でぶでよろよろの太陽(3章 の3)

でぶでよろよろの太陽(第9話)

勒野宇流

小説

2,684文字

   (3章の3)
 
 
 冷房がなく、衣類の質も悪かった時代。夏の夕暮れは、気だるい汗に覆われていた。どこにも逃げようがなかった。わたしは、ハンカチで絶えず汗を拭っていた。汗はそのままにしていたが、さすがにびしょびしょのハンカチはたまらず、ポケットから出すときに、「乾いている」と念じた。
 
 暑苦しかろうが、自分の思い描いている夕暮れの情景というのが夏なのだから仕方がない。もし夕暮れの景色というものが冬を連想させていたら、そう設定してもらっていたところだろう。
 
 ここの設定は昭和40年ジャストといったところではないだろうか。歩き回っていて、そんな感じを受けている。サッシ、ベランダ、リビングなど、わたしがもの心付き始めた時代には、もうかなり、カタカナが日常に入り込んでいた。しかし山深い田舎という設定だからか、まだまだ洋風のものは生活に入り込んでいない。仮にここが昭和40年と設定されているとすると、西暦では1965年。すでに地球の反対側ではビートルズが演奏し、間もなく来日を果たすという時代だ。十年も経てば日本国中にスーパーカーブームが起きることになるが、ここにはそんな華やかなるものの兆しがまったくみられない。
 
 この夕暮れの世界に来て時間がどれくらいすぎたのか、まったく分からない。だからどうにもつかめないが、おそらく現実の世界ではそろそろ3日目に入るあたりではないか。わたしはそう見当をつけていた。そのときが来ればわたしはこの世界で初めて眠りにつき、現実の世界で目覚めることになる。
 
 集落の中心部なので、ときおり人にすれ違う。家路を急ぐ勤め人は腹が減っているのか、それともナイターが気になるのか、速足で、わたしにまったく注意を向けることがない。そうかと思うと、杖を突きながら歩く老婆がひょいとおじぎをしてくる。
 
 角を曲がったところで、なんとなく人の群がる気配というものを感じた。それに従って歩いていくと、神社で夏祭りが行われていた。好奇心のまま、わたしはそこに向かう。
 
 まだ日が落ちきっていない時間ということで、人の出はそれほどでもない。喉が渇いていたわたしはラムネを買った。パイプ椅子に座ってウチワで扇いでいたおばさんは、よっこらしょという掛け声とともに立ち上がると、水を張った桶の中からラムネを一本引き上げてわたしによこした。
 
 わたしがきょろきょろと辺りを見回していると、おばさんは首にかけたタオルで手の水を拭き取りながら、そこだよと指さした。テントの支柱に、シルクハットの形の、小さなプラスチック片が紐でぶら下がっていた。
 
 それはラムネを開ける道具で、わたしはつまんでラムネの先端部分に充て、押し込んだ。手応えとともにシャッという音がして、開いた先端から中身が少し噴き出した。
 
 できるだけこぼさないように、わたしはすぐに口をつけた。慌てたからか、そのガラスでできた特殊な形の瓶が、前歯にガチンとぶつかってしまった。ビーンと頭に響く感覚。懐かしい痛みだった。
 
 あまり上に向けると途中に入ったビー玉が蓋をしてしまう。わたしはそうならないように加減して傾けながら、半分ほどひと息に飲んだ。渇いた喉に炭酸が沁みて、目じりにじわっと涙が出た。ラムネを飲み干したわたしはビンを返し、祭りをうろつきだした。
 
 鎮守の杜とでも言うのだろうか、本殿の裏は囲いもなく、木々が生い茂って先が見えない。道らしきものもなく、そのまま山になっているようだ。
 
 神楽殿のお囃子の、その音色が心地好い。櫓や縁日に灯がともされ、人が集まってくる。夏の夜の心浮き立つ、それでいて和やかなひとコマ。わたしは地上にせり出した大木の根に腰掛け、祭りを眺めやる。
 
 これもまた、原風景だ。わたしは気持ちが落ち着いてくるのを感じた。しかしそれとは別の部分で、かすかな恐怖心もあった。和みと怖れ。相反する気持ちなのだが、今のわたしには隣接した感情となっていた。
 
 誰ひとり知る者のいない地での、祭事の場。これが、わたしに小さな恐怖を与える。
 
 お祭り、そしてお囃子の音色というのは、人を狂わせる力を持つものだ。人は大なり小なり狂気を抱えるものだろうが、日常生活では、それを内に潜めなければならない。狂気は、それがたとえ大声や乱舞程度で迷惑を及ぼさないものあっても、周囲に露出させることは憚られる。それが祭りのときばかりは、外に吐き出すことが許される。今でこそ催しは頻繁にあり、カラオケやスポーツジムなど、小さな狂気の噴出は好きなときに可能な世の中となっている。 
 しかし以前は違った。特に近代化前は。狂気は、年のうち数日以外、抑えられていた。
 
 お囃子の音色は、その貴重な解放日の合図だった。太古の昔から、この音が流れるときは、集団の中に身を縮込ませて歩調を合わせないで済む日だった。ようは、血が沸き立つ日なのだ。
 
 そこを、よそ者として歩く。それがわたしは怖ろしかった。生け贄として飛び込んでいくような気持ちだった。
 
 もちろん、この夢の設定は昭和四十年代。戦後も戦後。封建社会ではないので、夏祭りごときで物騒なことが起こるはずもない。それは分かっている。しかし、祭りが特別ではなくなった現代社会でも、遺伝子にはお囃子の音色が組み入れられているのだ。地元民は子どものみならず大人でさえも浮き立つし、よそ者は怖れを感じる。人々は何千年もの間、同じ生活パターンで来た。たった一世代平穏になったからといって、そう変わるものではない。
 
 実際のところ、楽器の音など往時とは変化しているはずだ。今や機械での量産品で、材料もプラスチックなどの化学製品。しかし旋律は連綿と続いているもので、しっかりと血に溶け込んでいる。
 
 でも、とわたしは思う。現実世界ならともかく、これはわたしの作り上げた夢の世界なのだ。仮にも襲われるということは、あるわけがない。わたしの今の怖れは、無駄なものなのだ。
 
 わたしはここが自分の作り上げた世界であることを証明するため、ひとつの情景を頭の中で思い描く。「後ろを向くと、少女が遊んでいるだろう」、と。そして彼女たちは絣の着物を着ていて、紙風船で遊んでいる、と。
 
 わたしはゆっくり振り返る。そして少女たちは遊んでいる。しかしそれは着物姿ではなく、朱色の野暮ったいスカートだ。投げ合っているのも水風船。わたしの念じたものに、時代的な矛盾があり、訂正されたのだ。思い描いたものと合致しているのは、髪型がおかっぱということくらいだった。
 
 まぁそうだよなと、わたしは頷きながら立ち上がり、尻をパンパンと叩いてから歩き出した。
 
 わたしの夢のなかでの時間は、まだもう少しありそうだった。
 
 

2017年12月6日公開

作品集『でぶでよろよろの太陽』第9話 (全30話)

© 2017 勒野宇流

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