海兵隊の強襲用ヘリ・CH-53Eのキャビンから見下ろす東京の光景に比べりゃ、黙示録すら生ぬるく思えてしまう。
東京の数え切れないほどの高層ビルはほとんどが真っ二つに折れていて、赤い炎の火柱と煙が天を舐めるように立ち昇っていた。折れたビルの断面は、全裸中年男性がびっしりと覆い、ダンゴムシのように群れて震えている。
ヘリは東京タワーの側を通過する。東京タワーの周りには、飛行型全裸中年男性の群れが蚊柱のように群れて飛び回っていた。麻布台の方向から巨大な火柱が近づいてきた。全裸中年男性たちは飛びつくように火柱めがけて猛スピードでつっこむと、ヘリのうるさく響くブレードスラップ音をかき消す、汚らしい断末魔を叫び、焼け死んでいった。
――東京は全裸中年男性に支配されてしまった。
窓から振り向き、キャビンの内部を見渡す。同僚たちは壁面の兵員用座席に腰かけていて、みな、顔を強ばらせてじっと前を見つめていた。俺は手に持ったM240G機関銃を握りしめた。戦場でいちばん信頼できるこの相棒で、いまからどれだけの全裸中年男性を射殺しなければならないのだろう。少なくても両手じゃ数え切れないだろうが。
海兵隊に入る前、家庭人としてはファッキンな父親から逃げ、酒と薬に溺れたハイティーンの俺は、フィラデルフィアの古びた教会の世話になっていた。そこの牧師様はクソガキだった俺に親身になって聖書を教えてくれた。牧師様の語る世界の終末は、四人の騎士やアンチキリスト、偽預言者、サタン、バビロンの大淫婦など、強くて悪くてカッコイイ連中が暴れまくっていた。
まさか本当の終末がこんなにクソ醜いとは思わなかった。死ぬならもっとクールでマッチョな奴らと戦いたかった。なんだよ、全裸中年男性って。深くため息をつくと、隣から伍長が話しかけてきた。
「どうだい、父親と弟を救出する気分は?」
「あまりいい気分じゃないですね。救出したあと、あいつらに説教されるんじゃないかって思っています。俺みたいな元ジャンキーの放蕩息子に会いたがるような家族じゃないですし」
「心配するな。いまは誇り高き海兵隊員だろ? オヤジさん、お前の姿を見たらションベンを漏らして喜ぶだろうな」
逃げ遅れた在日アメリカ人の救助――それが俺たち第7海兵連隊第1大隊大隊上陸チームの任務だった。まだ東京に残っている合衆国国民50人は虎ノ門のアメリカ大使館の地下シェルターに避難している。親父は駐日大使だった。
「どうせ弟のほうが好きですよ。そうじゃなかったら、親父は俺のほうを秘書官にしていた。親父は、血の繋がってない子どものほうを大事にした」
オバノン伍長へ返事する。伍長は申し訳なさそうな顔をすると俺の肩を叩いた。
「そうか、すまなかった」
伍長は振り向き、乗員たちに向かって叫んだ。
「俺たちが生きているうちに作戦計画8888-ZCDが実行されるとは思わかなった。いまから俺たちは、人類の誰もが経験したことのない非常事態に対処する。生きるか死ぬか、神のみが知っておられる。さあ、祈ろう」
オバノン伍長は両手を組むと目を閉じた。同僚たちもすぐに従った。目を瞑む。ヘリの爆音がやたらはっきりと聴こえた。
作戦計画8888-ZCD(ZenraChunenDansei)には日本で全裸中年男性パンデミックが起きた際の軍事作戦計画が定められていた。
ZCD症候群は日本列島の風土病である。胎児期に母体を通してZCDウイルスに感染し、35年から40年程度の期間潜伏する。発症すると前頭葉の一部が縮小し、社会性を司る機能が低下。特に品性を司る機能が壊滅的なダメージを受ける――つまり下品になり、末期段階になると心肺機能が停止。風貌が全裸中年男性になり狂死するという致死率50パーセントの恐ろしい病である。三種混合ワクチンに極秘裏に混ぜられたZCDワクチンのおかげで日本人の感染報告はゼロだが、ワクチンは不完全であり症状が極わずかに出てしまうため、日本人中年男性がみな似たような思考回路になり、そば打ち、山登り、釣りなどの趣味を持つのはZCD症候群のせいである。また、このZCD症候群についてはその存在自体を知ってしまった場合、発症確率が百倍以上に跳ね上がるため、日本国および各国政府は全裸中年男性に関する情報を検閲して削除し、単なるネットミームだという情報を流して偽装工作している。
感染経路は不明だが、稀にワクチン未接種の外国人が感染することがある。作家のヘルマン・ヘッセも軽度のZCD症候群にかかり、全裸で崖を昇る写真が見つかっている。また、コメディアン時代のゼレンスキー大統領も感染が疑われており、全裸でギターを弾く動画が確認されている(なお、とにかく明るい安村はZCD症候群ではない。履いているからだ)。
ZCDウイルスの最後の感染報告は2008年10月、日本を観光していたイギリス人男性が東京の皇居で突然全裸になり、堀を泳いだ事例である。ZCDワクチンを摂取せずに日本へ行くなど、我々アメリカ人の感覚からすれば全く理解できないが、紅茶をキメた英国人どもは昔からなにをしでかすかわからない。
