「つまり稲葉党首はわが国と性的交渉をするとき、まず真っ先に国会議事堂のびらびらを舌で吸いたいということでしょうか?」
自民党の長老議員が怒りの表情を崩さぬまま一時間越えの演説を終えて一礼すると、原稿を持つ手をわななかせて降壇した。――ここは国権の最高機関、国会議事堂・衆議院本会議場。険しい顔の議長が日本とセックスする党の稲葉党首を呼ぶと、稲葉は全く気にする様子もなく、貼りつけたような笑顔を振りまきながら登壇した。稲葉は国務大臣たちと議長に深々と一礼してから演壇に立つ。角張った顔の稲葉は、トレードマークの真っ赤なネクタイを直すと原稿をいっさい見ずに、力強い口調でマイクへ喋りだした。
「もちろんです。まず真っ先に国の大陰唇、小陰唇を舐めます。もちろんクリトリスもです。『国を、クンニする。』、それがわたしたちの党が国民の皆さんに訴えたことですからね」
議席を埋めつくす代議士たちは一斉に怒鳴った。議長席の議長や、左隣の衆議院事務局長、国務大臣席に座る閣僚たちは、さすがにあからさまに怒りはしないが呆れ果てたように顔をおさえている。演壇の稲葉は左脇のガラスの水差しからコップに一杯水を注ぎ飲み干すと目を爛々と輝かせた。
「国会議事堂に第二子を! その思いだけで、国民の皆さまと会話しました。国を優しく愛撫し、丁寧に、ゆっくりと焦らし、しっかり濡らしてから愛を営む。わたしたちの『国を、クンニする。』の言葉に国民の皆さまが共感してくださったお陰で、わが党の地方議員は百七十人、北は北海道から南は沖縄まで四十七都道府県のすべてに議員がいます。そして国会議員も五人になるまで成長させていただきました。さあ、わたしたちに国をクンニさせようじゃありませんか!」
議場の上部を囲む、階段状の急な傾斜の傍聴席には数多くの傍聴人が座り、笑いをこらえて震えていた。政治家と違って庶民は稲葉を面白がった。YouTubeチャンネル登録者二百五十万人。東京ビッグサイトの東1~2ホールを貸し切り行われた政治資金パーティーは全国から五千人がかけつけた。先の衆議院選挙で稲葉は全国でもぶっちぎりの得票率で当選した。
傍聴人たちに混ざり、衆議院事務局の佐々木主任――稲葉とは大学の同級生だった――は議場を冷めた目で見下ろしていた。国会職員でも幹部職員と議会運営に関わる職員でないかぎり、本会議中の議場にはたやすく入れない。佐々木は施設課の職員で仕事中に国会に入れず、だからわざわざ有給休暇を取得し、朝早くから並んで傍聴券をもらって国会の傍聴席から、旧友の狂気に満ちた演説を聴いていた。
三月の東京はすでに日が傾きだしていて、永田町は天気雨のように雪がちらついていた。本会議終了後、参議院別館は国会職員の身分証がなくても誰でも入れるので、傍聴席を終えた佐々木は別館の自販機コーナーに立ち寄ってコーヒーのペットボトルを飲む。
別館のガラス窓から淡い陽の光が、目の前にあるお土産屋に差している。キヨスクほどの大きさの店には国会おこしだったり歴代首相の顔の書かれた湯呑みだったりが棚に陳列されていて、レジには気だるそうな二十歳前後の女が虚空へ遠い目を向けて座っていた。佐々木には気づかないようだった。五年前に国会議事堂が妊娠した際は、議事堂ママ頑張れカレーだの、佐々木主任頑張れブロマイドなんてのも売られていたが棚には一切陳列されてなく、いまや見る影もない。
セックスと国家崇拝は同じぐらい気持ちいい。それが稲葉の思想だった。はっきりいって稲葉は狂っていた。学生の頃からそうだった。アメリカで初の黒人大統領が生まれ、日本でiPhoneが売りだされたころ、岩手から上京した佐々木は大学の応援団だった稲葉になぜか気に入られ、東京のど真ん中のキャンパスのくせに、周囲の木や雑草と一体化寸前になっているボロボロの応援団室や、三鷹にある刑務所みたいな見た目の学生寮の、雑居房同然の四人相部屋で一緒に寝っ転がりながら、稲葉は高校の擦り切れそうなジャージを着て「国とセックスしてえな」だなんてほざいて、見かねた佐々木や他の友人がおっパブやソープに連れていこうとしても、稲葉は「女ごときには興味がない。