「てめえほどの無能は会社はじまって以来だよ! 隣の一年目の方が、仕事してるぞ! 先輩気取る前にてめえの仕事終わらせろよ!」
上司である課長が彼に罵声を浴びせた数日後、専務の方は課長とは全く逆の評価を彼に与えた。
「彼は、我が社の未来を担う将来を嘱望される社員で、唯一無二の個性を会社のために発揮してくれました。先輩に可愛がられ、後輩への面倒見もよかった彼の、突然のことに、社員一同悲しみに暮れています」
パワハラ社員だらけの我が社で、自らのパワハラ行為に無自覚なパワハラ管理職たちが異口同音に「あいつはパワハラだ」と指摘する、『パワハラ達が選ぶパワハラ』に選ばれたとでも言うべき男がおれたちの上司だった。
三年目の後輩が辞表を出すより先に亡くなったのは、昼休憩のときだった。事故とも自殺ともつかない、道路横断中のことだった。
葬儀で、とくに若い社員たちは、遺族になんと声をかけるべきか分からなかった。管理職たちのように「ご愁傷様です」と言うのは軽率な気もしたし、「彼はパワハラを受けていました」と告発したところで、遺族にとって気の遠くなるような裁判で、どれだけのものが得られるのか、すぐには誰にも判別がつかなかった。
なにより、おれ自身が、パワハラにあわないように保身に疲れていた。
「ストレスチェック、今日締切だから三時までには出せよ」
上司が彼にかけた最後の言葉はそれだった。再び、ストレスチェックの締切日が来た今日になって、おれは急にそんな些細なことを思い出した。本来なら、ストレスチェックは上司の確認など不要で、定時の午後五時までに完了のボタンを押せばよいはずだった。だが、上司はストレスチェックの結果をおれたちに印刷させた。
「こんな結果になるわけねーだろ! やり直し!」
この上司になって最初のストレスチェックで彼はやり直しを受けた。先頭を切ってくれた彼のおかげで、おれと一年目の後輩は、完璧な結果を提出できた。今日も完璧な結果を午後三時までに提出が必要で、おれはやる気なくパソコンの画面を見つめた。
【活気がわいてくる】
形骸化した項目。いつもなら何も考えずに、ストレスに反応しない方向の回答を選択するのだが、今回はついつい考えざるを得ない。
【元気がいっぱいだ】
一日十四時間パワハラ上司に隷属していて、どうして元気でいられるのか。『元気』という項目に点数をつけるならまだしも『元気がいっぱいだ』という項目に点数をつけるならゼロ以外にあり得ない。一体どこに『元気がいっぱい』な大人がいるのか。
【生き生きする】
ふと思い出すのは、就職活動中、何十社も落ちている中で、面接先の社長がした質問。おれがよっぽど暗い顔をしていたのか、「君は幸せなのか?」と真顔で尋ねてきた。不躾にそんなことを聞いてくるこの失礼極まりない男に殺意を抱きながら、おれは「はい、幸せです」とだけ答えた。
【怒りを感じる】
怒り? これは怒りなのか? 会社に対する憤り? 義憤それとも、後輩が死んだことの自責? ずっと泣いていた後輩の母親への憐れみ? どんな感情も全て違う気がした。
改めてストレスチェックの項目を読んでみて、おれは呆然とした。いつもはデスクでおにぎりを食べていた後輩が、あの日は外に出かけた気持ちがようやく分かるような気がした。
上司への提出締切三時間前の正午、あの日の後輩のように、おれは外へ出たのだが、どこへ行くべきか分からなかった。
高くなった太陽がおれの陰を余計にちっぽけに作って見せていた。
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