始めに御承知ください。これらの事柄について私は詳しくありません。専用のコミュニティに出入りしてるわけでもなく、有識者と情報交換などしてるわけでもありません。紹介サイトで評価、批評などを残してるわけでもなく、Youtubeやyahooにコメントもしてません。note等で考察もしてません。深い考察を求めてもいません。私が勝手に書いたものです。事実ではないです。それを御承知ください。あとネタバレを含みます。
現在、ソウ、SAWの映画のリブートが企画されているそうです。本当かは知らないです。グーグルクロームのディスカバリーに出てきたんです。そういうのが。計画はしているけど、でもやっぱりやらない可能性もあります。中止、頓挫、そういう事もあると思います。そういう世界の事だと思います。まず最初にお金をかけてそのお金が回収できるか、利益を生み出せるかどうか、本当に大丈夫か、確認、精査するっていう事が大事な世界だと思います。
ソウ、SAWっていうのはホラー映画です。最初の作品は2004年に公開されました。内容はどこかの廃墟に閉じ込められた人間達がデスゲームに参加するというものです。生き残るために自分の体の一部を切り取ったりします。非情な選択を強いられたりもします。自分が生き残るために人を殺すとかそういうのです。そういう映画です。
これによってソリッドシチュエーションホラー、ソリッドシチュエーションスリラーいう言葉が生まれたそうです。ソウ、SAW。あえて、あえてウィキでの情報だけで書くと、評論家からは賛否両論あったそうです。しかし、低予算で制作されたこの作品は公開されるとその制作費の遥か何倍もの、桁が二つ違う程の利益を生み出し、一躍、監督のジェームズ・ワンと共同制作者、脚本家のリー・ワネルは有名になります。その後ワンはインシディアスシリーズや死霊館シリーズを作ったり、リーはアップグレードや透明人間のリブートを制作して、大変な評価を受けて成功を収め一定以上の地位を得ます。
ソウ、SAWは続編が作られて、現在までに十作品がソウ、SAWの名を冠しています。
九作目からちょっと間をおいて作られたソウ、SAWの十作目、SAWXが好評を博して、十一作目が作られるっていう話があったそうですが、制作者の間で見解の相違があったんだかなんかで、計画の頓挫、中止があって、その後、それまで作っていた会社から別の会社に制作権が移り、そうしてそこでリブートの話が出て、その制作において一作目のソウ、SAWの監督のジェームズ・ワンとリー・ワネルも制作陣に加わるんだそうです。
そういうものを先日ネットで読みました。グーグルクロームのディスカバリーに出てきたのです。本当かどうかは知りません。希望的な、いつか叶えられたらいいよね的な、夢の話かもしれません。
そのネット記事では、ジェームズ・ワンの話も出ていますが、彼はソウ、SAWの最初期以降ほとんど続編には関わっていないそうです。シリーズ全体を通して制作総指揮という立場で名前が出ているのにです。でも、そういう事ってあるんでしょう。名前を出した方が人が見に来て、それによって収益が出るという判断なのかもしれません。それについて私は特に何も思いません。何か思う人もいるかもしれませんが、私としてはそういう事ってあるだろうなっていう感じです。リー・ワネルは三作目まで脚本に名を連ねていますが、それ以降はワンと同様制作総指揮という肩書きになります。
ソウ、SAWの一作目には制作者であるリー・ワネルも出演しています。一作目のあらすじはこうです。
【老朽化したバスルームで目を覚ました二人の男。二人の足には鎖が繋がれている。バスルームの中央には一人の男の死体。カセットプレーヤーから『ゲーム開始』と声。制限時間が迫る中、二人はこの状況から脱出する事が出来るのか】
この片方の男、バスルームに繋がれている片方のアダムという男をリー・ワネルが演じています。映画はこのアダムがバスルームの浴槽の中で目を覚ます所から始まります。もう一方の繋がれた男性、こちらはゴードン先生と言います。外科医。病院の先生です。
ソウ、SAW、この映画はゴードン先生にフォーカスを当てて作られています。ゴードン先生は外科医です。病院の先生です。病院で毎日患者の診察なり、若手医師たちへの研修などを行っています。その様子には若干冷たい印象もありますが、それでもまあ、医師として自身の職務に励んでいるようには思えます。
