2.
祥子が自宅で昼食の後片付けをしていると、電話の音が鳴った。
祥子は洗い終わったばかりの食器を食器乾燥機に入れて、タオルで手を拭きながら慌てて電話の子機を手にとって電話に出た。受話器の向こう側から父の稔の声が聞こえた。父の声と一緒に強い風の音が聞こえた。(外にいるのかな。父はどこにいるんだろう、もしかして徘徊だろうか…)祥子は不安になった。
「お父さん、どうしたの」
「今さ、どこにいると思う」
祥子と話すとき、父はおどけてばかりいる。もともと稔は明るい性格なのだ。それでも人の好き嫌いが激しいばかりに偏屈だと思われがちなのだった。
「何よ急に、どこにいるの」(認知症による徘徊だろうか)祥子の不安は増した。
「へへへ、江戸川の土手の上を走っているんだよ。川沿いに走れば墓まで行けるんだよ」
「何!ダメだよ、危ないじゃないの、戻りなよ」
「大丈夫だよ、家から一時間ほど走れば、あんたのお母さんに会えるのに気がついたんさ」
「わかったから、走りながら電話しちゃ危ないよ」
「大丈夫、今は土手に座って休んでいるんだよ」
「で、今はどこにいるのよ」
「うーん…地図見てもわかんねぇなぁ、タンエって読むのかなぁ。」
「タンエ…」(どこだろう…あ、多分、瑞江(みずえ)のことだ
「とにかくさ、膝が悪いのに自転車で、お母さんのお墓まで行くのは危険だよ、お願いだから家に戻ってよ」
「やだよ、墓まで行くって決めたんだよ。土手の上は気持ちいいぞ、お前も来ないか」
「そこがどこだかわからないのに行けるわけないじゃん」
「墓まで来ればいいんだよ、墓に行くんだから、俺は墓で待ってるから」
「お墓まで行ったとしても、帰りは、またお父さんひとりで自転車に乗って帰るんでしょ。危ないじゃない。それに今日はこれから歯医者に行かなくちゃならないんだよ、お願いだから家に戻って…」
「なぁんだ、そうなのか、しょうがねぇな、じゃひとりで行ってくるよ」
「お父さん、やめてって」
「うるせぇ」電話は切れた。
「ったく、短気なんだから、わけわかんない」
祥子は食器乾燥機の電源を入れてから深くため息をついた。
「やっぱり心配だ」
食器乾燥機の唸るような音が聞こえ出すと、祥子はゆっくりと電話機の子機を手に取って稔の携帯電話に電話をかけた。(出ない…怒ってるのか)
祥子は、居間の食器棚の上の稔と稔が江戸川の土手の上を自転車を懸命にこいで全力疾走している姿を想像して涙を流した。(お父さん、いっつもお母さんと一緒だったもんね)稔の孤独が少しだけ見えた気がした。仏壇代わりにしているレンジ台の上に置いている母の写真に手を合わせて父の無事を祈った。
祥子は結婚して千葉に住んでいた。もともと親孝行な娘だったが、結婚した相手が最悪な男だった。この男のせいで父親の稔には迷惑ばかりかけていた。そんな男と離婚することもできない自分にも嫌気がさした。父には申し訳ないと思っていた。
3.
稔は左に見える江戸川をチラチラ見ながらペダルを漕いだ。漕ぐたびにガシャコンガシャコン…と音をたてる。
川からの心地よい風を老いて皺だらけになった顔に受けながら走るのは実に気持ちよかった。しばらく走ると稔の視界に自分と同じ年くらいの2人の老人が釣りをしているのが見えた。鯉のぶっこみ釣りだが、稔には何を釣っているのかわからなかった。
「あんなとこで釣れるのか…何が釣れるんだべ、面白そうだなぁ」
稔は子供のころに故郷の炭鉱町を流れる遠賀川で鮒釣りをしたことがあるが、大人になってからは釣りをした記憶がない。祥子の亭主が釣りを趣味にしていて、祥子と夫婦でよく釣りに出かけているのを知っていた。(あんなもの何が面白いんだ)稔はいつもそう思っていた。でも、今は暇だからあの男性たちに混じって釣りするのも暇つぶしにはいいかなと思った。
土手の上の自転車道路を走るのは気持ちがいい。釣りを見ながら走っていたら、正面から装甲車のような自転車の前後に子供を乗せた走ってきた若妻グループとすれ違いざまにぶつかりそうになった。驚いて思わず「危ねぇじゃねぇか、この…」と叫びそうになったら若妻たちもそれに気づいたのか、そのうちのひとりが稔を睨みつけて「ちっ」と舌打ちしたら、それに合わせてグループの女性たちが「ひゃはっはは」と奇妙な笑い声を発しながら走り去った。
「ちっくしょう…最近の母親は、みなヤクザみてぇだ」
稔はブツブツ文句を言いながら自転車を漕いだ。向かい風が吹き始めてペダルを漕ぐ両足に力が入る。あっという間に額に汗が吹き出てきた。
「楓子は優しかったなぁ」稔の脳裏に楓子の優しい笑顔が浮かんだ。また涙が出た。楓子が死んでから稔は涙もろくなっていた。(男が泣くなんて…情けねぇ…)そう思いながらハンドルから左手を離してジャンパーの袖で涙を拭いた。涙もろくなったが若いときのように涙は止め処なく流れることはない。
ペダルを漕ぐたびに自転車のチェーンとギアがガシャコンガシャコン…と音を出す。
向かい風はさらに強くなってくる。両足に力が入る。額から流れ落ちた汗が目に入って痛い。(涙の次は汗かよ…)今度はハンドルから右手を離してまぶたを拭う。拭ったことで一瞬目の前がぼやけて見えた。そのとき稔は右手の対岸に一筋の煙を見つけた。人が燃える際の煙だった。(楓子を火葬したところだな…)10年前に妻の楓子を火葬した瑞江葬儀場の煙だった。
楓子は肺がんの末期宣告を受けてからひと月ほどで死んだ。楓子は「西洋医学の治療は受けない」と言ってきかなかった。西洋医学を根拠なく否定して、呪術のような治療行為やよくわからない漢方薬を併用する民間治療を信じた。稔もそれを受け入れてやることしかできなかった。そのために楓子の病状はあっという間に進行してがん細胞は両肺を埋め尽くしてしまっていた。救急車で運ばれたときにはもう手遅れだった。しかも余命はひと月以内だろうと医師は言った。
楓子が死んだ責任の一端は自分にもある、怪しい民間療法など強く反対すればよかったのだ。悔やんでも悔やみきれない…妻を亡くしてしまった悔しさは10年経った今でも拭い去ることができなかった。
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