そして2025年7月5日、ついに恐れていた事態が発生した。新型ZCDウイルスがパンデミックを起こし、東京の住人の8割が感染。市街地が全裸中年男性に溢れかえってしまったのだ。アメリカ大統領は日本国政府に対し、核兵器を使用した滅菌作戦を即時提案。日本国の首相は感染して全裸中年男性になり、国会議事堂をよじ登りセミのように鳴いていたので、総理を代行する副総理が作戦を承諾。今夜、東京が地球上から抹消されることになった。――モンタナ州マルムストローム空軍基地から大陸間弾道ミサイルLGM-30Gが発射されて東京が火の海になるまで、あと三時間しかない。
祈りを捧げた後、ヘリはアメリカ大使館の正面玄関の脇に降下した。キャビンは広く、生存確認が取れた50人なら充分に搭載できる。大使館の職員は地下の核シェルターに隠れていた。大使館の南側には森に覆われた、二階建ての白亜の豪邸が見える。アカサカのホワイトハウスとも呼ばれた大使公邸だ。俺は伍長とともに、公邸地下のシェルターに避難している親父と弟を救出する。なお大使夫人――法律上の母親は手遅れだった。ZCDに罹患した人間を治療する技術をまだ人類は発明できていない。
「さっさと任務を終わらせるぞ。ミサイルをぶちこまれる前にな。さあ、nakedをぶちのめせ!」
伍長が叫ぶ。
「サー、イェッサー!」
ヘリのハッチが開く。すぐさま、全裸中年男性が飛びかかってきた。冷静にヘッドショットする。全裸中年男性は呻き声をあげてあっけなく倒れた。
「さあ、さっさと終わらせるぞ!」
伍長が檄を飛ばしたその瞬間、飛行型全裸中年男性が伍長に襲いかかった! たちまち数人の全裸中年男性に抱きつかれた伍長は「お前ひとりでいけ!」と叫ぶと、全裸中年男性の頭をへし折るように曲げた。
俺は大使館の敷地を南へ走り、大使公邸の敷地へと足を踏み入れた。ところどころ燃える木々の間を走って駆け抜けると、気品あふれる大使公邸とプール付きの巨大な庭が目の前に現れた。
庭には全裸中年男性の姿がなかった。入るならいまだ。公邸へ駆け寄り玄関を蹴破ろうとしたその瞬間、頭上から穢らわしい雄叫びが聞こえた。
すぐさま建物から離れ、声のした二階のバルコニーを見上げる。
「な、なんだと……!」
信じられない光景が広がっていた。俺は膝から崩れ落ちた。親父であり誇り高き駐日アメリカ合衆国大使は全裸中年男性になり、バルコニーの手すりの縁にぶらさがりゲラゲラと笑っていたのだ。
ヘッドセットから伍長の声が聞こえた。
「俺は無事だ。大使はいたか? 早く見つけ出せ!」
この状況を報告しようか迷った。いや、こんな姿を、絶対に見せてはいけない。たとえ憎い親父でも、全裸中年男性になったところなど見せたくない。俺は震える声で
「……まだ見つけていません!」と返事した。
俺は無線を切って立ち上がってもう一度玄関を蹴破ろうと歩き出した。すると、突然扉が開いた。スーツ姿の男――弟のジョンが出てきた。
「……ジョン! どうして親父がああなっちまった!」
「やあ、兄さん! なんでああなったのかな。でもさ、聞いてくれ。お父さんはすごく、いい笑顔をしているね? 家のなかじゃ常に眉間に皺を寄せてイライラしてたのにさ。俺もお父さんみたく全裸で遊びたくなってきた。兄さんも一緒に遊ばない?」
「何言ってやがる! 訳の分からないことを言うな。親父のことは見捨てたくなかったけど、ジョン、お前だけでもを連れて東京から逃げるぞ!」
ジョンはくっくっくっと笑うとジャケットを脱いで放りだした。
「けど、ねえ、兄さん。俺、おかしくなったのかな。裸になりたいんだ。普通、外で服は脱がないよな。もしかして、俺もウイルスに感染したのかも。なあ、兄さん。俺、人間として死にたいよ。全裸中年男性じゃなくてさ、人間として」
ジョンは雄叫びを上げる瞬く間に脱いで全裸になった。ジョンは勢いよく飛び跳ねるとバルコニーの手すりにぶら下がり、親父の隣でケタケタ笑い出した。
「どういうことだよ……!」
絶望。俺以外の家族はみな全裸中年男性になった。潔く俺は死ぬべきなのだろう。そう思った瞬間、無線が再び入った。
「なんとか全裸中年男性をやっつけた。大使館のシェルターにいた避難者の保護も終わったし俺もそっちへ向かうぞ」
このままでは伍長に親父と弟を見られてしまう。俺は決意した。恥を晒すよりは、死なせたほうがいい。
俺は機関銃を親父と弟「だったもの」に向けて引き金を引いた。二人の全裸中年男性はたちまち落下して、庭に落ちた。プールサイドのポールの傍に星条旗が落ちていた。おそらくポールから落ちてきたのだろう。俺は二人の全裸中年男性の亡骸を星条旗で覆った。
無線を入れて、伍長に「シェルターには誰もいなかった」と報告した。
「本当だろうな?」
「俺の弟も、いや、親父も、立派な人間だった。決して、全裸中年男性じゃなかった」
伍長は何かを察したように、黙ると指示を出した。――撤収だ。
無線を切る。俺は星条旗に覆われた亡骸へ向かって「安らかに眠ってくれ」とつぶやいた。胸の前で十字を切る。俺はヘリの方向へ走りだして狂ったように叫んだ。
三時間後、LGM-30Gが東京に到達。東京は巨大な炎と強烈な爆風により、地上から消滅させられた。
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