そして僕は振り返る。すると先に広がるのは刑務所のような殺風景で人の死骸の臭いが薄っすらと香る土地だった。僕はガラスのドアを開いて受付のお姉さんに自分の名前を明かした。
「では、貴方の独房は一階の一番奥の所です」
受付係は乳児のような声色で僕の右を指さした。そこにはいくつかの扉があった。後で調べてわかったことだが、この扉の八割が内側から鍵がかかっていた。
僕は廊下を進む。途中で新兵器の開発を急いでいる研究者の一人とすれ違い、彼から使い古された釘を渡された。どうやって使うのが正しいのかなんてわからない釘をポケットにしまいながら、僕は指定された独房の扉を開いた。
そこには何人かのロクデナシが座っていた。誰もがニット帽をかぶり、足首の位置まで丈があるコートを羽織っていた。僕はそんな彼らの姿を見てはじめて、この独房では衣服が自由なんだと思い知った。
「新入りか? 名前は?」
僕は放送禁止用語の羅列の自分の本名を語った。
するとロクデナシどもは一斉に笑い出した。事前に示し合わせたような調子で、規則正しい笑い声が独房の中に木霊して溶けていった。
「おかしなこと、言ったかな?」
僕は最年少らしい顔つきを演出しながらも、声だけは硬くした。
するとロクデナシの一人が立ち上がり、僕の目の前までやってきた。「ああ、お前は自分がどれだけおかしいのか理解してない」
「理解? 僕らは誰でも誰かを理解できるのかい?」
「ああ? まったくおかしいやつだな」
「そうかな」
そして目の前の彼は僕の衣服の穴という穴に指を入れ始めた。いくつかあるボタンの穴を無理やり拡張し、くたくたになった衣服の中で彼が最後に指を入れたのは僕のポケットだった。
「いてえ!」
彼はすぐに指を引っ込めた。人差し指の先からは赤い液体が垂れていた。
「ボス! どうしましたか!」
後方で僕らのやりとりを観ていたもう一人のロクデナシが跳ねるように立ち上がり、迫ってきた。ボスと呼ばれた方は赤い血が流れた指をまるで珍しい昆虫を見つけた時のような顔つきで眺めていた。
「ボス! 大丈夫ですか」
「あ、ああ……」
ボスは自分の指先をしゃぶり出した。
「おいてめぇ! これはどういうこった?」
「し、知りませんよ……」
するともう一人の方は僕のポケットに慎重に手を入れた。そして中をゆっくりとまさぐり、数秒して引き抜いた。
その手には釘が握られていた。
「これは釘じゃねえか! これでボスを暗殺しようってか?」
「いいえ、違いますよ」
僕は数学教師に弁明する時のような震えた声色だった。
拷問屋のロンはいつでも第三独房の中で妄想をしていた。
その日は生娘に己の欲をぶつけていた。日常的に虐待を受けているいたいけな娘に声を掛け、間違った恋愛を享受し、最後には崖から飛び降りて心中する。落下した後に互いの肉と肉が混ざり合い、究極の愛の形で人生を終える。それこそがロンの最大級の欲であり、癖だった。
だからこそ彼女のことを見た時は驚いた。ロンがこれまで妄想で痛めつけてきたどの少女とも特徴が合致していた。
ロンはすぐに彼女の肌にのこぎりを入れたくなった。そして眼球を取り出し、頭蓋を割って脳を飲みたくなった。
ロンは招待状を書いた。そして自分の独房に入った彼女に電波で送信した。あとは彼女がしっかりと自分の独房に来てくれることを祈るだけだった。
快感の心地の中で、ロンは事が進むのを待った。
三階に上がったときに、ここが一階よりも殺風景であることを肌の感覚で理解した。
聞くところによると、三階の独房に住んでいる罪人は血なまぐさい連中が多いらしい。僕を読んだロンという男も例外ではなく、彼は十人の女児を拷問したのちに殺したことでここに来たらしい。
そんなロンの独房はすぐにわかった。白い扉に大きく「ロン」と書かれていた。僕は深呼吸をしてから扉を叩いた。すると扉の向こうから「どうぞ」という面接官のような低い声がした。僕は重たい扉を押して入室した
弾ける痛みと共に身体ががくがくと震えている。マサコは自分のむき出しになった腕の二本の骨が同時にのこぎりで削られている感触に浸っていた。血まみれののこぎりを握って賢明に動かすロンという男は、無表情ではあったがその目線は削れていくマサコの腕に釘付けだった。ごきこぎと高速で骨を切り進めるロンは一滴の汗もかかずに作業を続けている。やがて骨は断ち切られ、残りの肉もすぐに切断された。
マサコの右腕が独房の床に落下する。ボトリと音を立てながら血だまりの中に落ちた腕をロンがすぐに拾い上げ、指をしゃぶり始めた。
「それ、毎回やってるの?」
マサコは肘関節から先が無くなっている左腕を見つめながら訊ねた。
「もちろん! こっちの腕でも、しっかりとやらないとね」
「あっそ」
マサコはすでに冷凍庫に入れられている自分の左腕のことを思い出していた。今から数分前に切断された腕だったが、大した未練も無く、この変態男に勝手に使われてもどうでも良いと思っていた。
マサコは次に今しがた切断された自分の右腕を見た。左同様に肘関節から先の部分はロンがしゃぶっているため無く、雑にぐちゃぐちゃな断面は真っ赤に染まっていた。こちらの腕にも未練の類は一切無く、しゃぶられようが手淫に使われようが勝手にしてくれという心地だった。
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