俺は日本でしか射精できない」とかたくなに断った。稲葉を変人ぶりたいだけの目立ちたがり屋だと疑ったこともある。だがしかし、稲葉は本当に日本で射精できるのだ。他の友人たちと一緒にスキーをしに行った妙高高原の小洒落たペンションで佐々木が夜中に寝ていると、隣のベッドで稲葉がもぞもぞしていている。佐々木が暗闇に目をこらすと、月明かりに照らされたベッドで、稲葉はスマホの画面をじっと見ている。画面には日の丸が映し出されていた。稲葉ははあはあと息を荒らげ、うっとつぶやくとごそごそと動き、布団から出た。稲葉は半裸で、部屋中に栗の花を煮詰めた匂いが漂った。――つまり国旗で抜いたのである。
稲葉は妙な国粋主義者だった。稲葉によると日の丸は膣の穴であり、ペニスを挿入するにはもってこいだから日本は優秀な国で、アメリカや中国は挿入したらペニスが傷つく星の形があるので劣った国だという。だから稲葉は就活でアメリカや中国と関わる企業を一切受けなかった。当時は就職先として公務員は人気がすさまじく、佐々木は縁があって衆議院事務局に就職したが、当然、稲葉の就活は大失敗。選り好みしなければどこでも内定が来る大学なのに稲葉は無い内定で卒業。故郷の三河に戻り、親の経営する私立高校の事務職員となったがわずか半年で稲葉は辞めて、そこから十年近く音信不通だったが、コロナ禍のさなか、突然『国に種付けする』だなんて狂気の公約を掲げて出馬した。普通ならこんな狂った候補に誰も見向きもしなかっただろう。ぜんぶ、コロナ禍とアメリカの赤キャップ大統領が悪かった。二〇二〇年から人類は退化し、国民は稲葉がツイッターやインスタでばら撒く「アメリカと中国は人類をインポテンツにさせる」だなんて陰謀論にハマり、そして六年前、二〇二二年の参議院選挙直前、国会議事堂が妊娠するだなんて前代未聞の事件が起きると日本とセックスする党は初の国政選挙で国会議員五人を送り込み大躍進。当選した稲葉はそのあとの衆議院選挙で鞍替えし当選。こうやって、新進気鋭の政治家として国会で与野党と論戦を繰り広げる。新聞やテレビなどオールドメディアに露出するようになった稲葉はさすがに国に種付けすると言いふらすのは危険と考えたらしく、今年、二〇二八年夏の参議院選挙の公約を『国を、クンニする。』にするらしい。
なんであんなのといまだに友人なのか。自分のことながら佐々木は理解できなかった。学生時代に田舎者の孤独を慰めあったからか。いや、違うと佐々木は思った。世の中にはやることなすことハチャメチャだがどこか憎めないヤツというのがいる。ドナルド・トランプがそうだ。稲葉もそうだ。だが変わってしまった稲葉に佐々木は失望していた。
このごろ佐々木のLNEには、稲葉から直々に、党員にならないかと勧誘のお誘いがひっきりなしに来る。稲葉のLINEを非通知にしようとスマホを取り出したとき、佐々木は背後から声を掛けられた。
「お、佐々木じゃん。やっと見つけた」
振り返ると衆議院事務局の同僚の水坂が立っていた。お土産屋の女は、急にこちらへ目をやると目をキラキラさせ、レジの陰からこっそりスマホのカメラを向けだした。水坂はイケメンだし、なんなら国会議事堂が妊娠したときには、佐々木とともに毎日、テレビの画面やYouTubeの動画に写り、ファンクラブもできた。衆議院に贈られた水坂のバレンタインチョコは、職員全員で消費するのに二週間もかかった。
「なんだ、水坂。仕事をサボってなにしてる」
「仕事だよ。有給を使ってる最中なのは知ってるけど、お前と仕事の話をしたい」
「公安がバッチリ聞いてるけど大丈夫か?」
佐々木は物陰に目をやった。廊下の角に男が立っていてじっと監視している。
国会議事堂の出産計画の責任者だった佐々木は、稲葉が国会議員になったあとから公安がマークするようになった。理由は察している。国会議事堂のヴァギナの位置を知っている極わずかな人物が稲葉に情報を漏らせばどうなるか火を見るより明らかだからだ。衆参両院の議長と事務総長、衆議院事務局職員で妊娠出産計画を担当した佐々木と水坂――。