ゴードン先生には家族もいます。妻と娘です。立派なお家に住んで立派な車に乗っています。妻とは少し諍いがある様子ですが、娘の事は溺愛しており彼女が眠れないというと、ベッドサイドまで付いてあげて娘と少しじゃれたりもします。
老朽化したバスルームでアダムが目を覚ました時、ゴードン先生は既に先に目覚めていました。アダムが自身の状況にパニックを起こすと、ゴードン先生が彼に落ち着くように、冷静になるように言います。彼は冷静に自身の状況を分析し、なんとか脱出しようとしています。序盤、彼の賢い、聡い様が描かれています。この事件、こういう事件が以前にもあった。と気がつくのもゴードン先生です。テープに隠されたメッセージに気が付いたのもゴードン先生です。
この映画の主役はゴードン先生です。
一方アダムはあまり賢くない感じがあります。でもずる賢い感じには描かれています。自分は損したくない、得したい。そんな描写、雰囲気があるのです。この状況で思い出す限りの情報を出し合って協力しなくてはいけないのに得た情報をゴードン先生に隠したりします。同じバスルームに繋がれていて同じ状況にも関わらず、アダムには主役感がありません。
この映画の主役はゴードン先生です。
ウエイト、負荷がかかっているのもどう見てもゴードン先生です。ゴードン先生は制限時間内にバスルームから脱出しなければ家族が殺されてしまうのです。またゴードン先生は犯人、容疑者として警察にマークされていたりもします。
この映画、ソウ、SAW一作目の主役はゴードン先生です。
初めてソウ、SAWを観て数年経ってから、リー・ワネルがアダムだったことを知りました。それを知ってからソウ、SAWをもう一度観ました。
それで思ったのです。
「なんでリー・ワネルはアダムをやったんだろう」
先に書いた通りアダムはあまり大した人間ではありません。せいぜいが小狡い小悪党程度のものです。ゴードン先生に情報を隠し、いざ自分の立場が悪くなると隠していた事を暴露してゴードン先生に逆ギレしたりします。そういう人間です。
「なぜそれをリーさんがやったんだろう」
それから、また少しして、そんな事一切考えていない時に、不意に、
「リーさんはアダムがやりたかったのか」
それが私の上に降ってきたのです。
勿論、違うと思います。間違いです。ソウ、SAWが生まれるまでジェームズ・ワンとリー・ワネルは知られていない存在でした。低予算で作られたソウ、SAW。予算の関係でそういう事になったんだろうと思います。
ただソウ、SAWの中で誰が一番、難しいか。アダムではないかと思うのです。
ソウ、SAWの映画の中でのそれぞれのパーセンテージ、比率は大体、
『ゴードン先生4。ゴードン先生とアダム以外の登場人物、事件を捜査する刑事とか、ゴードン先生の家族とか、以前の事件の被害者たちとか、ちょっとした日常の風景とか、なんか伏線とか、まとめて3。アダムは2です。そして真犯人1、大きな1』
ゴードン先生は映画が進行していくにつれて崩れていきます。最初の賢い感じがどんどんと崩れていきます。冷静に、落ち着いて、脱出の為に力を合わせないと、と言っていたゴードン先生はどんどんと追い詰められていきます。最初は9か8くらいあったゴードン先生のメンタルはどんどんと崩れていきます。どうしても足の鎖が外れない。用意された鋸は鎖を切るためのものじゃない。家族が人質に取られている。アダムが隠し事をしてるし、自分のいう事を聞いてくれない。受信専用の携帯電話から家族の悲痛な声が聞こえてくる。電気ショックを喰らう。再び携帯電話が鳴った時、それが手に届かない場所にある。あと少し、少し手が届かない。この時のゴードン先生の様は映画冒頭とは全く異なります。そして、彼は決断するのです。最初、9か8あったゴードン先生はこの時0になります。
それに比べると、アダムは最初から6、5、4の辺りにいます。そしてこれは最終盤までほとんど変わりません。
この事件の事を知らなかったアダムの態度にはなんとなく、
「最後はどうにかなるんじゃないか。助かるんじゃないか」
