プロットを見せろと言ったら、紙かデータか、というので、反射的にデータでと答えた。その判断は正しかった。
もしうっかり紙で、なんて答えていたら、開始早々ノベルジャム運営陣の準備したコピー用紙は瞬時に枯渇して、誰かが一階の文具店に走らねばならなかったことだろう。
ぼくの危機管理能力に感謝するがいい。
テーマは「破」。これは運営から事前に告知されていたものだ。
何かを破り、新たな時代を切り拓く情熱をそこに叩きつけてくれという願いがこもったテーマである。
よし破ろう。
澤俊之がギターを担いでいる以外は、ほとんど近所に散歩にでるような軽装で現れたのに対し、米田淳一は全くの真逆のライフスタイルで市ヶ谷入りしていた。
完全装備。いや、完全武装。もっと言えばフル装備。いやいや、最終決戦仕様というのがふさわしいか。
ぼくもだいぶ入れ込んできたつもりだが、この男も相当なものだ。
ノベルジャム、とは確か即興で小説を書き、編集し、売るというイベントだったはずだ。
とはいえ、事前にテーマが提示されている以上、それぞれが準備をするのは当然である。抜き打ち検査とは違う。
各々が心の準備をし、精神の平穏を保つためにプロット案をいくつも用意してきたり、資料を持参したりすることだろう。
確かこの男は先日言っていたはずだ。「勝ち負けより、楽しみたい」。嘘つき奴。
エンジョイ勢はこんな準備などしない。そういうのは楽器片手にふらっとやってくるものだろう。なあ澤さんよ。
そして覆い隠したはずの米田淳一の情念は、その「プロット」にモロに現れていた。
USBメモリで渡されたプロットを、フォルダごとSSD側にコピーする。
フォルダを開くと、複数の文書ファイルが収められていた。
無造作にダブルクリックして、一つ目を開く。
ぼくは広島にいた。
ああ、そうだ。仕事で出張で日帰りでやってきたのだ。
ここいらの大学で教鞭を取る高校時代の同窓生と会うことになったので、時間を潰すために原爆ドームを見にきたのだ。
広島は初めてだった。
クラスメイトでもなければ同級生でもない。同窓生である。というのは、彼とは図書委員会で一緒だったのだ。クラス替えもあったが、彼とは一緒にはならなかった。
かつて彼とは恋敵であったこともあったわけだが、それはまた別の機会に。
元安橋のカフェでくつろいだあと、川沿いを歩いて原爆ドームへ。
思っていたのとは少し違う。
もっと近隣と隔てられて、隔離された空間にポツンと遺構があるものだと思っていた。
もちろん公園の中にあるので、雑居ビルが隣接しているなどということはないが、それでも道路を挟んですぐに近代的な町並みが広がっている。
写真では見慣れた建物だが、現実の風景として対峙すると、印象は完全に塗り替えられてしまった。
不可触な畏怖を伴った人類の暗部の象徴としてのみ認識していたぼくの中で、原爆ドームは、ご近所の火災現場のようにリアルなものに置換されていた。
漫画で、映画で、ドラマで、なんども見てきた形状が、平面から立体へとアップグレードされる。
建築物単体としてしか認識していなかったそれは、街並みの一部として再配置された。
わずかな時間であったが、一瞬にして広島をヒロシマに置き換えてしまったその現場をしばらく眺めていた。
自分なりに人間の罪やら、軍部の戦略的な過ちやらに思いを巡らせ、戦争とは集団ヒステリーの極みなのだななとどひとりごちた。
しかし、当時なにがあったかはもうどうでもよかった。
七〇年経った今でも、この街は呪詛の中にあり、まったく過去になんてなってないことに恐怖したのだ。
復興は成功した。見事な繁栄を手にした。平和の象徴にもなった。しかし、それはすべてあの日を起点にして語られるものだ。
それ以前、ここで何があったかなんて、少なくともぼくは考えなかった。それ以前は完全に失われ、すべてはそれ以降に属していた。
原爆ドームとは、その深く突き刺さるクサビのような建物だ。奇異な外観がとくにそう感じさせるのだろう。
来てよかったと思った。
もしここに来ていなかったら、ぼくは米田淳一の「プロット」を正しく認識することはできなかっただろう。
ここは広島ではない。市ヶ谷だ。東京だ。
しばらく気を失っていたようだ。
画面一面に広がる文字を改めて見た。
人はよく「プロット」という言葉を口にする。老若男女猫も杓子もプロットプロットだ。プロットとか言っておけば作家活動をしておじゃると言わんばかりにプロットばかりを書く。プロットはあるぜ、プロットを書いたぞ、プロットがあるから大丈夫。あープロットプロット。
軽くゲシュタルト崩壊をしたところで、あえて言うが、
これはプロットではない!
