無言でむつきはすっくと立ちあがった。そして歩きだした。彼女のそれはまるで“Ouch!”を忘却するために歩くといった感じだったなあ。それにしたってさ、山道からちょっと横道にそれた話になるけどこの忘却したい“Ouch!”ってやつは日常のあらゆる場面でぶりかえすよね。僕はその“Ouch!”がぶりかえしてくると歩く速度をはやめ、そのうち“Ouch!”にたえられなくなると走りだしてしまい、そうしてまた転倒して将来うずきだす蓋然性の高い“Ouch!”を生成しちゃってる。で、そんな日々をくりかえしていると自分は“Ouch!”生成機器なのではないかという気がしてくる、高性能な。もちろん忘れてはならないであろう“Ouch!”――つまり忘れたくない“Ouch!”ってやつもあるさ。でもね、その忘れたくない“Ouch!”より忘れたい“Ouch!”のほうがうんと多いわけでこまってるんだ。あ、とは言ってもさ、どういうわけか忘れたい“Ouch!”を忘れたくないって思う日もあるし、またそれとは反対に忘れたくない“Ouch!”を忘れたいって思う日もあるよ。対義語の対義語が類義語ってことは反義語の反義語は反対語ってことなのかな。ん? ええと、要するに何が言いたいかというと、何も言いたくないんだ。
"Adan #79"へのコメント 0件