「もっ、森田……お前……」
3ゲーム目の9フレームを終えた森田のスコアは21と、ある意味で凄いものであった。
1ゲーム目は57。2ゲーム目は48と順調にスコア下げながら、「勘を取り戻してきたかも」、と挑んだ3ゲーム目は幼稚園生バリのスコアを叩きだしている。
といっても100辺りという決して褒められたスコアではない数をウロウロしており、今日一日、恋人気分を味合わせてもらっている身としては公然と、「おめー、ただの下手くそじゃん。なに夢はプロボウラーなんてほざいてるんだよ!」とは言えないのだが、森田のボウルを投げる時に右手と一緒に右足がでる独特のフォームには下手クソを通り過ぎて、まるで悟りきった老僧が心の一切を無にして坐禅をしているような恍惚さをも醸し出している。
そしてまたもやガーターを出した森田は、「ちょっと調子出てきたかも」、と云い、「もうそろそろ自分の才能に気づいた方がいいんじゃね?」とひっぱたきたくもなったが、森田は燃えまくっているので、口や手を出したら火傷しそうなほどであった。
その時である、60フィート(約18.3m)先に立っている十本のピンの奥底から、「ウォー、ウォー、ウオーーーーーー!」、とけだもののような唸り声が聞こえ、怪物のようなゴツイ野郎が匍匐前進で十本のピンをなぎ倒しながら現れた。
この刹那、森田は初めてスペアを記録した。
ゴツイ野郎はレーンを相変わらず匍匐前進しながらこっちに向かってくる。あのゴツイ野郎はどこかしら見覚えがあるのだ。どこであったのだろう? 免許センターで更新した後、「申し訳ございません。体重が足りないので400mlは無理のようで。えっ? 200mlですか? 本日は400mlしかやっていないのです。大変に申し訳ございません。もしよかったらこちらを」、と体重が50kgギリギリ割り込んで献血ができなかったあの日、195ml入りの紙パックの野菜生活100を渡されて、「こいつ献血しないくせに野菜ジュース貰っていくのかよ」、とでも云いたげに献血カーの前に設置されたテントで用紙記入をしながら軽蔑のまなざしで睨んできた黒いタンクトップのゴツイ野郎だったか、三鷹の連雀通りが工事で片側通行規制しているとき、あまりにも段取りが悪い警備員に向かってハードオフで三百円のジャンク箱に入っていそうな粗末な音色のマーチのクラクションをかまされて、こっちを瞬間的に睨みつけたゴツイ顔の警備員、いや、夜の中目黒で入ったコンビニに二台のレジがあり、都心なだけにレジとレジの間隔が狭く、胸元の名札には右のレジが「スー」、左のレジが「ラン」と中国系だろう。愛くるしい顔立ちの女性がレジを打っていたのだが、酔っぱらったリーマン(部長級)が、「ランちゃん、スーちゃんがいるならミキちゃんもいるんか?」、と冷やかした時に、「おい、おっさん。いい加減にしろよ。こちとて早くサキイカと缶詰の焼き鳥持っていかにゃオジキにシバかれるんや」、と放ったグラサンを掛けたゴツイ勇者だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
匍匐前進を相変わらず続けて、レーンの中頃まできているゴツイ野郎は白のグンゼっぽい裸の大将が着てそうなヨレヨレのランニングシャツがオイルでベトベトになり、乳首が透けているのがコケティッシュだったが、よく見ると右手にぐるぐると包帯を巻いている。
嗚呼、思ひ出した。一昨日の夜中に煽ってきた黒いアルファードのゴツイ野郎だ。とすると、ひょっとして森田がもっている自分の指を探しにここ東村山まで来たのだろうか?
