フェイシズ

牧野楠葉

小説

1,778文字

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これは出鱈目だが、そのシーンに映っている一同が顔を見あわせることを、映画の技法で、フェイシズという。

俺はフロイトのような顔をした四十六歳の鈴木健二という爺、でも妻がいる。妻は三十六歳。俺の仕事は映画配給会社の社長で、金は多少ある。そして、俺には、怜という愛人がいた。怜にはプールつきの家を買って住まわせていた。

昨日も怜と親友の誠とナイトプールで酒を飲んで騒いでいた。怜がプールで泳いだあと、ナイトガウンに着替えてきて、その背中に俺と使ったコンドームが張りついていた。俺はそれを誠に気づかれないように剥がしてポケットに入れた。俺は誠のほうを向けなかった。しかし、誠の視線を首筋に感じた気がした。すると、誠が言った。
「怜、きみはいくらで買えるんだ?」

フェイシズ。

誠は冷静に続けた。
「最近、夜眠れなくて考えるんだが、よくよく考えると皆当たり前にサブスクにも金を払うだろ? 無料なんてものはもうないんだよ! だから自然なことさ、健二、きみの愛人の値段はいくらなんだ?」

すると、怜は笑いながら優しく言った。
「そんなこと言って。この酔っ払いさん。ね? もう今日は二人とも帰んなさい」

すると誠が俺に向かって言った。
「今お前は家賃を払ってるだけで怜を本当に愛してるわけじゃない。いや、それが本当かどうかは別としよう。それはどっちでもいい話だ。とにかく僕が怜を一晩買う、そのサブスク代は、怜かお前か、どっちに払えばいいんだ?」

フェイシズ。

怜の大きな瞳から涙が溢れでた。一瞬途切れたフェイシズ。誠はそこを見逃さず、玄関に向かった。
「ごめんよ。悪かった。またな」
「……俺も帰るよ」
そう言って俺が席を立つと、怜は、俺を引き留めて熱烈なキスをした。

 

 

俺が自分の家に帰ると妻の香織が深夜にも関わらず、電話をしていた。

俺は電話を香織から取り上げた。
「いつも妻が世話になってる。妻と話したいことがある。誰だか知らないけど、おやすみ」
「どうしたの、健二。今日は電話が鳴りっぱなし。疲れたわ、お酒をくれないと」
「俺が酒を持ってこないときみを殺したことになるのか?」
「あなたのユーモアって時々笑えない」

フェイシズ。
「……煙草をくれ」

怜のあの口づけが忘れられない。

香織はカンフーのポーズを俺に向かって取った。俺はそれを見て、ドッと疲れが出てきた。
「そうするとイカすぜ」
「書き留めておく。あなたは今日、セックスしたい?」
「いや、そんな気分じゃない」

俺は投げやりに言った。
「あ、そう。わたしにはさっきみたく電話してた相手もいるし、まあ、いい。浮気してるんでしょ、あなた」

香織の顔はひび割れたような笑いを浮かべた。

そして、俺のスマホに着信があった。俺と香織が目を合わせる。

フェイシズ。

俺は席を外した。怜だった。
「わたし、あのときあなたたちに今日はもう帰んなさいと言ったけど、あなたはきっと戻ってくると思ってた。でも、戻ってきたのは誠の方だった。知ってる? あなたのピンクのコンドームとは違って、誠はエメラルドグリーンのコンドームを使うのよ」

 

 

次の日、刑事が俺のオフィスに来た。誠の死を告げられた。訳がわからなかった。怜が俺たちを帰した直後に、なんと奴は事故に遭って死んでいたのだ。俺は急いで怜の部屋に行った。
「うちにも刑事が来たわ。ねえ、じゃあ、あのときの誠は幽霊だったの?」

さらに、二週間後、怜から連絡があった。
「ねえ、生理が来ない。あのとき、誠のコンドームが破れていたのよ。わたしのお腹にいるのは、幽霊の子供ってわけ?」
 

 

もう俺は家に帰っていなかった。怜はこんにちは、赤ちゃんの鼻歌をしょっちゅう歌うようになった。そして、妻から、離婚届を出される前の朝、怜は夢を見た。怜のお腹は一度たりとも膨らんでいなかった。
「……誠が夢に出てきて言ったの。お前は母親だから、その分のサブスク代を払うよ。お前か、健二か、どっちに払えばいい、ってあのときのセリフを繰り返した。わたし、お腹の中にもう何もないのがわかる気がする」

 

 

俺はその後、怜と別れた。俺たちは、もう誰も愛さないだろう。少なくとも俺はそうだ。もうプールつきの家はいらないと言って、怜は去っていった。

 

 

妻と、俺と、怜の、フェイス、フェイス、フェイス。

2022年10月28日公開

© 2022 牧野楠葉

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