手向ける

maronsan

小説

5,152文字

夏も熟して、涼しい季節が恋しいと思っていたところに雨ですね。初投稿短編です。

『どシコリ申し上げた。最期の晩餐。作品名は出さないけど、めちゃくちゃ幸せだった』

『皆さん今までありがとうございました、そして永遠にさようなら』

連投されたツイートを何度か読み返す。ついでに、それ以前に投稿された内容にも目を通した。何ということはない日常の彼が居て、そして私は驚くほどに無感動だった。最後に彼と会ったのは三ヶ月前だっただろうか。二人で焼肉をたらふく食べた帰り、お世辞にも美味しいとは言えない豚骨ラーメンを並んですすっていた彼の姿が、私の脳裏にはっきりと存在している。

「しーちゃん、彼女まだ出来んの?」

「分かってて聞いてるだろ」

「流石に心配だからなあ」

「悪いな。だが余計なお世話だ」

べたべたした赤い卓上には唐辛子まみれのニラとキムチが丼に山と盛られて鎮座しており、私はそれぞれを箸でもりもりと掴みスープに投入する。

「俺からすりゃお前ってほんと嫌味なやつよ。その顔面なら引く手数多じゃねえか」

彼はチタンフレームの眼鏡のずれを指で直し、心底わかんねえ、と俺の横顔を覗き込んでくる。

「俺は人に興味がないんだ。俺自身に関してもな」

「そんな人間存在する? ってずっと疑ってたけど、お前見てたらマジで存在するんだなって最近思えてきたわ。まだちょっと疑ってるけど」

「そうかい」

ズルズルとスープを吸い込むと、ぴりりとした赤い辛味とニラの香味と豚骨の匂いでむせそうになり、慌てて水を飲んだ。

「俺はお前と違ってクソモテてえんだから顔面取り替えてくれたっていいだろ。なんてな」

「いいぞ。ついでにチンコも二本にするか?」

彼がゲホッと咳き込む。

「お前本当に自分に興味なさすぎだろ。それじゃ二人共人外になっちまう」

記憶の中の彼は、屈託なく笑っていた。

彼の死を知ったのは、先程夜ももう寝ようかと思いながら久々にメールボックスを覗いたら、実家の母親が久々に連絡を寄越しており、食べ物と冬服を送った、身体に気をつけて過ごすように、こまめに連絡をするように、と書かれたいつもの文面の一番下に、そういえば昔ご近所で仲良くしてた瞬くん、あの子亡くなったんだってね、自殺らしいわよ、たまにはこっちに帰ってきて線香でも上げてきたら、と付け加えられていたからだ。

そういえばツイッターは相互フォローだったなと思い出し、フォロワーリストから彼のアイコンを探してプロフィールを表示したら、先のツイートを投稿した八月三十一日で更新が途切れていたから彼がこの世を去ったのは本当のことなのだろう。八月末といえば大体二ヶ月前だ、私と会った一ヶ月後に自殺をしたということになる。私はあまりSNSをやらない質で、メッセージなどもほとんど返さず通知バッジはいつもフルカウントで放置していたので、彼から何かメッセージを受け取っていたとしても、何も気づくことなく、今とほとんど同じ運命を辿っただろう。早くも仕方のないことだったと片付け始めている自分に少し驚きつつも、元来の自分の性質を鑑みれば自然な反応ではないかと納得し、スマホの画面を閉じて布団に潜り込んだ。

翌朝、私はいつもどおり事務所でアルコールチェックを済ませ、車両点検を入念に行ってからバスを出庫させる。仕事をしているときは余計なことを考えなくていいから気が楽だ。いつもどおり、行路表どおり、時刻通り、ルートのバス停を巡って帰ってこればいい。帽子を目深に被り、乗客にありがとうございました、ありがとうございましたと言えば、目を合わせる必要もない。たまにイレギュラーなことも発生するが、基本はほとんど深い人付き合いはない。流れ作業のように人が乗って降りて、バスは私の腕と足の動きどおりに独楽のごとくぐるぐると市内を廻りつづける、そんな生活を私は気に入っていたし、さしたる不満もないので、きっと死ぬまで廻っているだろうなと思う。確たる将来像を持っているわけではないが、十年二十年後も私は今のようにぼんやりと存在しているだけに違いないと、それだけは奇妙な自信を持って感ぜられるのだった。