その指三本は……途中、田無のジュエリーショップで穴をあけてもらいネックレスにして森田の首に掛かっている。
森田がピンクと白のマーブルカラーの8ポンドを投げるたびに首に掛けられた三つの指が汗と共にキラキラと輝く。その輝きはまるで暴君によって処刑されかけているセリヌンティウスのために走り続けるメロスが流している汗そのものであり、また、下田で踊子と別れ、波の高い相模灘を竹芝なのかどこかわからないが、東京に向かっている汽船のなかで幼女趣味からあっさりとBLに転向した「私」のぽろぽろと零れた涙のように美しかった。
「森田危ない! 逃げるんだ!」
そう叫ぶと入口から颯爽と現れた女性が森田からピンクと白のマーブル模様のボウルを奪い、助走をつけてレーンにボウルを放った。ボウルは流れるようにして乳首が透けて見える裸の大将の顔面にヒットし、「ひでぶー」、と叫びながら8ポンドのボウル、そして十本のピンと共にブラックホールに吸い込まれ、モニターには41のスコアが表示され、森田は今日初めてのストライクを記録してゲームは終了した。
突然現れた女性のその姿は、後ろから見て/(スラッシュ)のように斜め45°の傾きを持ち、右上に挙げた右手と後ろに流れる左手、その下で軸足となっている左足とクロスされたかの様に見える左後ろに伸びた右足が英雄的で、百年戦争を勝利に導いたジャンヌ・ダルクそのものであり、辺りにいたギャラリーたちが、♪律子さんー、律子さんー、な・か・や・ま・律子さんー、さ・わ・や・か・律子さんー♪、と合唱をしだしたくらいであった。
「危ないところでした、あともう少しで高橋……いや、あいつはあなたさまたちを襲い喰らうところでした」、とその女性は云い、「あれ、森田じゃん?」とその女性に声をかけると、「私は森田という名前ではありません。ルミです」、と云いかえしてきたが、目の位置、鼻の位置、口の位置、そして褐色できれいな肌色は森田そのものであったので、「森田、どうしてこんなところにいるんだ?」と聞いた。
「あなたさまは私を救ってくれたのです」、と云う森田(わかりづらいのでこれより先はこの斜め45°の森田は森田Bとし、仙台でクパァクパァ&ズッコンバッコンした森田は森田Aとする)は話を続けた。
「わたしは十二歳の時に両親を事故で亡くし、遠い親戚であるあいつに引き取られました。それからの生活は、いや、生活なんていうものではなく、私はあいつに飼育されており……吉祥寺の病院であいつの子どもを堕ろした帰りにあなたさまに助けられたのです」
「そりゃ酸鼻な目に会ひましたな。ところであの時分、常磐道E6のどちらにゐらしたのでせうか。お姿が見えなかつたやうだが。」
「ええ、あの時は術後の腹痛のため後ろで横になっていました」
「左様でござひますか。最先端な自動車でありましたので、何処にサイドブレーキがあるか分からづ、黒いアルファードをぶつけてしまつたと思ひますが、怪我は御座いませんでしたでせうか。」
「ええ、大したことはありません。あの後、あいつを道路に置いて私がアルファードを運転してあなた様を追いかけてここまで来ました、そしたら私よりも先にあいつが指を探しに着いていたみたいで」
ここで森田Aが森田Bに話し掛けた。「あなたさ、なかなかいいセンスがあるじゃない。ナノといっしょにペアを組んで試合に出ない?」
「すみません、こちらの方は?」、と森田Bが聞いて来たので、「ああ、森田Aです」と答えると、「森田Aさん。ごめんなさい。わたしボウリングははじめてでして……」
「あら、簡単よ。ナノが教えてあげる。だからさ――」
「森田Aさん。私は穢れきった身体でございます。とても人前に出られる者ではございません。わたしなぞかまわずにこのお方とお幸せになられた方がよろしいかと」
「穢れってなに? あのデブにやられまくったってこと? 子ども堕ろしたってこと? そんなのくだらいないね! 生きていりゃ誰だってそんなことあるんだよ。女が生きていくってのはね男が思っているよりもね、ずっと、ずっと大変なんだよ! わかってんの、お客さん!」、となぜか森田Aに怒られてしまい狼狽をしてしまったが、ここでグッドアイデアが浮かんだ。
「森田Bよ。穢れたと思うならば穢れを取りに熊野にいこうじゃあーりませんか。餓鬼阿彌となった小栗判官を甦えさせた湯の峰に浸かりに行こうじゃあーりませんか!」
「あー、そこ知ってる! 秘境の温泉でしょ。ナノも行きたーい♡」、と森田Aが云いだし、「それではあなたさまに甘えてもよろしいですか?」、と森田Bも云いだしたので、駐車場に行くと黒いアルファードが四台分の駐車スペースを使ってオラオラ駐車をしており、こっちの方がこれからの旅路が快適そうであったので、ツーブロック先の車屋に行きマーチを売ることにした。
「お客さん。この車、ちょっと査定できませんね」、と営業の高橋が云いだしたのでどうしてだと詰め寄ると、「年式と走行距離、それにこの手のマニュアル車は人気がないので逆に廃車費用を頂きたいぐらいです」、と云うので、そこをなんとかと営業の高橋に頭を下げると、「いや、それならば日産さんに行かれた方が良いかと。ここはホンダですので……」、と訳の分からないことを抜かしてきたので、「てめぇー、ハイハイと頭を下げて聞いてりゃ足元見やがって! テメーが国分寺の小汚ねぇラブホからドがつくほどのブスな女と出てくる画像をテメーのカミさんに送り付けたろか? えっ、どうなんだこのヤロー! おいおい、黙っててもわかんねーんだよ!」と棚にあった販促品であろう白いN-BOXのミニカーを営業の高橋の口に突っ込み、和やかに交渉をした結果、少々不満であったが三十万円で話がついた。
高橋は歯をポロポロと床に落としながら泣き、大変に良い買い物をしたと喜んでいたので、とても嬉しかった。
『すべて得られる時を求めて』第1章ここに終わる
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