という感があるのです。一般ピーポーである私達と一緒です。アダムが実際にやばい、本当にまずいと思い出したのは、ゴードン先生が決断をしてからのように思います。本当に大変な事態に巻き込まれたんだ。楽観視していたとは言いませんが、アダムはそれまで何とかなると思っていたのです。
進行とともに崩れていくゴードン先生を、ずっとフラットの側で見ていたのはアダムです。それはある種、映画を観ている視聴者の目線でもあります。9、8あったゴードン先生は6、5、4のアダムを追い越して、決断して自らの足を切り、アダムを拳銃で撃ち抜きます。
また、最終盤まで大体5前後、フラットでいるアダムには見ている人間の心への微調整の役割もあったように思います。実際アダムも電気を流されますが、ゴードン先生の時ほど、深刻な感じがしません。
ゴードン先生を演じるのが簡単だとは言いません。大変な苦労があったと思います。他の方もそうです。しかし一番難しいのはアダムだったのではないかと思うのです。
そして、それをやるのは、やれるのは制作者が一番手っ取り早いでしょう。やりがいも大きい。
現在、ソウ、SAWの映画のリブートが企画されているそうです。本当かどうかは知らないです。この一作目をまたやるのか、あるいはまったく違う話になるのか。全くわかりません。でも正直、一作目のリブートという事であれば、あのアダムが居なくてはなあ。そう思うのです。
最後に。
これで何とかなる。何とかなってほしい。と思っていたアダムですが、そう思っていたアダムの前に真犯人が現われます。真犯人は鎖の鍵のありかをアダムに告げますが、すでに手遅れでした。その後、真犯人は逆転の一手に賭けたアダムの行動も封じ、部屋の電気を消して非情に彼にゲームオーバーを告げます。
そして映画はアダムの絶叫で終わります。
拳銃で撃たれて犯人だったと思っていた人間を殺したアダムも既に0になっていました。だから、この絶叫。
だから、この、絶叫。
やめろ!
やめろ!
やめろ!
佐藤 相平 投稿者 | 2025-10-25 11:53
独特なタイトルで興味を惹かれます。思わず読みたくなります。語るような出だしがうまく、作品に引き込まれました。SAWシリーズの存在は知ってはいましたが、ホラーが苦手なので避けていました。でも、魅力がわかったような気がします。最後まで楽しく読める文章でした。冒頭で述べられているように、考察が事実なのかはわかりません。確認するためには映画を見なければいけないのですが、見るのは怖い。
眞山大知 投稿者 | 2025-11-08 17:04
わたしもSAWシリーズについてはあまり知らなかったですがこんなかんじの作品だったんですね……💦
曾根崎十三 投稿者 | 2025-11-15 22:03
SAWは見たことがないのですが……と恐る恐るコメント欄を開いたら先人がいて安心しました。なるほど。ほな映画確認せなあかんなぁ、って気持ちになりました。ここから王道が生まれたんですね。デスゲームとか、脱出のために自分の指とか足とか切るとか。切断脱出はもっと元祖があるのかしら?
ニュースはフェイクですか? いや、そんなこと聞くのは野暮ですね。
大猫 投稿者 | 2025-11-20 18:05
恥ずかしながら『SAW』どころか、ソリッドシチュエーションホラーなんてものさえ知らなかったのですが、連発する「そう、SAW」につられてついつい読まされてしまいました。合評会のたびにTKGさんの歴史・芸術への造形の深さに唸らされています。たまには顔出してください。今回は文フリ打ち上げなので浅草橋ですよ!
河野沢雉 投稿者 | 2025-11-20 18:16
SAWは初めて観たとき、「やられたあああ」と思いましたがアダムを脚本家が演じていたとは知りませんでした。続編も何本か観ましたが、個人的には一作目を超えるものはないと思います。
諏訪真 投稿者 | 2025-11-22 15:42
SAWは1だけ観てまして。斬新なアイデアかというと、どこかで観たことはあるオチでしたが、どこで観たなんという作品か覚えていないので、まあオリジナリティある部類のオチということで。
ジグソウ、いいキャラしてると思うので、リブートするならやってほしいですね。
といいつつ、実はスプラッタな物は苦手なのです。