸を継ぎ足す素振りを連想する。朝の鐘で睡魔を思い出す。自分の巨像を液晶に視た。
日光浴の最中、腰だけを叩く。朝の鐘が、身体の電池切れだと思い込む。僕は汽笛のような日々の中で、希死念慮を泥に置き換えている人材を演じている。
室内で皮膚を落とすと、どうしても埃のようなゴキブリが見えるてしまう。僕は、どこでこの洞の窟に入ってしまった? どこで、線路を自分で創ると宣言してしまったのか。かの学者は、いずれにしても何かを提出することは無い。亭主関白な教授の他人任せが発動していて、境界の無い脳が勝手に動く。僕は、次の曲を再生してから携帯機器の硬い電源ボタンを押す。軍手越しの人差し指を、最新式の彼は受け入れないと知っている。
冷蔵庫が黄色い味噌汁で満たされている。研究所の個人金庫に、新鮮な水泳用液体が満たされていく音が鳴り響いて、森と泥を造っていく。
巷の石炭機構は道行く全ての人間に問いを掛けている。そして吐き出された石油が、自分の口に上手く入り込むのを待っている。上品らしさを前面に出している女の薬物常用の萎れた山羊も、必ず自宅では硝子製の給湯室に白い結晶を注いで、火を着けて吸ってから、液晶画面の操縦士の居場所を特定しようと動き出している。
この世で最速を冠している配達係は、従業員の体温を完全に暗記している。
そして二時間後には、いつでも桃色に発光する動物園飼育係と添い寝をしている。
寿司の飲食を大罪としている街では、ひったくりや万引きよりも、笹による興奮からの殺人の発生率の方が、圧倒的に高いのだ。
この街の麻薬取締官は、常に熱帯の激務に襲われている。だから彼らも薬物を使うことがある。視界の枠組みが虹色になった状態で、錯乱を終えた薬物常用者に事情聴取を行う。
「あえ? お前はいつから山羊になったんだ?」
青年を脱したばかりの麻薬取締官は、対面の薬物常用者の尖った鼻を睨む。
麻薬取締官になってから、違法系の薬物のありがたみや大切さに気付く取締官は少なくない。顔の皮膚に薬物の影響である瘡蓋のような黒いかさかさが一つも無い新人の彼らは、配属先の先輩取締官たちが休憩室や更衣室でお気に入りの薬物を吸っている所を見て激怒している。中には殴りかかる者も居るが、先輩たちはそれを簡単に避けて、さらに激昂の様を見て、「まるで老人の薬物常用者のようだ」と一蹴。床にへばりつく新人は、握り拳を冷たい床に叩きつける。
眼前の細々とした道はおおよそ直線で、左右には金色に近い黄緑色の草木が広がっている。
晴天で、雲は居ない。彼らはその胡乱な姿の一切を消している。
風も無く、空の前方には白いぼやが浮かんでいる。それが太陽であると気づいたのは、そのぼやを数秒ほど眺めた後のことだったが、幸いにも眼球はすでに焦げているので、支障は無かった。
視界の中の風景は、私の内心とは打って変わり、非常に穏やかであった。
私は歩いていた。自分で自分の二足を動かしたのかもしれないし、誰かに背を押されて、仕方なく歩き出したのかもしれない。
あるいは、見えない糸で前方から引っ張られているのかもしれない。
溶けかけている思考では、どんな要因がどのように連鎖して、私に歩行をさせているのかがわからなかった。
それでも私は歩いた。歩いていた。足を止める気になどならなかったが、死にたくはあった。
確かなことで、沈みたいとは思っていた。
三メートルだけの水泳教室で、重火器を持った華道の男が溺死する。幾何学を得て滝を登る鯉が、八尺の音で四季を理解する。古代文明の絵や文字で性交だけを願い、三月の短冊で開業を宣言している。咳きこみ職員が冷蔵庫を保存しているが、黄色い液体はすでにどこかへと流れ去ってしまっている。
平日の午後。一軒家の隣人に聞き込みのような尋問を迫った記者。
「お隣さん? あの人は茄子で靴下や閂を作っているのよ」
「それでも、彼は一切の給食費は支払わないのですね」
記者の彼はいつでも右小指をいちごべっこう飴に変換しから日常を始めている。
「それでもこの昆虫は毒が有りますからね、とても危険なんです」
「へえ、ならさっさとその小瓶に入れてくださいよ。危険なんでしょう?」
「ええ、ええ。とても危険なんです。だからこうして、処分をしましょうね」
記者は狐のような口を作り、小指と親指で挟んでいた百足を口に運ぶ。そのままむしゃりと音を立てながら咀嚼を続け、唾液や百足の体液でぐちゃぐちゃになった何かを隣人に見せつける。
「ほれ! ほれほれ! どうよ、この紫の! 良い物でしょう?」
「あああ、本当だあ! これは女神様も大喜びだあ!」隣人はすかさず記者の舌に乗る良い物に接吻をする。
それから舌を這わせて良い物を少しだけ掬うと、記者と一緒になってむしゃりむしゃりと咀嚼を開始した。
ごくんっ! という音が二度続けて鳴った。記者と隣人は顔を見合わせて、阿吽の呼吸でにっかりと笑い合う。そして互いの両肩を両手で抱きかかえると、さっそうと室内へと入り込んで行った。
玄関から一番奥の寝室にたどり着くまでに、二人は互いの衣服を強引に破き合い、普段は妻である隣人とその夫の男のみが入室をすることができる巨大な寝室へと、転がるように入り込み、さらにそのまま、白い布団へと倒れ込んだ。
"泥を這う。"へのコメント 0件