仕事終わりに立ち寄る店も決まっていた。木枯らしの吹く繁華街を抜け、駅ビルの古びた佇まいのアーケードに入ってすぐ左手にある、年季の入ったうどん屋だ。月見うどん、ニ百八十円。券売機で食券を購入してからカウンターのいつもの位置にある破れの目立つ丸い朱色の椅子に座り、丼が運ばれてくるまで大将の手もとを観察する。生うどんを長い取手のついた深いざるの中に放り入れ、湯にどぼんと沈める、フックを鍋の縁にかけ、その間に常に弱火で保温してあるかつお出汁を丼に一杯、二杯流し入れ、それからうどんのざるを湯から出したそのままの勢いで湯を切り、切り、その度に床にだばだばっと湯が落ちる、太く毛むくじゃらな大将の腕が丼にうどんをそっと落として、卵を割り入れワカメ葱天かす縁がピンクの薄切り蒲鉾。おまちどお、と差し出されるまでの一連の光景を私はほとんど毎日眺めてうっとりとする。熟練の無駄のない動き、順番を違えることなく淡々とこなされる作業が好きなのだ。丼で冷えた指をあたためてから割り箸をゆっくりと割り、いただきます、と出汁を吸い込むと、変わらぬ関西風の淡い出汁が私を迎えてくれる。はふ、と息をついて柔いうどんをすすり、私はつかの間の休息に浸った。

うどん屋を出て、しばらく繁華街をぶらぶらするが、いつも道は決まって一緒だ。細い路地を通り抜け、人通りの比較的少ない裏通りを歩きながら夜空を見上げる。今日はいつもより月が大きく見えて、そういえば中秋の名月はそろそろじゃないかとふと思う。中秋の名月といえば。今朝から考えないようにしてきた彼の顔が浮かぶ。彼がある美少女シミュレーションゲームのお月見イベントでどうしても欲しいキャラクターがあるからと、私を巻き込んで二人徹夜でノートパソコンにかじりついたことがあったが、あれは何年前だったか。

彼とは幼馴染だった。小中まで一緒で高校は別のところに行ったが実家が近所だったので週一くらいで顔を合わせていた。彼は大学に進学して地元を離れ、私も高校卒業と同時に地元を離れて働き始めたのだが、たまたま行き先が同じ地域だったのだ。頻繁にと言うわけではないにしろ、年数回は会うような、まあ腐れ縁のような奴だ。会うたびに必ず彼女がどうこうと聞いてくる、奥手で助平でオタクな彼はもう居ないのか、とわざと脳内ではっきりと言葉にして考えるけれど、やはりなんの情動も起こらず、しかしこういった場合はたぶん世の多くの人は泣くか故人を偲んで想いを馳せるはずなので、私は薄情者の烙印を甘んじて受け入れざるを得ないだろう。

私はぼんやりと歩き続けた。月のクレーターは人の横顔に見えるというけれど、いくら見つめても私には灰色のざらざらとした円がこびりついた球体にしか見えない。ついさっき身体に入れたはずのうどんの温もりはとっくに冷めていた。

