夏休み

消雲堂

小説

2,849文字

秋田に住んでいた頃のお話。小学校5年生の夏休みの思い出と、その消失。

 

1.

僕は小学校の4年から中学校の3年まで東北の秋田市に住んでいました。秋田市は秋田県の県庁所在地で、秋田県の西側中央に位置する日本海側の街です。日本海側といっても市街地から海まではかなりの距離があります。海側には平和鳥のような石油をくみ上げるための油井(ゆせい)がいくつもありました。

秋田に移り住む以前の小学1年から4年の1学期までは隣の青森県の青森市で暮らしていました。秋田と青森は同じ東北であり、隣の県であっても街の感じは、かなり違っていました。

秋田に住み始めてからの印象ですが、秋田の街は佐竹の城下町だけあって街並みが整理されていて、子供心にも青森よりは垢抜けて見えました。青森は東北の最北端であり、北海道に渡るための青函連絡船の港街でもあって、その寒々しいイメージは「最涯の地」といった感じがしたものです。

そのころの父親の仕事は東京に本社がある建築会社の営業マンでした。父は故郷である福島県で採用されてから営業能力を買われて東北の各地にある支店の建て直しを任されていたようでした。今のように家族を置いて単身赴任なんてことはあまりなかった時代です。僕たち家族(母、妹)も、父と一緒に転勤先に移り住むことになりました。

僕は福島県のいわき市生まれなのですが、生まれてから義務教育を終えるまで、一定の地に定住することがなかったのです。つまり故郷がないのですね。僕と妹は引越しのたびに学校の友達たちと別れるのが凄く辛かったんです。妹は転校した学校で泣いて僕を困らせたものです。

秋田市では市内を3ヶ所も引っ越しました。茨島、保戸野八丁、川尻中村清水田というのがその町名です。

最初に住んだのは海岸を通る国道沿いの茨島という町でした。青森から山形、新潟などの日本海側の町を結ぶ大きな国道沿いなので、常に荷物を運ぶ大型トラックが巻き上げる土埃りが舞い上がっている町でした。

ボクと妹は旭川という川を渡って小学校まで通いました。茨島での記憶はあまりないのですが、家の近くには三角沼という不気味な沼があって、立ち入り禁止になっていました。さらに当時公開された松竹の怪獣映画「大怪獣ギララ」に出てくる怪獣ギララのプラモデルを作って遊んだことと、小学校の校門前に金属製で折りたたみ式のボールペンを売っいたのですが、それがどうしても欲しくて母親にせがんで500円を手にして買いに行ったこと(帰宅した父に殴られました)などが記憶に残っています。

その数ヶ月後に市内の北側に位置する保戸野八丁という町に僕たちは引っ越すことになりました。これからお話したいのは、その町に住んでいた時のことです。川尻中村清水田という町のことは追々お話させていただきます。

2.

保戸野に引っ越すと、学区が異なるのでこれまでとは違う小学校に編入しなければならないのですが、父親は「せっかく友達ができたのに、また学校を変えるのは可哀相だ」と、以前の小学校に通えるようにしてくれました。僕と妹は保戸野からバスで小学校に通学しました。

茨島は大型トラックが往来する埃っぽい町でしたが、保戸野は久保田城址にあたる千秋公園の近くにあって、そのためか閑静な住宅地という雰囲気でした。近くには小山があって、麓には屋根の上に金色の飾り物が目立つお寺が建っていました。

小学5年の夏休みだったと思います。近くに住んでいた同学年の子供の一人Y君が僕を自分の学校のプールに案内してくれました。本来であれば、僕はこの小学校に通わなければならなかったのです。初めて学区を越えてできた友人でした。

Y君は美男子で、小学生ドラマによく出てくる「学級委員長でありながら運動神経も抜群」的な容貌と俊敏な動きをしてました。

「あのさ、夏休みにやることがなければ、俺たちの学校のプールで泳ごう」と言われたかどうか今となっては記憶になりませんが、近所同士でラジオ体操していた時に誘われたのかもしれません。

それで一緒に違う学区の小学校のプールで一緒に泳いだんです。Y君だけでなく5人くらいの男の子たちも一緒でした。実はその頃の僕は全然泳げなかったのです。だから本当は泳ぎなんかに行きたくないんです。彼らに誘われたときに「僕は泳げないから」って断ったんだと思うんですが、何故かのこのこついて行っちゃったんですね。そんな僕を尻目に彼らは実にスマートに泳いでいるんですね。それでいて泳げずにバシャバシャ水をかいている愚鈍な僕を、彼らは笑いも、からかいもしないんです。嬉しかったなぁ。

帰りもY君と一緒に帰ってきたんですが、彼は優しかった。ドラマや映画の友情を交わすようなね…本当に良い子でしたよ。

その後も彼と遊んだかどうか覚えていないんです。何せ近所ですからね。でも全然覚えていないんです。Y君と遊んだ記憶は、そのプール遊びだけでしたね。

3.

その後、僕が小学校を卒業して中学生になって遠くにある中学校に通うことになると、その中学校の近くに引っ越すことになるんですね。それが3回目の引越し先となる川尻中村清水田というところなんですね。

そこに引っ越すと、Y君のことも忘れちゃったんですよ。中学校でも楽しいことやら悲しいことやらいろいろあって、それどころじゃなくなるんです。

あれは中学2年になった頃だと思うんですが、中学校から帰宅した僕に母親が「Y君死んじゃったみたいだよ」って言うんです。「Y君って?あの保戸野の?」「そうだよ、白血病だったって」「白血病って何?」「知らないけどさ、病院に長く入院しててさ、苦しくても辛くても泣き言わずに死んじゃったらしいんだよ」僕の母親はあっけらかんとした明るい女性で、人の死に悲しむような人間ではありませんが、そのときも悲しいのか可笑しいのかよくわからない言い方をしてました。

僕はY君のことを久しぶりに思い出しました。僕は人の死に関して経験がありませんから、彼が死んだことで泣くようなことはしなかったけど、酷く悲しかったんです。思い出すのはY君の優しい笑顔だけでした。

それから僕たちは福島県の郡山という街に引っ越すんです。やっと入れた私立高校にも通いました。その後は群馬にある私立大学に入学して中退してダラダラした生活を送るんですが、22歳のときに自分が暮らした青森市や秋田市を一人旅したんです。自分が子供の頃に暮らした街を歩いて、自分はあの頃何を考えて生きていたのか? 再確認したいという目的だったんです。その時に保戸野八丁の町を歩いたんですよ。フラフラと、Y君と泳いだプールがある小学校の前にも行きました。でも、なぜかY君の記憶が蘇ってこないんです。

もしかして、Y君の記憶は夢だったのではなかったのか…なんて思ったりしました。今でもこうやってY君のことを思い出すことがあるんですが、思い出すのは彼が実際に存在したかどうかのバカみたいな確認であったりします。

人というのは生きていくうちに純粋さを失っていくもので、今ではY君の優しい笑顔さえも思い出せない始末なんです。

2014年11月9日公開

© 2014 消雲堂

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