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米米騒動

合評会2025年7月応募作品

河野沢雉

2025年7月合評会参加作品。
地上波テレビはオワコン、と言われながらなかなか終わりません。TBSもフジテレビもなんだかんだでまだ生きています。

タグ: #純文学 #合評会2025年7月

小説

3,743文字

私の取調を担当した刑事は、東京あるいは少なくとも大都市圏の出身であり、かつ私より恐らくは十年以上若かった。それが何故ここで重要なのかというと、

「あんた、なんでこんなことしたの」

という質問に

「民放が二チャンネルしか映らなかったから」

と私が答えると、刑事は呆気にとられた顔をしたからだ。この状況を理解するためにはテレビ放送の仕組みと歴史をある程度おさらいしておく必要がある。退屈かも知れないが、少々付き合って頂きたい。

 

ご存知の方も多いと思うが、昔のテレビは本体に二つのツマミが付いていた。このツマミを回してチャンネルを変えるのだ。チャンネルを「変える」ではなく「回す」という言い方が未だに残っているのはこのせいである。

二つのツマミのうち一つは十三接点式のスイッチ、もう一つは滑り抵抗式の無段調整ツマミであった。十三接点の方は一~十二およびUとラベルされていた。こちらはVHF(超短波)の受信周波数を選択するツマミで、アナログVHF放送の一~十二チャンネルに対応していた。UはUHF(極超短波)の略であり、VHFより高い周波数帯の電波である。一つ目のツマミをUに入れると、滑り抵抗のツマミの方でUHFの周波数を選択できるようになっていた。もともとVHFの周波数帯が足りなくなったため一九六〇年代からUHF帯のテレビ放送への利用が始まったのだが、後発である地方局の多くはUHF帯を割り当てられることになった。もちろんUHFの受信には対応するアンテナとチューナーが必要である。

しかしUHFは周波数が高いので直進性が良い反面、電波が障害物を回りこみにくくなるという特性がある。私の実家のように山に囲まれているとこれが致命的で、テレビ電波が山に阻まれて受信できない、という状態になる。

NHKはさすがというか、「電波が入りにくいので受信料は払いません」という言い訳ができないよう、全国津々浦々まで送信アンテナを張り巡らせて死角を作らなかったが、民放はそうはいかなかった。我が家の屋根に設置されたアンテナで受信できるのは民放二局のみ、一応それぞれ日テレ(よみうり)系列とTBS(毎日)系列ではあったのだが、朝日やフジの番組も放送するごちゃ混ぜ放送局であった。そのため番組によっては放送日や時間が本来とは違ったりして、例えば「笑っていいとも!」を夕方四時からやっていたり、「火曜サスペンス劇場」が「土曜サスペンス劇場」という名前で土曜日の昼間にやっていたりしたわけだが、私はそれが当たり前だと思っていたので午後四時に「おっ昼休みは~」というオープニングソングが流れても何の違和感も覚えなかったし、同級生がまだ放送されてないはずの土サスの話を水曜日にしているのを聞いても「エスパーかよ」とナチュラルに納得していた。

私がいわゆるバラエティー番組や歌番組をほとんど見なかった理由の半分はこれである。まず見られる番組の選択肢が極端に少なかったのだ。

そして残る半分の理由は、チャンネル選択権を握っていた親がNHKばかり見ていたことだ。私の両親は民放の番組のほとんどは「くだらない」と思っていて、自然と子供に見せる番組もNHKがほとんどを占めていた。例外はプロ野球中継と「野生の王国」と「水曜ロードショー」(一九八五年に放送日が金曜日に移動し、「金曜ロードショー」となった)くらいであった。

 

そういう経緯から、私は芸能ネタには致命的に疎かった。どのくらい疎いかというと、峰竜太と竜雷太の区別が全くつかないくらいである。ちなみに鶴見辰吾と風見しんごの区別もつかなかった。水野真紀と水野美紀は今でも区別がつかない。

さて、これだけ芸能ネタに疎いと、同級生と話が合わないというどうでもいい弊害以外にも、色々と不都合が出てくる。自分で「これは」と思えるギャグのネタを思いついたり、なんかイケてる曲や歌詞を思いついたりして、「よーしこれを温めておいて、デビューしたら使ってやる」という中二病全開の妄想をしていたら、それが実は車輪の再発明だった、というオチなんかはその代表例である。