「どうせ俺たちの会話はどこに行っても筒抜けだ」
「で、話ってなんだ」
「なんとしてでも稲葉を止めたい。俺は自分の女が寝盗られるのは嫌だ」
水坂――国会議事堂を妊娠させた張本人は真剣な目つきで言った。孕ませた女を別の男に寝盗られたのなら、怒るのも仕方ないなと思い、佐々木は「なにか協力できることってある?」と返すと、自販機から水坂の好きなエナドリを買ってやった。水坂はエナドリを受け取って、一気に飲み干した。
「それはこれから事務局長が決めることだよ。佐々木、このあと大丈夫か? 一緒に事務局長室へ行くぞ」
水坂は佐々木の肩をたたいた。「休みなんだけどな」と愚痴りながら佐々木は水坂と一緒に、事務局長室の方向へ歩きだした。
* * *
日本とセックスする党への入党者があまりにも殺到したため、佐々木の入党手続きには一か月も時間がかかり、党の政治資金パーティーには桜吹雪が東京に舞っていた。
朝の皇居の堀。桜の花びらが水面を覆っていて、佐々木は堀と桜の花びらを見ながら小学生の息子と手をつないで歩いていた。
「なんでパパはスーツを着てないの?」
制服姿の、佐々木の息子は首をかしげて言った。
「今日は私服でお仕事なんだ。ほら、学校だぞ」
佐々木は優しく答える。
国会議事堂の出産の際、佐々木は全国に顔が知れてしまった。近所の公立小学校に息子を通わせればいじめを受けるだろうと思い、毎日、一緒に満員電車に乗って、都心の私立小学校へ通わせている。妻にも苦労をかけていた。世田谷の零細地主の家系だから生活には困らない妻は、小遣い稼ぎでスーパーのバイトをしていたが、佐々木の妻だと知られると周囲のパートが邪険に扱いうようになり、さらに佐々木の妻ということで公安に尾行されるようになり、スーパーまで男がやってきて監視してくるから、店長に「不気味な男につけられているけど大丈夫か」と本気で心配されるようになった。
そして今日、私服で通勤しているのは、これから政治資金パーティーに潜入するからである。
九段下の、急な坂を上ればすぐ小学校の校門に着く。
佐々木は息子を見送ると、来た道を引き返し九段下駅へ向かった。
佐々木と水坂は人事異動で事務局長付になって任務を課せられた。日本とセックスする党の動向調査だ。今日は佐々木だけで調査に行く。水坂には別の任務があり、朝早く、東京を出発した。
地下鉄とゆりかもめを乗り継いで東京ビッグサイトに行く。今日はここで政党の政治資金パーティーがあるのだ。稲葉からはひと席20万円のSS席に特別に無料で招待された。
ビッグサイトに到着すると、東棟と西棟の間の通路には平日の朝だというのに老若男女あふれていて、みな、党のシンボルカラーの赤にちなんだグッズをつけている。
通路の中央の物販ブースでは「日本で勃起しよう!」だなんて言葉の書かれたTシャツが売られていた。佐々木はブースでTシャツを手に取りタグを見ると、案の定、メイドインチャイナと書かれていた。
そもそも物販ブースがある政治資金パーティーとはなんなのだろう? 佐々木は周りを見渡した。いたるところに怪しいものがある。生命力のエネルギーフィールドを形成してくれるとかいうテスラ缶。それの日本バージョン、大和缶。古代ユダヤ人が徳島に入植して邪馬台国を作ったからと政党の徳島支部が販売する、契約の箱のミニチュア。そして巨大な男根の石像。月刊ムーのなかでしか見たことのないようなグッズが陳列されていて、それらを参加者たちは、真剣なまなざしで品定めしていた。佐々木も党のTシャツを買おうとしたが、あれだけ日本にこだわるのにクレカ決済はVISAとマスターカードと銀聯カードだけで、なぜか国産クレジットカードのJCBが使えない。
佐々木が受付をすますと手首に巻くバンドを渡されたが、それは党のカラーの赤でなく、なぜかオレンジ色だった。――細部につっこみどころが多いがとにかく愛される。それが日本とセックスする党であり、稲葉の特徴であった。