地の文と、セリフと、うんちくが揃っている。
文字数はすでに五〇〇〇を超えている。
書き出しから、書き終わりまで揃っているようにも見える。
まず何より箇条書きになっていない。
実用書で言えば企画書の提出を求められて、レイアウト済み完全校了データを渡すようなものだ。
漫画ならすでにペン入れまで済んでいる。スクリーントーンも貼ってあるかもしれない。
アニメならもうアフレコも済んでいるところだ。
そこでは、見慣れた名前の文豪たちが、いつもの米田節ではしゃいでいた。
気を取り直して。
次の文書も開いてみた。パッと見同じ感じだ。
次も。
その次も。
同じだ。すごいボリュームだ。もはやプロットではない量だ。
文芸の人らは、プロットを求められるとここまで書き込むのか。恐ろしい。
いやいや待て待て。おかしいだろ。こんなの絶対米田淳一先生だけだろ。
楽しい遠足の集合場所に、エベレスト踏破装備で現れた我らが孤高の小説家は、澄ました顔でパソコンの画面を眺めていた。
何がエンジョイ勢だ。誰よりもガチじゃねえかこの男。
「勝ち負けじゃない」としたあの言葉は、間違いなく彼の予防線だ。
ぷよぷとしただらしない皮膚の内側は、作家の情念でマントルが渦巻いているのだ。
米田淳一、恐ろしい子。白目。
さて、どうするか。
どれを選んでも修羅の道だ。
短くもない付き合いだからわかっていることがある。
米田淳一は誤字脱字が多い。その他いろいな問題を内包しまくることが多い。
本人も言っているが、校正は得意ではない。おそらくは若くしてデビューしてから、すぐに担当編集がついて、そのへんの面倒は全部見てもらっていたからだろう。
あとづけではスキルは身につかない。そういうものだ。
それに、完成に近いものに、どこまで手を入れられるか。ストーリー的に破綻している場合、後から直すのは困難だ。
どこがどこと繋がっているかを解析しながら、影響を精査していかなければならないからだ。
そいつは二日間でやるにゃあちょっとばかりヘビーだ。
用意してきた彼の「プロット」をすべて破棄することも考えた。
画面を閉じて、USBメモリを床に叩きつければ、それでご破算だ。
そして改めて、ぼくの指揮下で一からプロットを考えればいい。それは安全な航路だった。
懸念があるとすれば、すでに引き出しが空っぽということだ。
リセットしてこの男に残る何かを引っ張り出せればいいが、何も出てこないようだと明日には間に合わない。
かといって、一度破棄してケチをつけたプロット(作品)では、もう勝ち目はない。そんなものでは勝てない。
やはりこの中から選ぶしかない。
ぼくはもう一度プロットを眺め直した。
そして、脳裏によぎった審査員のプロフィール。
そうか。そういうことか。
いつくかの回路が繋がって、作動を開始した。そこには確かにスイッチが入る瞬間があったのだ。
ゴールまでの道筋が見えた気がした。
ぼくはプロットの一つを指して言った。
「米さん、これで行こうか」
つづく
"そのとき菅原文太が言った。「プロットとはなにかね?」"へのコメント 0件