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お葬式ごっこ

合評会2025年11月応募作品

諏訪真

2025年11月合評会参加作品。「絶叫」

タグ: #ホラー #合評会2025年11月

小説

4,618文字

その舎、墓に近し。孟子の少きとき、嬉遊するに墓間の事を為し、踴躍築埋す。孟母曰く、これ吾の子を居処せしむる所以に非ず、と。
列女伝・母儀・鄒孟軻母より

 

わたしは子供の時の体験で、今でもお葬式に出たりお墓や火葬場に行くのが怖くて仕方がありません。

 

当時小学校3年生でした。同じ団地に住んでいた同い年の子と一緒によく遊んでいました。住んでいた団地は山の中腹に立っていて、山の方に入ると大きな霊園があり、そこが遊び場でした。特に仲が良かった子が二人いました。プライバシーのため仮にみよちゃんとかよこちゃんということにしておきます。

かくれんぼやおままごとなどをしていました。大きな霊園なので、たまにお葬式後と思しき家族がやってきているのを見た覚えがあります。わたしはもっとずっと小さい頃に、おばあちゃんのお葬式に両親に連れられて参加したことがあります。その時のことを説明すると、二人とも興味深そうに聞いていました。みよちゃんもかよこちゃんも、まだお葬式というものが分かりません。人が死ぬという感覚がまだ分からず、悲しいというより何か非日常めいた儀式を遠目で見ているという感覚なんだろうと思いますが、わたしも実感としてこの頃はまだみよちゃんやかよこちゃんと大きく変わるものではありませんでした。

 

ある日のことでした。霊園の奥の方に見慣れぬ道ができていました。気になったので三人でそこを通っていくと開けているところに出ました。新しく新設された区画なのか、お墓がまだ建っておりません。真っ平なので広く見渡せました。

と、その端の方の、少し高台になっている区画ががあります。普通だと大きな供養塔とかが建つような場所に、長方形の木箱が置かれていました。木箱の端に観音開きの小窓がついています。わたしはピンときました。これは棺桶でした。死んでしまったおばあちゃんが入っていたものとよく似ていました。みよちゃんが興味深そうに蓋を開けてみますが、そこには何も入っていませんでした。おばちゃんの時は花が一杯敷き詰められていたのに比べて、とてもがらんとして不気味な印象がありました。

 

かよこちゃんが突然「お葬式ごっこ」をしよう、といい始めました。じゃんけんで、お坊さんの役、亡くなった人の家族の役、そして亡くなった人の役をやろう、と。わたしはとても不快な気分になりました。亡くなった人で遊ぶということに何か後ろめたさを感じたから、というよりこの棺桶から言い表しようのない不気味なものを感じたからです。

この頃はまだ知識としてはっきりと知っている訳ではありませんでしたが、普通棺桶というのはお葬式の会場か火葬場に置かれるもので、野晒しにするようなものではありません。棺桶をそのまま埋めるような風習も日本ではまだ一般的とはいいがたいので、この時目の前にあった棺桶が一体どのような用途で置かれていたのか今でも分かりません。

わたしは反対しました。しかし、二人とも「自分だってお葬式に行ってみたい」と言って聞きません。これはわたしが前にお葬式のことを話した時、二人にとって非常に興味深いものに捉えられてしまったからではないかと思いました。霊園で遊んでいるとお墓やお葬式というものに興味を掻き立てられたとしても不思議ではありませんが、二人はまだお葬式というものが聞き齧りでしか知らないから、ただ楽しいというようなものでもないということを肌感覚で分かっている訳ではありません。

わたしは一度だけならという条件で参加しました。お墓を遊び場にしておいてこういうのも何ですが、あんまり亡くなった人で遊ぶものではないんだよ、と言いつつ。

 

そしてじゃんけんをすると、わたしが亡くなった人の役になりました。わたしは何か非常に嫌な役を引き受けてしまったと思いました。みよちゃんとかよこちゃんの二人でそれぞれ棺桶の両端に立って蓋を持ち上げました。わたしは恐る恐る中に入り、ご遺体のように横になると蓋が下されました。

蓋の下りた棺桶の中は想像以上に暗く、物凄い不安と恐怖が込み上げてきました。一秒でも早く終わらせてほしい、とこの時はずっと思い続けていました。

光は全く入ってきませんが、外の音は微かに聞こえます。みよちゃんがお経の真似事をしてナムナムと言い、かよこちゃんは遺族の役で啜り泣いたり「お母さん……」と縋り付くようなフリをしています。