「お前が考えるようなことはだいたい他の奴がもう考えてやっている」という冷静になってみれば至極当然の事実にも、生温かい妄想に囚われた脳みそは一切納得してくれない。私の中二病は長患いで、およそ十七か十八歳くらいまで続いていたと思う。十八といえば今では名実ともに大人である。この、世界で最も愚かな生き物に成人としての権利を与え、義務を課すというのは無謀極まりないけれども法律でそうなったのだから仕方がない。

で、私が十七、八くらいの頃に具体的に何をやったかというと、ラノベの新人賞にとある作品を書いて応募したのである。そのタイトルが「米米騒動」であった。ストーリーは「二〇〇X年、小麦にのみ感染する病原菌により地球上の小麦が絶滅した。人類の穀物争奪戦が始まった……」というもので、タイトルは当初「米騒動」にしようと思っていたのだが、一般名詞ではインパクトに欠けると思い、米を二つ重ねた次第である。

そのラノベは一次選考を通過し、二次選考では落ちたものの編集部のコメントが掲載された。問題はその短いコメントに「タイトルはメジャー音楽グループの名前を連想させるので、このままでは使えない」と書かれていたことで、私はそれを見た瞬間、自分がまた車輪の再発明をやってしまったのだと知った。

当時はまだネットがなく、「米米騒動でググってみる」などという芸当はできなかった。調べものをするには図書館で関係ありそうな資料を渉猟するか、知っていそうな人に訊くしかなかったのだ。私には親しい友人と呼べる者はいなかったが、同級生の何人かと雑談くらいはできた。その中の一人に、それとなく米米騒動というタイトルについてどう思うか訊いてみた。

「米米CLUBみたいじゃねーか」

そいつはあっさりと答えた。

「米米の曲にありそうだな」

私は学校の帰りに本屋へ立ち寄り、普段読んだことのない音楽雑誌を立ち読みした。米米CLUBの新曲を紹介する記事にはド派手な衣装を着た集団が何やら踊っている不鮮明な写真が添えられていた。カールスモーキー石井という、おそらくリーダーと思われる男の顔写真も掲載されていたが、一見して詐欺師っぽいその風貌に私はアレルギー反応を禁じ得なかった。

やばい。

これじゃまるで「米米騒動」などというタイトルを付けた私がこのグループをオマージュしたか、熱烈なファンみたいじゃないか。見も知らぬ人にそう思われたところで実害はないが、ド派手なステージ衣装とか石井某という男の顔が、どうも私の美的感覚とは相容れない。

私は愕然とした表情のまま、雑誌をラックに戻して本屋を立ち去った。

 

その後私は地元の国立大学に進み、中学校の国語教師となった。実家を出て一人暮らしを始めてからは、テレビを持たなかった。テレビの必要性を感じなかったからだ。特に不便だとは思わなかった。インターネットが登場し、テレビで出来たことはほぼすべてネットで出来るようになった。そしてテレビでは出来なかったがネットで出来るようになったことの方がはるかに多くなった。

地デジ放送が始まり、アナログテレビは停波した。ちなみに地デジ放送はUHF帯を使っているので私の実家は未だに受信できるチャンネル数が少ない。それでも新たに設置された中継局などから届く電波で、今は民放を三チャンネル受信できる。

中学校の教え子の中から、私が一次選考どまりだったラノベの新人賞でのちに大賞を受賞してデビューする生徒が現れた。さぞやその才能と運の良さに嫉妬を感じるかと思いきや、私は意外と冷静に教え子の将来を嘱望し、活躍を願う自分を発見した。ただ残念ながら、その教え子は受賞後第一作の評価が芳しくなく、すぐに消えていった。

私は現場を退き、教育委員会に転属となった。結婚はしていなかった。1DKの賃貸部屋には未だにテレビがない。おそらく、死ぬまでテレビのない生活が続くのだろう。

そう思っていた矢先、私はとあるネットニュースの記事に釘付けになった。

 

「直木賞受賞 諏訪靖彦さん『米米騒動』」

 

