「すみません。ちょっといいですか?」
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。女性はスーツを着ており、胸元には名札がついていた。どうやら会社の人だったらしく、私を呼び止めたのは彼女だったようだ。
「はい。なんでしょうか?」
「実はあなたに調査を依頼したいという方がいるのですが、引き受けてもらえないでしょうか?」
「えっと、それはどういう依頼内容なのですか?」
「はい。ある人物の身辺を調べてほしいとのことです」
私は少し考える素振りを見せ、すぐに答えを出した。
「わかりました。詳しい話を聞かせてください」
私は彼女に案内されて、喫茶店へと向かった。
「簡単に言ってしまうと、浮気の調査をしてもらいたいんです。その相手というのは、私の上司にあたる人なんですけど、最近様子がおかしいんですよね。仕事中も上の空という感じだし、帰りも遅いし……。それに、よく携帯電話の画面を見てニヤついてるし……。だから、ひょっとして浮気をしているんじゃないかと思って、調べてもらおうって思ったんです。ただ、探偵事務所に頼むのもお金がかかるし、知り合いにそういうことを頼めそうな人はいないし……。それで、たまたまあなたのことを思い出しまして……」
「どうしてこの人に目をつけたんですか?」
「それがね……。私、彼の部下に当たるんだけど、彼と一緒に仕事をしているうちに、段々と惹かれていったのよね……。でも、彼は既婚者で奥さんもいるから、叶わない恋だってわかってはいたんだ。だけど、やっぱり諦めきれなくて……。でも、このままだと気持ちを引きずったまま仕事を続けないといけないから、いっそ会社を辞めようかなって思ってたところで、彼が奥さんと別居したっていう噂を聞いたのよね」
「そうですか……」
「それで、もし本当ならチャンスがあるかもと思ったわけ。ねえ、どうかしら?」
私はしばらく考えた後、
「やってみましょう」と答えた。
「ありがとう。それじゃあ、明日からよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして、私と彼女の協力関係が始まった。
翌日、私は早速行動を開始した。まずは相手の身辺を調べるため、職場へと足を運ぶことにした。しばらく社内をうろうろしながら、宮森さんを探していると、偶然にも廊下で彼とすれ違った。どうやら取引先との打ち合わせが終わったところらしく、これから帰社するところだったようだ。
「宮森さん!」
私がそう呼ぶと、彼は振り返り、こちらに向かって歩いてきた。
「はい、なんでしょうか?」
「あの、すみません。今、少しよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
私たちは近くの喫茶店に入った。
「それで、話というのは?」
彼が尋ねてくると、私は「実はですね……」と言って、早速本題に入ることにした。
「実は最近、あなたが女性と一緒にいるところを見かけたという話を聞きましてね」
「それってどういうことなんですか!?」
「実は、あなたの部下に当たる人が目撃したみたいなんですが、どうやらあなたは仕事中にも関わらず、若い女性と二人でどこかへ行っていたみたいでしてね。しかも、その時は部下の女性を同伴していたらしいんですよ」
私は一気にまくし立てた。すると、彼はしばらく考えた後に、「えっと、すみません。ちょっとよくわからないのですが、それがどうかしましたか?」と聞いてきた。
私は内心焦りながらも、「ええ。実はですね、その女性はあなたの奥さんなのではないかという噂があるんですよね」
「まさか! 妻がそんなことするはずないですよ!」
宮森さんは怒ったようにそう言い放った。
「そうですか。そう言ってもらえると嬉しいです」
私がそう言うと、彼は呆れたような顔になった。
「あの、聞いていますか? もしもーし」
私はそう呼びかけたが、聞こえていないのか反応がなかった。
「どうしたんですか? 急に黙ったりして」
私が尋ねると、彼は突然私の手を握ってきた。
「えっ?」
驚いて声を上げると、彼はそのまま手を引っ張り、店の外へ連れ出そうとしてきた。
「ちょっと、どこに行くつもりですか?」私が慌ててそう聞くと、「いいからついてきてください」と言って、さらに強く引っ張ってきた。
私は彼にされるがままの状態で店を出た後、「いったいどこに連れて行くつもりですか?」と尋ねた。
すると、彼は「いいからついてきて下さい」と言うだけで、何も答えなかった。私は諦めて彼に付いていくことに決め、大人しく従うことにした。
