超短編小説「猫角家の人々」その57
1962年10月、ネルソン・ロックフェラー、ディヴィッド・ロックフェラー兄弟は、NYで、統率教会の蚊賤迷教祖と会った。三人は意気投合し、以後、蚊賤迷は、ロックフェラー一味の「極東のエージェント」として暗躍することとなった。会談後、帰国した蚊教祖は「今日から反共をやる」と信者に宣言した。あくまで「便宜上」である。「思想的背景」など何もない。さすが、邪教である。節操も理念もない。以来、統率はCIA宗教として、ロックフェラーの手足となって動くこととなったのだ。
その後、蚊教祖の統率教会は、韓国の大統領選に介入し、毎回、有力な全候補に選挙資金を出して「誰が当選しても、蚊の言いなり」状態を醸成して、今日に至る。また、1991年11月には、蚊教祖が北朝鮮の平壌に入り、金日成主席と会談した。この訪朝で、蚊教祖は、金日成主席と手を結んだ。二人は「義兄弟」の契りを交わし、以後、統率教会は、北朝鮮に信者3000名を送り込み、豪華ホテルを建設し、自動車工場を設立している。これらの一連の連携行為は、デービッド・ロックフェラー一味の「合意」の元に進められたものであり、北朝鮮は、統率教会を通じて、ロックフェラー一味としっかり連携しているのである。韓国同様に、北朝鮮もロックフェラーの手駒に過ぎないのだ。
そして、日本では、1968年4月1日に、統率教会の「右翼」部門である国際勝共連合が設立された。その設立に尽力したのが、岸信介、笹川良一、児玉与志夫の3戦犯であった。A級戦犯だった3人は、戦時中に隠匿したダイアモンドなどの金銀財宝をGHQ高官に供出して顔色を窺い、戦後のロックフェラー一味による日本支配の「手先」として任命されることで、処刑を逃れた。3人は、東条英機元首相らが処刑された日の翌日、1948年12月24日に巣鴨プリズンから釈放された。3人は、すぐさま、熱海の温泉に向かい、熱海の海岸を散策しながら、戦後の「傀儡政治」の計画を練ったのだ。当時の3人の熱海での写真が今は見つからない。残念である。
こんな経緯があったからこそ、統率教会は、1968年に国際勝共連合を日本で設立できたのだ。そして、統率は、ロックフェラー一味による日本間接支配の機関として、21世紀の今も機能しているのだ。統率邪教を日本に入れた岸信介の孫、安倍心臓は、出来は悪いが、使いやすい傀儡だ。統率の言いなりで、何でもロックフェラー一味のいうことを聞いてくれる。この安倍心臓に絶対権力を付与し、日本という国を1%オリガーキの思いのままに操る。それが、「自公連立」政権にロックフェラーが与えた仕事なのである。(続く)
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