全身の血液が瞬時にして沸騰するような感覚に私の身体は慄いた。私の理性は告げていた。これは偶然の一致だ。三十年以上も前の、私の新人賞応募作と同じタイトルだからといって、そこに繋がりを見いだすのは困難だろう。私は車輪を再発明し、諏訪という作家も同じことをした。それだけのことだ。

だが私の身体を支配していたのは理性のみに非ず。気付けば私は東京行きの新幹線の中にあり、カチカチアイスを食べながら「これを食べるのは人生最後かもしれないなあ」と考えていた。バッグの中には手製の榴弾砲、作り方はYouTubeで調べた。

直木賞授賞式の帰り道、諏訪に向かって放った榴弾は不発に終わった。私は周囲にいた人々に取り押さえられ、駆けつけた警官に現行犯逮捕された。

後悔はしていない。取調室で刑事が

「あんた、なんでこんなことしたの」

という質問を発したときも、私の頭の中には寒々しくも懐かしい、山に囲まれた小集落の情景がありありと思い出されたからだ。

© 2025 河野沢雉 ( 2025年7月13日公開

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"米米騒動"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2025-07-13 15:08

    腹抱えて笑いました。田舎のテレビは本当にチャンネル数が少ない……(東北から上京したとき、借りたアパートでテレ東を見て「テレ東って実在したんだ!」と感動した覚えがあります)。突然の靖彦さん登場にはぶったまげました

  • 投稿者 | 2025-07-24 20:13

    時代背景を味わいながら楽しく読みました。少し自虐的というか、作者さんの人柄の良さのようなものが滲み出ていると思います。文章も読みやすかったです。

  • 投稿者 | 2025-07-26 00:01

    いきなり諏訪靖彦さん出てきた上に襲撃されてて笑いました。ここで靖彦さんがマジでタイトル被せて来てたらさらに面白かったです。米米騒動! 米じゃなくても良かったのでは?とも思いましたが、米米CLUBを思えば米米じゃないとダメなんですね。麦じゃダメなんです。

  • 投稿者 | 2025-07-26 11:17

    高校卒業後に上京してきた音楽仲間が「笑っていいとも!」が夕方にやってたと言われさんざんネタにしたのを思い出しながら読んんでいたのだけど、「直木賞受賞 諏訪靖彦さん『米米騒動』」で優勝。話の内容はどうでもよくて破滅派なので問答無用で★5つけます。(投稿する前に読んでいれば『米米騒動』で書いたのに。そこは無念)

  • 投稿者 | 2025-07-26 16:13

    面白かった!
    UHFVHFの詳細な説明もありがとうございます。

    いきなり靖彦さんが出てくるし。
    実は今回の私の作品も「靖彦」にしようかと思ったのですが、やめておいて良かった。

    あまりにも私の幼少期と状況が似ていて涙を禁じ得なかったです。ちなみに峰竜太云々の人々は私も全く区別がつかないどころか、名前も知りませんでした。

    実は昔々応募した新人賞に出した小説の登場人物の名前を、考えて考え抜いて、熟考を重ねて、吟味し尽くして、ようやく決めた名前が審査員と同じだったということがあります。いいところまで行ったのに受賞できなかったのはそのせいだと信じています。

  • 投稿者 | 2025-07-27 00:54

    「峰竜太と竜雷太の区別」で大爆笑しました!
    とても面白かったですが、前半の説明がすこし長すぎたかな…とも思えました。
    わたしが今住んでいるところも、昔は日テレ系とTBS系しかなく、笑っていいともは同じく4時だったとおもいます。現在でもテレ東系は映らないので、なんでも鑑定団やモヤさまは適当な時間に放映しています。

  • 投稿者 | 2025-07-27 19:14

    おじいちゃんちのテレビ(茶色で足つき)を思い起こしながら読みました。確かにチャンネルを回していたし、孫にもチャンネル権はなかったです。
    そして突然の諏訪さん(受賞おめでとうございます!)(わたしこのまえお会いしました。有名人登場でとてもうれしくなりました)登場だけでもびっくりしたのに狙われていて驚きました。たのしく読みました!

  • 投稿者 | 2025-07-31 12:48

    流行や同時代性といったある種の権威に対する呪いのようなものを語り手から感じました。

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