少し冷静になると、昔おばあちゃんのお葬式に参加した時のことをもう一度思い出しました。おばあちゃんとは年に二回くらいしか会うことがなかったのですが、会うたびにお小遣いをくれたり可愛がってくれました。わたしもとてもおばあちゃんのことが好きだっただけに、悲しいという気持ちや寂しいという気持ちがない混ぜになっていたのを覚えています。出棺の時、棺桶の小窓が開いて、亡くなったおばあちゃんの顔を見ました。目を閉じていましたが苦しさとかを特に感じさせる表情ではなく、綺麗に整えられていました。わたしももし死んで棺桶に入るときはこんな表情をしてるのだろうか、と、ふと今ぼんやりと考えました。死ぬってどういうことなんだろう? お墓でよく遊びながら考えることはあんまりありませんでした。お花も何もなくゴツゴツとした棺桶に入れられるのは嫌だなあ、と思いつつ。

 

暫くしてです。そろそろ出してほしいと言おうとした時でした。外から聞こえていたナムナムという嘘読経がいつの間にかお坊さんが上げるような本当の読経のようなものになっている事に気づきました。そして啜り泣く声がかよこちゃんだけと思しきものから何人も周りにいるようなものになっていたのです。何かおかしいと気づきました。ひょっとしたら今日この場所でどこかのご家族がお葬式を挙げる予定があったかもしれない。それなのにわたしたちが気付かずお葬式ごっこを勝手に始めてしまい、お葬式の参列者がやってきたことに気付いたみよちゃんもかよこちゃんもすでに帰ってしまい、わたしだけ残されてしまった、と。そんな事を考えていました。

しかし、よく考えるとおかしい話である事に気づきました。棺桶とは本来亡くなった人を入れておくためのものです。わたしたち以外で蓋を開け閉めしていません。では外でお葬式を挙げている人たちは誰を弔っているのでしょうか? そこまで考えると途端に恐ろしくなりました。今外に出るべきかどうかさえ考えがまとまらなくなっていた時です。

不意に小窓が開きました。亡くなった人の役を全うするため、ちょうど小窓と顔の位置を合わせていましたので、小窓が急に開いたことで光が差してきました。それと同時に、全く知らない人がわたしを覗き込んでいました。目が合ってしまった時、わたしは物凄い叫び声を上げました。

周りには何人か居るようでした。はっきりと見ていませんが、確かにお葬式に来ているような人達でした。ですが、目が合ったというのに、そのまま小窓が閉じられ棺桶が持ち上げられました。わたしは内側から棺桶を叩いたり蹴ったりしましたが、蓋はびくともしません。そのまま棺桶はどこかへと運ばれて行っているようでした。

 

それからどれだけの時間が経ったか、よく覚えておりませんが、物凄く長く感じたことは確かです。棺桶が下ろされたことに気づきました。周りに人の気配がないことに気づき、わたしは恐る恐る蓋を持ち上げると、そこは霊園ではなく、馴染みのない建物の中でした。棺桶は暗い穴の手前に置かれていました。

唐突に、ここは昔おばあちゃんのお葬式できたところだということを思い出しました。おばあちゃんが入った棺桶がこの穴に入って、すごく長いこと待たされた後、もう一度この辺りに来たのを覚えています。その後、物凄く熱い台が運ばれてきて、中に灰と、所々に白いかけらが見えました。これがおばあちゃんの骨なんだと聞かされました。おばあちゃんがもう跡形も残っていませんでした。ところどころに白く小さいかけらが見えるばかりです。物凄い熱気はまだ残っていて、とても熱い火で焼かれるとこうなるんだなと、小さい頃ながら実感しました。長さの違う箸を渡され、一つ一つ小さいかけらを拾っていきます。どこの部分の骨かもわからない小さいかけらや、少し太い腿の骨や肩の骨などを皆で拾って骨壷に詰めていきます。思ったよりカサカサした感触でした。強く叩けば簡単に壊れてしまいそうで、わたしの中にも本当にこれと同じものがあるのかな、と思うと不安になる程です。これは骨盤ですね、と示されたのが一番大きな塊でした。お腹の下のあたりだと教えてもらいました。

お母さんが少し大きな塊を拾っていました。おばあちゃんの頭蓋骨だそうです。頭蓋骨というものは一つの大きな骨だと思っていましたが、幾つかの断片が合わさっていて、その繋ぎ目がギザギザであったことは、その時初めて知りました。わたしは思っていたよりも薄くて頼りなく、そして小さいおばあちゃんの頭蓋骨を見た時が、一番何か恐ろしかったのをぼんやりと思い出しました。そして最後にその頭蓋骨を骨壷に被せるように詰めて、蓋を閉めました。

 

