精神疾患を患って、二十年が経とうとしている。
社会不安障害、そして、うつ病。
これらを患って、人生、思考、性格が以前とはまるで別物に作り変えられてしまった。
健常の状態と、今のこの状態。
違いを例えるなら、健常な状態に何倍もの重りを背負わされた状態だと感じている。
私の世界では、普通の坂道をただ歩くだけでも、普通の人と比べて何倍、何十倍もきつい。
かつて、友人にこの苦しみを打ち明けた時、「あーわかる!」「あるよねーそういうこと!」といった、わかったフリをされた事がある。
これを言われてすぐに、私は友人に相談した事が無駄だったと絶望した。
私は人生の半分を健常者として過ごしてきた。
だからこそ、どちらの苦しみの性質も理解している。
健常状態の落ち込みを例えるなら、力一杯殴られて、物凄い激痛が走るが、徐々に痛みが引いていき、1日、2日経てば治っていく。
精神疾患による苦しみは、縄できつく縛られ続け、永続的に逃れられない痛みを与え続けられる拷問だ。
性質が根本から違うのだ。
そこが理解できず、健常状態での苦しみと同等に解釈されると腹がたつ部分もある。
しかし、これはどうしようもないことで、人間は実際に自分が経験してないことに対して100%の理解など絶対にできないのだ。
本を読んで学んだ事より、実際に転んだ痛みの方が身に染みて覚えているように。
ゲームでいうとノーマルモードとハードモードの違いと言えば簡単に理解できるだろう。
しかし、私はハードモードでプレイしたいわけではなく、普通にノーマルモードでプレイしたいのだ。
普通に人と会い、喋り、普通に働き、普通に眠る。
余裕ある、選択肢の多い人生を、コーヒーを飲みながらのんびり楽しみたいのだ。
しかし、ハードモードにこんなものは許されておらず、人と会う時には不安と緊張で落ち着かず、眠る事も許されない。特に約束のある前日の夜なんかは地獄だ。
常に頭の中で、したくもない会話の練習、シミューレションが反復される。
これによって、寝なくてはいけないのに頭が冴えて眠れない。
言っておくが、これは会社の重要な会議の前日ではない。
ただ友達とカフェに行く前日でこれなのだ。
もし、重要な会議の前日の夜だったら、私はすでに失踪しているだろう。
私はいい歳して、今だに実家で親と暮らしている。
何度か一人暮らしに挑戦しようとしたが、まず人と会う、家の
内見に行くのが困難だった。
しかし、なんとか無理矢理、内見までは行けたが、実際に申し込んで審査の段階でギブアップしてしまった。
家を出ようとしてから何週間もの間、不安と緊張状態が続き、まともに眠れず心が休まらなかった。常に緊迫しており、何も手が付かない。
趣味のゲームも集中できない。
私は超低収入なので、一人暮らしをした場合、一部生活保護に頼らなくてはいけない。
本当に生活保護が受給できるのか?それ以前に申請できるのか?そもそも市役所までいけるのか?
こんな事が永遠に頭の中でループし続け、次第に心は疲弊していき、気がつけばキャンセルの連絡を入れていた。
激しい自信喪失の果てに、今、私は少しだけ開き直っている。
社会一般が説く「自立」や「回復」の枠組みに、無理やり自分を押し込むのはもうやめだ。
この病を、この重りを、引きずったまま歩くしかない。
治らないなら、治らないまま、この深淵の底を突き進んでやろう。
ここから見える景色は、案外、光の世界にいる連中には拝めない面白いものかもしれない。
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