展示棟のホールに入る。ホールの中央には巨大なステージと、七面のスクリーンがあり、それらを囲むようにパイプ椅子がぎっしりと敷き詰められている。会場の一番奥には機材が立ち並び、赤いTシャツを着たスタッフが周囲をあわただしく動き回っていた。前回の政治資金パーティーは幕張メッセで開かれ、三千人が参加した。今回は七千人の参加を見込んでいるという。
席はSS席からD席まであった。佐々木はステージすぐ脇のSS席に座った。稲葉の紹介がなければ絶対に座れなかったろう。後ろに目をやると、公安の男はC席に座っていた。
平日に参加しようというのはコアな支持層だから、SS席の200席はほぼ埋まっていた。たいてい座っているのは中高年だったが、若いカップル、子連れもちらほらといる。佐々木の左隣の子連れは、ベビーカーに乗せた赤ちゃんをあやしながら「精力をつけるにはマコモ湯だよ。一年以上入れ替えない湯が最高」とか「アイスはオーガニックじゃないからだめ。時代は野菜だよ」とか、平凡に生きていれば絶対に聞かないワードをポンポンと出してくる。
右隣から、品のよさそうなおばあさんが佐々木に話しかけてきた。
「あなた、佐々木さんね。国会職員の」と聞いてきた。
ああ、まだ顔を覚えていた人がいるんだなと思い、佐々木は「ええ、そうです。ありがとうございます」と丁寧に返事した。
「やっぱりあなたもお思い? 国会で働いているんだからディープステートを実際に見たことがあるんでしょ。やっぱり全部がつながっていたんだわよ」
「そうですね」
丁寧に接したことを佐々木は猛烈に後悔した。
おばあさんはそのあと孫の就活がうまくいかないだの、姪っ子がハワイでフルマラソンしてきただの、通っているフラダンス教室が今度大会に出るけれど練習をさぼっている人がいて困っているだの、急にどうでもいい話をかましてきて、佐々木はうんざりした。
そうこうしているうちに開演時刻になった。ステージを照らす照明が消え、スクリーンが急に黒くなり、「勃起せよ、日本人! 選挙のために供託金6億円が必要です」と白抜きの文字で表示されると会場がざわつきはじめた。
盛大で陳腐な音楽が一分ほど大音量で流れると一気に照明がつき、二人の赤いTシャツを着た男女が壇上にかけあがると、元気に叫んだ。
「「みなさーん、勃起してますか? 女性の方は心が勃起していますか?」」
男女が呼びかけると参加者は「はーい!」と一斉に返事した。
男女は司会者だった。男はお笑い芸人で、佐々木もたまに深夜のマニアックなお笑い番組で姿をみかける。女はフリーアナウンサーだった。
司会の二人が軽快なトークで献金のお願いをすると「さあ、みんなでセックスをはじめまっしょい!」と言い、開会を宣言した。中央のスクリーンには日の丸、左右のスクリーンには党のロゴマークが映し出され、君が代が爆音で流れる。右隣のおばあさんは手を合わせて拝んでいた。
そこからは怒涛の勢いでパーティーが進行する。まずは書道のパフォーマンス。全身真っ赤な衣装をまとった書家が巨大な半紙の上で「性器」と書き殴り、数千人の参加者が割れんばかりの拍手を送る。北は北海道から南は沖縄まで各ブロックから支部の代表が集まり、熱い言葉で自分たちの思いを語る。南九州ブロックの、でっぷり太った支部代表が「俺たちは政治をしているんじゃない、日本との子をつくるんだ!」と叫ぶと会場のボルテージが最高潮に達した。右隣のおばあさんは涙を流し、左隣の子連れは撮影禁止だというのに、支部代表の顔をスマホで連写していた。
昼前、ようやく稲葉が登壇してきた。稲葉はアダルトグッズショップのカリスマ経営者を呼び、トークショーをした。サングラスをかけたスキンヘッドの経営者は、会社から売り出しているオナホを片手に「オナホは日本の縮図である」というわけのわからない思想を展開したが参加者は熱心に聞き、佐々木の目の前に座る参加者は、深くうなずき、熱心にメモをとっていた。
休憩を挟んだあと第二部が始まった。トップバッターは、なぜかユリゲラーから送られてきたビデオメッセージの上映だった。ユリゲラーの放った「勃起してる日本人は、勃起してないアメリカよりも偉い」という一言に、参加者は総立ちとなり、突然万歳三唱が起きた。