その後、私たちが向かった先は、近くにあるラブホテルであった。
「えっと、ここに入るんですか?」私が戸惑いながら聞くと、「ええ、そうですよ」と言って、彼は部屋を選び始めた。
「いや、私は別にそういうつもりで来たわけではないのですけど……」と言いかけたが、「私だってそうです。でも、妻がここに来ているかもしれないじゃないですか」と言われてしまったので、それ以上反論できなかった。
結局、私たちは部屋の中に入り、鍵をかけた。
「ねえ、さっきの話はどういう意味なんですか? もしかして、私の奥さんのことで何か知っていることがあるんじゃないですか?」
私は単刀直入にそう質問したが、彼は黙ったままだった。
「もし、何か知っていることがあるなら教えてくれませんか? もしかすると、あなたの奥さんのことで何か力になれるかもしれませんよ」
私がそう言うと、彼はようやく口を開いた。
「ええ、知っていますよ。全部」
そして、衝撃的な言葉を吐いたのである。
「実は私と妻は血が繋がっていないんです」
「……えっ?」
私は思わず聞き返してしまった。
「つまりですね、私は本当の父親ではないんですよ。だから、妻とは結婚もしていないし、もちろん子供もいません。まあ、法律上は夫婦ということになっているみたいですけどね」
彼は淡々と事実を述べた。
「それって、どういうことなんですか……?」
私は頭が混乱していたが、何とかそれだけ口にすることができた。
「そのままの意味ですよ。あなたが見た女性は妻ではなく、別の女性なんです」
彼はそう言ったが、私は未だに信じられず、頭の中で必死に否定しようとしていた。
「そ、そんな……。じゃあ、あの人は一体誰なんですか?」
私は震える声でそう聞いたが、彼はただ笑っているだけだった。
「ああ、そういえば、まだ名乗っていなかったですね」
彼はそう言って、ゆっくりと近づいてきた。
「私の名前は宮森秀彦といいます。初めまして」
彼はそう言って、右手を差し出してきた。私はその手を握り返すことができなかった。
「さあ、早く服を脱いでください」
「えっ?」
私は彼の言っていることが理解できず、戸惑ってしまった。
「何しているんですか? ほら、脱ぐんですよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。いきなり何を……」
「決まっているでしょう。セックスするんですよ」
「いや、無理ですよ。そもそも、あなたとは初対面ですし」
「関係ないですよ。それに、あなたは嫌がっていないみたいですしね」
彼はそう言いながら、私の股間を指差した。私は慌てて両手でそこを隠した。
「違います。これは生理現象で、決してそういうわけでは……」
「じゃあ、見せてください」
「えっ?」
私が驚いている間に、彼はズボンに手をかけてきた。
「やめてください!」
私は慌てて彼の手を振り払った。
「もう面倒だな」
彼はそう言うと、ポケットからナイフを取り出し、刃先をこちらに向けてきた。
「えっと、冗談ですよね?」
私は恐ろしさのあまり後退りしながらそう尋ねた。
「いや、本気だよ」
彼はそう答えると、一歩ずつ距離を詰めてくる。
「嘘ですよね? ねえ、お願いしますから、やめて下さい!」
私が懇願しても、彼は歩みを止めようとしなかった。
「さようなら」
彼はそう言って、私に向かって飛びかかってきた。
「うわぁ!」
私は叫び声を上げながら、咄嵯に身をかわそうとした。しかし、恐怖のせいで足がもつれてしまい、尻餅をつく形で倒れ込んでしまった。
「くそっ! 逃げられたか……」
彼が悔しそうに呟いているのを聞いて、私は助かったんだと思った。しかし、それは間違いだったのだ。
彼は私を見下ろしながら、再びナイフを構えていた。
「ひぃ! 助けてぇ!」
私が叫ぶと、彼は笑い出した。
「ハハッ! 馬鹿な奴! 俺に殺されるなんて、本当に運がないよな。でも、安心しろ。すぐにあの世に送ってやるからさ」
彼はそう言って、勢いよく振りかぶった後、私の腹部目がけてナイフを突き刺してきた。
「ギャアァーッ!!」
私は断末魔のような悲鳴を上げたが、不思議と痛みはなかった。しかし、意識が薄れていくのを感じた。
「あーあ、死んじゃったか」
彼はつまらなさそうな口調でそう言うと、立ち上がって部屋から出て行った。
その後、警察によって死体が発見されたが、凶器は見当たらなかったという。
コンソメパンチ 投稿者 | 2022-08-06 13:36
拝読しました。
破滅的でめっちゃ面白かったです。