幸せな夢を見るためのレシピ

諏訪靖彦

小説

2,791文字

自戒の念を込めて書きました。あ、お薬のことじゃないですよ。

 

突然ノートパソコンが立ち上がらなくなり、一週間働いた分のデータにアクセスできなくなった。こういう時に限ってクラウドと紐付けているフォルダにデータを入れてないし、NASへバックアップも取っていない。一週間分といっても世間からしたら日銭程度の仕事だが、私はその日銭で生活しているわけで、納期に間に合わないと今後仕事をもらえない可能性も考えられる。そこで私がとった行動が、不安を消すために向精神薬をちょっとだけオーヴァードーズすることだ。

なぜちょっとだけオーヴァードーズをしようと思ったのか、それは大量に飲んだときに起こるセロトニン症候群が厭だったからだ。いままでSNRIとNaSSAの倍々ロケット、それに倍アリピプラゾールを試してセロトニン症候群を何度か経験した。結果最悪になることが多かった。初めは良い。強烈ではないが心地よい多幸感に包まれ何もかも全部許せる気持ちになる。誰かから何かしら許しを請われているわけではないが、そんな気持ちになる。でもその時間は短くて、結果短かったと感じるのかもしれないけれど、しばらくするとだんだんと手足が震えはじめ、アカシジアが大きくなっていき、冷や汗が背中を伝い瞳孔が開いているのが分かる。全身を大きく動かしながら口を閉じると奥歯がガチガチするものだから、口を開けて何か喋っていなければならないと思い始める。だから、なんでも、本当になんでも目に見える物に今まで気づかなかった意味を見つけたと錯覚して、意味のない言葉を大き開いた瞳孔と大きく開いた毛穴から流れ出る冷や汗と一緒に外に垂れ流す。そのころになって流石にこのままではまずい、対処しないといけないなと思い始めて、メジャートランキライザーが起こした錯乱と言ってもいい現象をマイナートランキライザーで収めるなんてちょっと可笑しいなと思いながら、ベンゾ系不安薬を大量に砕いてスニッフするのだけれど、まあ大抵直らない。そして自分でどうにもできなくなって救急病院で抗てんかん薬を静脈注射してもらうことになる。セロトニン症候群が落ち着いてから措置入院の話になったらますます最悪で、走って逃げるほかない。

話がそれた。ノートパソコンが立ち上がらなくなり、一週間分の仕事を飛ばして、この先仕事を貰えなくなるかもしれないとの不安から、ちょっとだけオーヴァードーズを試してみることにした。SNRIとNaSSAの1.5倍ロケットだ。サインバルタの一日許容量は60mgでリフレックスは45mgだからサインバルタ3カプセル90mgとリフレックス4錠と半分67.5mg、リフレックス錠はパキッと半分に割れるように出来ているので便利だ。起きている気はさらさらなく幸せな気分で眠りにつきたいので、ウィスキーの水割りと一緒にマイスリー20mgとベルソムラ3mgとルネスタ6mgを一緒に飲んだ。残念なことに私は睡眠薬耐性がつきすぎてしまって医者から処方される分だけでは寝付けない。だから個人で輸入できる範囲で買い集めている。

不安から解放されて多分口元を緩めて半笑いで眠りについたと思う。そして幸せが訪れた。

夢の中で私はツイッターのフォロワー宅にいた。顔も名前も知らないフォロワーだ。ツイッターだけで繋がっている、もしくは私が繋がっていると思っているだけのフォロワーの家にいた。当然そのフォロワーのバックグラウンドなんて知らない。年齢は俺と同じくらいかちょっと下、性別すらあやふやで恐らく男だろうな程度、面白い発言を見かけるとファボするくらいで決してリプはしない、その程度の関係性のフォロワーの家の居間にいた。

夢の中のそのフォロワーは四十代半ばの男性で少し頭髪が薄くなっているが、それによって加齢を感じたのではなく、フォロワーが四十代半ばだと思ったのは話の中で「実は息子が希望する大学に入りましてね」と目じりを下げて息子自慢をしていたからだ。フォロワーの隣にはその妻らしき人物が座っていて一緒に笑っている。現実世界で見ず知らずの——と言ってもツイッターフォロワーではあるが——人間の息子自慢をされても愛想笑いを浮かべるしかないわけだけど、夢の中の私はそれが自分の息子のように嬉しくてなってフォロワーとその妻と抱き合って喜び泣きむせびながら幸せを分かち合った。フォロワーの妻は「これも見てやってください」とアルバムを広げて自慢の息子の成長過程の写真を見せてきた。産湯に浸かるフォロワーの息子の写真、七五三で子供用スーツを着てカッコをつけているフォロワーの息子の写真、私立の中学に入ったときに校門前で撮った自慢げな顔のフォロワーの息子の写真、大学の合格発表で涙するフォロワーの息子の写真、それを一枚一枚じっくりと、穴が開くほど見つめて、そのたびに私はむせび泣く。なんて幸せな家族なんだとむせび泣く。そこに羨ましさからくる妬みや嫉みなんてものは全くなくて、幸せを共有している感覚だけ、そうここには共感しかない。共感しているだけで最高に気持ちがいいのだ。

気持ちいものにはずっと浸っていたい。しかし、フォロワーの妻が「小学生の運動会のDVDを持ってくるわね」と言った瞬間、目が覚めた。ベッドサイドに置いていたスマホを乱雑に掴み時間を確認する。3時間ほど眠っていたようだ。3時間は途中覚醒の範囲で直ぐに睡眠薬を追加すればさらに眠れる可能性が高い。それに、ちょっとだけオーヴァードーズの効能も残っているはずだ。夢の続きが見たい、共感することで幸せになれる世界にまた身をゆだねたい。その一心で私はマイスリー10mgを追加してベッドに横になった。幸い直ぐに睡魔が訪れた。

フォロワーと私はマンションのベランダに出て一緒にタバコを吸っていた。後ろを振り返るとフォロワーの妻がDVDデッキから円盤を取り出してしていた。フォロワーの息子の運動会は見られなかったが幸せな夢は続いていた。おかしな話だが私はこれを夢の中で夢だとはっきり認識していた。現実でこのような幸せを素直に共有することが出来なくなっていたからだ。

「スワさんに幸せをお裾分けできましたかね?」

タバコの煙を吐き出しながらフォロワーが言った。私は即答する。

「ええ、とても幸せな気分になれました。他にも、たとえばフォロワーさんが奥さんと知り合ったときの話とか、教えてくれませんか?」

フォロワーはタバコの背を人差し指でトントンと叩いて灰皿に灰を落としてから私を見る。

「ええ、それはまた次の機会にでも。そのときはスワさんの幸せもお裾分けしてくださいね」

私はそこでまた目を醒ました。ベッドの上で天井を見上げながら暫し考える。

ベッドから起きた私はカフェインがたっぷり入ったエナジードリンクを冷蔵庫から取り出し一気に飲み干した。そしてノートパソコンの再セットアップを始めることにした。

 

(了)

2021年8月31日公開

© 2021 諏訪靖彦

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