そして有名俳優の朗読劇や、有名アニメのエンディング曲を担当していたバンドのライブ。左隣の子連れはテンションをあげていた。佐々木は、十代の頃から好きだったバンドが、今、目の前にいて、「日本人の波動を高める」だとか、「魂のステージを上げる」だの「心を勃起させる」だなんて恐ろしいことを真剣な顔で言っているのにショックを受けていた。たぶん明日は寝こむだろうと思った。
そしてパーティーが終わりを迎えようとしていた。最後のトリは稲葉の演説である。
稲葉がステージに再び上がると、アメリカのCEOのように、しゃれたヘッドセットをつけてプレゼンテーションをしはじめた。
「みなさん、いま、この世の中は乱れています。それはみんな、国が欲求不満だからです。最近の若い子とか見てください。みんな、元気がなさそうでしょ。みなさんね、おそろしい勢いで少子化が進んでいますね。子どもたち、大事にしないといけませんね。ですが、学校教育はどうでしょうか? 小学校から英語、プログラミング。わたしたちのころからはるかに高度なこと、やってますよね? でも子どもたち、幸せになりましたか? 個性をどんどん潰してるじゃありませんか? 若い子たちの幸せを感じるセンサーが壊れていってます。恋人からDVされても愛されているから嬉しい、自分のことを本当に愛してくれているか不安だからって、嫉妬させるようにわざとしむける。愛情に飢えている。みなさんが知ってる若い子に、こんな感じの子、いるんじゃないでしょうか? 子どもたちの精神幸福度が世界でワースト二位。これが日本の現状です。こんなかわいそうなことはありません。
わたしの子ども時代もそうでした。愛知の、教育者の家に生まれて、学校を経営する父はわたしに愛国主義を教えてくれました。ですが、父にとっての愛国は、国に尽くすこどもをつくることで、尽くせない子どもを平気で見捨てることでした」
会場をしんとした空気が漂った。佐々木の左隣の子連れはうんうんとうなずいた。稲葉は続けた。
「子どもに大事な命を捨てさせる教育なんて間違っている。愛国は命をはぐくむべきだ。わたしは愛国とは命を生むこと、つまり国とセックスすることと解釈しました。
美しい国なんて言っていた保守政党、国民のこと、守ってますか? 不幸にさせただけでしょ。失われた三十年に責任とらなかったじゃないですか。若者は人手不足のはずなのに大変すぎる就活で、自尊心がボロボロになり、死んでいきます。氷河期世代、ひどい仕打ちを受けてきました。ブラック労働で報われましたか? そうでありませんね?
愛情飢餓の若者たちの完成です。『こんなわたしを大切にしてくれる人なんていない』って、自分のことを幸せにするって発想もなくなったのです。
みんな、日本にセックスさせないあの勢力が悪いのです。セックスは新自由主義的な社会では邪魔です。セックスする時間があれば働け。そうやって働いて生きて、みなさん幸せになりましたか? 会社のため、お金のため、子供のために働いて幸せになりましたか? みんな、そうじゃないでしょ? さみしい、なにかさみしい。愛がない。愛は、あの勢力にとって邪魔なんです。金儲けにならないから。
資本主義では子は親の投資対象ですので、愛を注いで人格を育むことよりも、投資資金を回収するため、金に替えられる能力開発を優先させます。だからこの国は、アンバランスな人間だらけになり、自分の育ち方がひどかったと気づかず、不幸のまま人生を終えます。貧乏人も金持ちも、国を動かすエリートもそうです。そんな不幸な人間が動かしてるのが日本という国です。
わたしも日本に恋焦がれ日本とセックスしようと、国旗を彼女として何度も何度と射精したこともあります。でも虚しい。それはね、心が勃起してなかったからです。わたしはあの流行り病のあと、心が勃起しました。だからこうして、あの勢力と戦えるようになったんです。人間には二種類しかいません。自分たちのために戦える人間、戦わない人間。心が勃起する人間か勃起しない人間か。戦える人間と勃起した人間の受け皿、これがわたしたち日本とセックスする党です。みなさん、あの勢力はわたしたちをインポテンツにさせます。どうですか、みなさん。少子高齢化。これは性欲がないのが悪い。国とセックスして救われよう! 日本は数百年前からあの勢力の標的にされてきました。明治維新もあの勢力が起こし、日本は完全に支配下に入れられ、現在では経済的な奴隷です。あの勢力はみなさんも、よくご存知なはずですね、日本が戦争させられたのも、あの勢力に逆らったことが原因です」