ふと我に返ると、遠くから読経なようなものが聞こえます。隣に二つわたしが入っていたものと同じような棺桶が置かれていました。嫌な予感がして、隣の一個の小窓を開けました。何とみよちゃんが怯え切った顔で中に入っていました。物凄い悲鳴を聞きました。今にも死にそうな顔をしています。どうにかして蓋を開けようとしましたが、何故かわたしの時と違ってびくともしません。そうこうしているうちに読経が止んで、足音が聞こえてきたよ。もう片方は多分かよこちゃんが入ってるに違いありません。早く開けないと、きっとあの人たちによってこの棺桶が炉に入れられてしまいます。しかしわたしの力ではどうしようもなく、恐ろしさのあまりどうにか逃げなきゃ、という考えで頭がいっぱいになりました。

わたしは恐ろしさに負け、無我夢中で足音と反対方向に向かって逃げました。それからどうやって戻ってきたか覚えておりません。気がついたら霊園の近くの山道で倒れていた、という話を人から聞きました。みよちゃんもかよこちゃんも行方不明になったままです。わたしは火葬場のことを話したけど、この辺りの火葬場でそんな話は聞いてない、と取り合ってもらえなかったのです。

 

それから何年かして、やがてこの恐怖も少し癒えましたが、やはりお墓やお葬式には怖さが拭えません。何十年か経った頃、わたしも結婚して娘が生まれることになったので引っ越す事になりました。引越し先は霊園の近くということで嫌なことを思い出しました。それとなく反対したけど諸々の好条件のため、どうしても反対しきれませんでした。

娘が生まれた後、娘は霊園で遊び出しました。最初は叱りましたが、別に害はなく他に遊び場所があまりないから押し切られました。

 

ある日のことです。娘が友達とお葬式ごっこをしていました。わたしは血相を変えて夫に談判しました。これは絶対に危険な遊びだから、絶対にやめさせなければならない。また、二度とこんなことをさせないためにも、大きな墓場の近くには住んではいけないと。それはもう、絶叫に近い剣幕だったそうです。こうして、引っ越しが決まりました。

© 2025 諏訪真 ( 2025年11月15日公開

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"お葬式ごっこ"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2025-11-18 11:52

    実際にあった体験なのかと思わせる出だしの文章が巧みです。小学生の頃に葬式に参加した時、式場の独特の雰囲気に、不思議さを感じたことを思い出しました。「お葬式ごっこ」という遊びは江國香織さんの「弟」という短編にも登場します。子どもは死や葬式に魅力を感じる傾向があるのかもしれません。根拠はないですが、「みよちゃん」と「かよこちゃん」は他人の葬式を経験する前に自分が死んでしまった子どもの霊なのかもしれないと思いました。全然違ったらすいません。

  • 投稿者 | 2025-11-19 12:46

    背筋が凍りつくような、いいホラー小説を読ませていただきました。自分も小さい時に親や親戚から葬式ごっこをやるもんじゃないと口酸っぱく言われて育ったのですが、たぶん遊び場に棺桶が転がっていたら好奇心で中に入っていたと思います

  • 投稿者 | 2025-11-21 09:49

    抑制的な文体が余計に怖さを引き立てていますね。
    子供が初めて「死」について考え始めたときの戸惑いとか恐怖感、不気味さみたいな機微を上手く再現していて、引き込まれました。

  • 投稿者 | 2025-11-22 00:31

    良質なホラーでうらやましい! 真さんこんなお話も書けるのですね!
    ちゃんと怖かったです。閉じ込められて焼かれる恐怖とか、ちゃんと迫ってくるものがあって良かったです。お題解釈の際に、ホラーの「絶叫」もあるなぁと思いつつ真正面からここまでキチンと書けているのは素晴らしいなと思いました。ホラー短編集に入って売ってそう。

  • 投稿者 | 2025-11-22 20:18

    お墓って子供の遊び場でもあるけれど、原初的な恐怖を呼ぶ場所でもありますね。ごく小さい頃、富山県の下新川郡に住んでいたのですが、火葬場は村はずれの一本道の先にあったレンガ造りの掘立小屋でした。燃料も薪だったんじゃないかな。絶対に火葬場には近づくなと厳命されていましたが、面白がって近くまで行っては、大人に叱られたものです。

    火葬場でお骨を拾う習慣て外国人が聞いたら仰天するそうですね。親戚の火葬の時、三歳くらいの小さい子が「ばあちゃんがガイコツになった」と泣いていたのを思い出します。周りの大人はばあちゃんが死んだのが悲しくて泣いていると思っていたようですが、あれはばあちゃんがバケモノになってしまった恐怖で泣いていたのです。

    前置きが長くなりましたが、小さい頃に葬式を経験してしまって、死の恐ろしさが身についている子と、想像の世界だけの子との差がよく書かれていました。淡々とした筆致が恐ろしさに輪をかけています。
    それにしてもこの結末は怖すぎます。ポーの『早すぎた埋葬』よりもっと怖い。子供の頃に見た悪い夢であってくれたらいいのに、と願ってしまいました。

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