はて。ぼくは何をしていただろうか。
ずいぶん時間が経った気がするが、まあ、いい。
記憶は改竄されているかもしれないが、この世はすべて移ろいゆくものだ。気にすることはない。
気がつくとそこはノベルジャムの会場だった。
一人の作家と目があった。米田淳一だ。
彼はぼくが担当編集だということをまだ知らない。
そのまままっすぐ彼の座るテーブルへと向かった。
驚いた顔でぼくを迎えた。そのとき彼はどのような気持ちだったのだろうか。
本人ならざるぼくには知る由もない。
ほどなくしてもう一人の担当作家、澤俊之も現れた。予告通りギターを担いでいる。
噂通りのギター作家だ。楽しみだ。
一〇時が近づくにつれ、一人また一人と参加者が集まってきた。
顔見知りの多いぼくでも、若干の緊張はある。まったくのアウェーで来ている人らはどのような心持ちだろうか。
そういう意味では、ぼくにとってはホームゲームだ。
負けるわけにはいかない。
概ね揃ったかというところで、運営側の挨拶があった。
チームの顔合わせもそこそこに、午前中の特別セミナーが行われる。
作家陣は会場に残り、藤井太洋理事の訓示を受ける。
ぼくら編集員は別室に移動して、三木一馬氏の特別公演を拝聴することになっていた。
あまり広くない会議室に通された。
とくに席は決まっていない。一〇人の編集者はめいめいかってに座席についていく。
ここでぼくは、最後列に陣取った。
ライバル全員を後ろから見ることができるからだ。
前方の高橋文樹はパソコンでなにやら仕事をしていたし、メモをとるふりをしてメールを送る者もいた。
脇の方ではボランティア参加の表紙デザイン隊が、会場の様子をイラストに描いていた。見事なものだ。
三木一馬氏の講義は、作家との心の合わせ方などを教えてくれた。
が、経験者であれば現場で感じ取っていることばかりであり、自分の感覚がトッププロと大差ないことを再確認するにとどまった。
そりゃまあ確かに、目新しいことはなかったが、彼ほどの編集者と同じことを考えていたのであれば、自分もまだまだ捨てたものではないのではないか、とは思えた。
それはそれで収穫だったかもしれない。
途中で編集者が一人退室した。
なんでも担当作家がセミナーを抜け出して一人下のエクセルシオールに行ってしまったというのだ。
三木氏も、そういう作家には寄り添う方がいいと、退室を許した。
編集者が出ていくときに、三木氏は「これで勝ったらカッコイイですよ!」と送り出した。
彼女はそれを聞き笑顔で出ていったが、結局そのエクセルシオール作家はノベルジャムに戻って来なかった。
どういうやり取りがあったのか、それはわからない。
誰がいつどこでリタイヤしても、それは当人の自由だ。誰にも咎められない。誰にも中断する権利があるからだ。
ただ、一つだけ残念なことがあるとすれば、その日、そこで生まれるはずだった物語は、誰にも読まれることなく、虚空に消えてしまった、ということだ。
消えてしまった物語。その登場人物は、何を伝えようとしていたのか。
それはもう誰にもわからない。
欠場者は他にも一人いた。インフルエンザで欠場した人だ。これはもったいない。
古田靖と組むはずだった作家だが、色っぽい作品が得意と聞いていたので、なんとも残念なことだ。ウイルス奴。
担当編集が一番残念に思っていたようで、夕方ぐらいまで元気がなかった。ような気がする。
計算上は、あと一人途中で帰った人がいたはずだが、直接関わっていないので印象にない。
最初からいなかったのかもしれない。
話を先に進めよう。
セミナーを終えて、午後になり、会場に戻ったぼくは担当作家二人と合流した。
作家生活二〇年。不屈の小説家・米田淳一。
ギター小説を描き続けるギター作家・澤俊之。
なんだかんだでキャリア二十五年のプロ編集・波野發作。
チームH。おじさん3人組。
スリーマンセルの成立だ。
素材は揃った。
さて、どう料理しようか。
つづく
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