突如、ステージのスクリーンには「国のヴァギナを探せ」の文字が大きく映し出された。BGMは80年代のようなシンセサウンドで、佐々木は、むかし元カノと行った町田のラブホでこんな感じの曲が流れてたなと思いだした。
「真っ先に国のヴァギナ。国のヴァギナを探さねばなりません。見つけたらクンニしましょう。濡らしましょう。そして国とセックスし、日本人の自尊心を取り戻そう。みなさん、国会議事堂のヴァギナを探すにはもっと多くの国会議員が必要です! みなさん、協力してください!」
稲葉が叫ぶ。参加者は一斉に総立ちになって歓声をあげた。ステージには白いガスが噴出されてまき散らされると同時に、スピーカーからは爆音で君が代が流れだした。
パーティー終了後、佐々木は報告書の草案をスマホで打ちながら、ゆりかもめの駅へ着た。春の生暖かい南風がふきつけていた。風に乗って、東京湾の潮の香りがする。駅の前では、左翼系の政党がプラカードを持ってわめいていた。
スマホを打つ佐々木は、後ろから五十代ぐらいの男に話をかけられた。佐々木の顔を覚えていて声かけしたという。塗装屋を経営する男が党に興味を持ったのはここ一か月ほど前で、日本を大切にしようとする党の姿勢に共感するが、政策をきちんと確認したわけではないという。
「どうしてです?」
「だってどうでもいいじゃないですか。政策を掲げて守った党なんて、知ってるかぎり見たことがありません。でもあの党って、稲葉さんって、今の政治を変えてくれそうな気がするんです」
男は電話番号を書いた紙を渡して別れた。佐々木が紙をすぐに破り捨てると、スマホが振動した。稲葉から「これから一緒に会わないか?」とLINEで連絡がきた。
もう子どもを迎えに向かわないといけない――水坂と同じく。
「悪い。子どもの送迎あるからこれから帰る」と返事した。既読無視された。気に触ったのだろう。稲葉は独身だった。
稲葉の機嫌を損ねたようでそれから佐々木に一切の連絡が来なくなった。稲葉は水坂に接近し、党の広告に使った。
『イケメン国会職員、日本とセックスする党に参加』は瞬く間に全国ニュースになった。稲葉は知名度のある水坂が参議院選挙へ出馬要請をしたらしいが、水坂は国会職員を辞めたくないと断ったという。
選挙直前、日本とセックスする党は改憲の憲法草案を提出。基本的人権の尊重など、近代社会が建前でも守ってきた概念をすべて帳消しにした。
日本とセックスする党の憲法草案では日本国民の要件を以下に定めている。
第三条 日本国民の要件
第一項 日本国民の要件を性的に健康であり十八歳の時点で国とセックスする能力を有することとする。
第二項 日本国民は子孫末裔まで国とセックスし子をなす義務を負う。
国民は稲葉の政党を支持した。ていたらくの与党も、反対するだけの野党もいらない。すぐさま、自分の生活をよくしてくれそうな、自分だけを愛してくれる、都合のいい母親かわりの政党に投票する。
――日本国民は発狂の道を選んだ。ファスト教養、ファスト問題解決、ファスト自己肯定感。陰謀論とルサンチマンの蔓延る令和日本で理性は消失した。参議院選挙の掲示板には『国を、クンニする。』と、候補者が手マンのポーズをする、ポスターが貼られていても、他の党は、女性の全裸写真を貼りつけ、それに大衆は怒りだすと思いきや拍手喝采を浴びせた。
* * *
日本とセックスする党は参院選で勝利した。三年前の選挙と一緒で、直前に米の値段がまた上がり、JA陰謀論が再び起こったのが運の尽きだった。改選数百二十四人のうち九十三人が日本とセックスする党の議員で、あれだけ怒り狂った演説をした自民党も、数の力には勝てず、自公政権はすぐさま連立政権を組もうと交渉に乗り出した。自公セ連立政権の誕生が目前に迫っていた。
