爆ぜる

破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品

諏訪靖彦

小説

12,953文字

破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品。

 

親父が倒れた。

昼食後、一人喫煙所でタバコを吸っているとお袋から電話が掛かってきた。半導体工場の駐輪場脇にあるブロック塀で囲まれた喫煙所で、左手の親指と中指でマイルドセブンFKをはさみ、人差し指で落とす灰の無くなったタバコの背を、火種を落とす勢いで何度も何度も叩きながらお袋の話を聞いた。親父が単身赴任先でクモ膜下出血を起こして倒れたこと、運良く同僚と喫煙所でタバコを吸っているときに倒れたこと、会社近くの総合病院に搬送されたこと、そして意識がないこと。右手に持ったPHSから聞こえるお袋の声は僅かに震え、幾分早口で、その口調からはっきりとした動揺が感じ取れた。俺はお袋に仕事を早退して病院に行くと伝え電話を切ると、社員食堂で昼食を取っていたライン班長に事情を説明して自宅に向かった。

俺は自立していなかった。食費という名の申し訳程度の家賃を払って実家に住んでいた。友人に紹介してもらった工場に勤めながらいつか仕事を辞めて音楽で飯を食っていければいいと思っていた。ライブにかかる費用は殆どバンドメンバーの持ち出しで賄っていたし、仕事終わりに毎日のようにスタジオで練習していた。九〇年代のバンドブームの中で音楽ワナビを相手に金を出せばプレスだけしてやるといった詐欺のようなインディレーベルでCDも出した。なるべく音楽以外のことに金を使いたくなかった。住む場所があるのに一人で暮らすために月数万の家賃を払うのが嫌だった。実家暮らしの恥ずかしさは我慢すれば良いだけだ。そんな理由で実家暮らしを続けていた。

原付バイクにまたがり親父のことを考える。親父は大手家電メーカーに勤めていた。仕事だけが生きがいの古い人間だった。遊んでもらった記憶は殆どない。俺が寝ているときに帰ってきて、休日は翌週の仕事の英気を養うため寝てばかりいた。たまに起きている親父を見かけても、酒ばかり飲んでいて俺の相手をしてくれることは殆どなかった。そんな親父だったが、親父の道徳観に反することをしでかしたときは、力いっぱい俺を殴った。顔がはれる程殴られた。痣が出来るほど蹴り飛ばされた。力で対抗出来るようになったらやり返してやろうと思っていたが、親父は俺が中学生になると家からいなくなった。蒸発したわけではない。親父は転勤族だったんだ。俺が小学生だった頃は転勤先に付いて行ったが、中学に進んでからは単身赴任するようになった。中学で転校すれば進学に影響すると考えるのは当然だ。殆どの親が同じ選択をするだろう。しかし、俺の場合は転校しようがしまいが関係なかった。俺はどうしようもなく頭が悪かったんだ。ほぼすべての教科で学年最下位を争うほど頭が悪かった。だから試験で名前を書けば入れる私立の商業高校に入った。金持ちではなかったが、貧乏でもないからそんな高校に入ることが出来た。その程度の学力だから中学で転校しようがしまいが、俺の人生はそう変わらなかっただろう。

自宅に着くとお袋は病院には向かわずに俺の帰りを待っていた。一人で病院に行くのが不安だったのだろう。俺はお袋と一緒に電車を乗り継ぎ親父が単身赴任していた千葉県の病院へ向かった。電車の中でお袋は終始うつむき加減で、最寄りの駅が近づいてくると不安になったのか俺の手を握って来た。俺は手を握り返したが、言葉を掛けることはしない。「大丈夫だから」「心配ないから」などと言うことも出来たが、そうである保証はない。

日が落ち始めた頃病院に着くと直ぐにICUへ通された。そしてベッドの上で寝ている親父の横で医者から病状について詳細な説明を受けた。出血はあまり広がってない。出血を引き起こした動脈瘤をクリッピングすることで、後遺症の心配は少ないと説明され安堵したものの、今は手術が出来る医者がいないため、明日の朝まで眠らせて朝一で手術を行うと説明を受けた。すぐに手術を行えない状況に納得出来なかったが、他に選択肢がないならしょうがない。俺とお袋は医者の提案に了承し手術承諾書に名前を書き込んだあと、病院で一夜を明かした。

翌朝看護師に呼ばれ診察室に行くと、医師から夜中に二度目の出血があったと言われた。シャーカステンに映し出されたCT画像には素人目でもわかる影が脳一杯に広がっている。これから手術をするが成功しても広範囲に後遺症が出る可能性が高いと説明された。そこでお袋は泣き出した。俺はここでもお袋に掛ける言葉を持ち合わせていなかった。診察室を出ると、親父やお袋の親戚が集まっていた。お袋は精神的にまいっていて、俺が親父の状況を親戚に説明するが、途中で声が震える。その震え声が情けなくてさらに震える。明確な説明が出来たかどうか怪しいが、親戚に親父の病状を話し終えると、俺は暫く一人にさせてくれと言って病院に併設された公園に向かった。心の整理をしようと思い公園にベンチに腰を掛けると涙が溢れてきた。俺は看護師に連れられ車椅子で公園に来ている患者の目が気になり公園裏の雑木林に移動して泣いた。恐らく一時間は泣いていただろう。親父に歯向かうことが出来なくなったとか、親父と酒を飲むことが出来なくなったとか、付き合っている彼女の良いところを伝えてなかったとか、そんなことが頭の中を巡り咽び泣いた。それまで親父のことを考えることなど殆どなかったのに、親父のことだけ考えて泣いた。俺は中学生の頃から涙が出なくなっていた。感情が希薄なわけではない。むしろ小さな事で一晩中悩んでしまうようなナイーブな性格だった。しかし、感情を揺さぶられる事があっても、それが涙となって流れることはなかった。それが、親父が倒れたくらいで涙が溢れてくる。俺は今までの分を取り返すかのように泣いた。そして涙を雑木林で吐き出してから病院に戻ると、親戚の視線が冷たかった。目を腫らして戻ってきた俺を見て、お袋を残し一人泣きに行ったダメな息子だと思ったのだろう。

その後暫くしてから親父が勤めている会社の同僚が数人見舞いに来た。俺は親父の病状を説明したが、それを聞く同僚らは俺に奇異の目を向けている。親父と俺の容姿があまりにかけ離れていたからだろう。肩まで伸ばした金髪を束ね、ウォーホールのバナナTシャツをだらしなく着て、穴だらけのジーンズを履いた俺に親父の面影などあるはずがない。同僚らは俺の説明を聞くと「元気な姿で会社に戻ってこられることを願っています」と言って会社へ戻っていった。同僚らが帰るのを待っていたかのように親父の手術が終わった。手術室の前で待っていると扉が開いて医師が成否を告げるなんてことはなく、患者家族待合室のドアが静かに叩かれた。俺は待合室のドアを開けて医師を迎え入れる。医師は手術が成功したと言い、次に施術内容や今後の治療方針を話し出した。一時的に頭蓋の一部を腹の中に埋め込んでいること、水頭症が予想されるため、脳から食道へ水分を排出する管を通していること、ICUで過ごす期間のこと、予想される後遺症のことなどを聞きながらお袋を見ると、メモを取りながら真剣に話を聞いている。これからしなくてはならないことを頭に叩き込んでいるんだ。お袋と違い俺の頭には医者の話が半分も入ってこなかった。

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2023年9月29日公開

© 2023 諏訪靖彦

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