永田町の空は真っ青で、まさに日本晴れだった。今日、八月一日は第二百二十五臨時国会が招集される日だった。
日本とセックスする党は、当選した党員たちが参議院の初登院する際に、国会議事堂をクンニさせると宣言。普段、国会議事堂の中央玄関は衛視が見張っているため近寄ることさえできないが、議員の初登院の日は必ず中央玄関を開けて議員を通さなければいけない。国をクンニするとしたら今日が最高のタイミングだった。
国会の噴水前にはすでに日本とセックスする党の議員たちが集まり、先頭にいる稲葉とともに「クンニ、クンニ!」と叫んでいる。議員たちの後ろ、国会の敷地の外にはユーチューバーらしい若者たちが自撮り棒を持って、議員たちを煽っていた。
「セックス! セックス!」
「抱けぇ! 抱けぇ!」
佐々木は中央玄関のそばに立ち、彼らを見下ろしていた。佐々木だけでない。衆参両院の事務局の職員が総出で並び、日本とセックスする党を阻止しようとした。
佐々木は覚悟を決めた。厄介なことに国会議員は不逮捕特権を持っていて手錠をかけることはできない。だからやることはひとつ。頭をぶん殴って気絶させることだ。
「行けぇ!」
稲葉が号令をかけると議員たちは一斉に駆け出した。
国会議事堂のヴァギナの場所は非公開である。だから議員たちはしらみつぶしに中央玄関の床を嘗め回すに違いない。
議員たちは中央玄関にまでやってくるとかがみだした。
「殴れ!」
佐々木が号令をかける。職員たちは総出で鉄パイプを持ち、議員に殴りかかった。
スーツ姿の職員が、スーツ姿の国会議員を鉄パイプでリンチする。すさまじい光景が広がっている。マスコミはカメラを向け、黙々とフラッシュをたいていた。
ぶつかりあい。揉みくちゃあい。稲葉はずんずんと水坂に近寄ると、殴られながらも、水坂の胸ぐらをつかみあげた。
「さあ、言え。国のヴァギナはどこだ?」
言ったところで無駄だろう。佐々木が中年男性議員を押さえつける。体が密着する。加齢臭がして花がひん曲がる。
すると突然、水坂は指を地面に指した。
「ここだ」
貴様、なにをやらかしている。佐々木はつい手からパイプを落とした。
「ここでクンニしろ!」
稲葉が雄叫びをあげる。
水坂の裏切りにより、議員たちはヴァギナを見つけてしまった。稲葉は床の細い穴に素早く舌を差しこみ、じゅるじゅると吸った。すぐさま大陰唇が現れた。小陰唇が現れた。クリトリスも現れた――国会議事堂のヴァギナが、姿を現した。
議員たちはいっせいにヴァギナに群がり、クンニを始めてしまった。
「おい、水坂! どう責任取ってくれる」
佐々木が怒鳴ると水坂は「すぐわかる」となだめた。
「うまい、うまいぞ!」
稲葉が国会議事堂をクンニして髪を乱れさせながら狂喜乱舞していると、地面の奥底からうなるような音が聞こえ、突然、穴が急に広がった。
穴は国会議事堂をクンニした議員たちをたやすく呑み込んだ。議員たちは絶叫しながら穴にまっさかさまに落ちていった。穴から這い上がろうとする議員も、穴がぬめぬめしていて、結局滑ってしまい、ころころ落ちていった。当然、稲葉も「あ、あああ」と情けない声を上げて落ちていった。
やがてヴァギナの穴が締まり、この世のものと思えない粉砕音と絶叫が締まった穴の奥から響くと、ヴァギナはその姿をみるみると消していった。
九十三人の国会議員と稲葉党首は、国会議事堂の膣に押しつぶされ姿を消した。
誰もが息をのんで目を見開き、ひとこともしゃべらない。カメラのシャッターの音もしなかった。
佐々木はしばらく呆然としたあと、隣の水坂に聞いた。
「……これって誰のアイディアだ?」
水坂は顔を真っ白くさせながら返事した。
「息子だよ。俺と、国会議事堂のな。春に、東富士の演習場まで行って元気してるか見に行ったときに教えてくれた」
中央玄関はただ静寂が支配して、遠くの国会前庭からかすかに蝉の声がしている。
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