日々は廻りながら過ぎていった。仕事の日はスーツを着て、休みの日は母親から送られてきた冬服を着て過ごした。相変わらずバスで市内をぐるぐる回った後はうどん屋だった。この頃益々冷え込んでいるからか、温かいものを求める客でうどん屋は心なしか普段より活気づいているように見える。今年も冬がやってきた! 公転の大きな巡りに私は嬉しくなる。丼で指を温め、割り箸をゆっくりと割る。うどんをすする。こういう場末には、いきなり声をかけてきたり、私の顔を興味深そうに見つめたり、いやらしい視線をちらちらと投げかけてくる人間はいないので安心できる。私は私の顔がよくわからなかった。特徴を捉えづらく、自分の顔をはっきりと思い出すことが難しかった。それだけではない、私の顔以外、他の人の顔もよくわからないのだ。わからないというよりは、目だけがぎょろぎょろと光るのっぺらぼうのように見える。美醜など分かるはずもなかった。普段は雰囲気、服装、喋り方、身長、声、髪型、等で人を見分けているが、他の人たちにははっきりと顔の見分けがついていることを知ったのは、高校に上がってからだった。だからといって、自分の異質性を嘆いているわけでもなく、ただそういうものだと受け入れていた。親含め誰にもこのことを話したことはないし、話したくない。考えるのが面倒なだけかもしれない。他者から見れば、私は怠惰な人間のかもしれない。しかし私はそれで良かった。日々を平穏に廻せさえすれば良かった。だからこそなのかは分からないが、彼の死は静かな湖面に投げ入れられた石のように私の胸の奥で波紋を広げ、明らかな違和感をとして認識されていた。

いつぶりかの地元は、既に雪深く埋もれていた。田んぼも家々も道も白く、あやうく道を違えそうになる。実家に帰ると、母親が鶏鍋を作って待っていた。静かな夕食だった。

「玄関に、菓子折り置いてあるからね」食器を片付けながら母親がぽつりと言う。何の、とは聞かなくてもわかった。

翌日、彼の実家を訪ねると、やや疲れた顔をした彼の母親が迎え入れてくれた。リビングには父親の姿もあり、やあ、久しぶりだね、どうぞ瞬にあいさつしてやってくれ、こっちだ、と奥に通され、この家で一緒に遊ばせてもらったこともあったっけ、と思いながら遺影を見つめた。写真でもなお幼馴染の造形はよくわからなかった。しかし、まぎれもなく瞬だ、と思った。線香を上げ、手を合わせる。彼の死を今はっきりと目前にしてなお、やはり私は無感動だった。

父親は、瞬が昔使っていた部屋を見ていってくれないかと言って私を二階に案内した。遺品をダンボールに詰めてあるから、なにか思うものがあったら持っていってくれ、と私を部屋に一人残して階段を降りていった。部屋はよく整理されていて、瞬がここにいたのは高校生までのはずだが、あちらこちらに彼の足跡を感じさせた。部屋に残っているのは確かに彼の匂いで、記憶がちりちりと蘇りそうになるのを押し留めながら、私はベッドに腰掛けた。足元に小さめの段ボールが二つ、蓋を開けた状態で並べてあった。これが父親の言っていた瞬の遺品だろう。特になにか欲しいわけではなかったが、気を紛らわそうと、上に乗っているクリーム色のセーターを手にとってみる。下には書籍と文房具が中心に丁寧に詰めてあった。本は私には難しい専門的な内容のものがほとんどだ。服はいらないし、文房具も事足りているし、結局何ももらわないで帰ることになりそうだった。一応、二つ目のダンボールを覗き込み、やはり専門的な本ばかりだが、一冊手にとってみる。おや、と思った。重い本が抜き取られた隙間の下の方に、カラフルな何かが見える。全てどかすと、薄くて肌色が多くで性的魅力に溢れた漫画本――所謂エロ同人誌というやつだ――が三冊発掘された。ぱらぱらとページを繰ると、胸部がやや誇張気味なキャラクターのあられもない姿態が延々と描き連ねられている。キャラクターのデザインに憶えがある、確かあのシミュレーションゲームでほしいといっていたキャラクターの同人誌だ。そして、例のツイートに書いてあった『作品』だろうと直感した。扉の外の階段から規則的な足音が聞こえてきて、私は慌ててその三冊を鞄に仕舞い、こっくりとしたグリーンの万年筆を抜き取り、誤魔化すように掌に載せた。

ご両親からのお茶の誘いも辞して早々に実家に戻り、母親がいるだろうリビングには立ち入らず、そのまま二階の自室に逃げるように駆け込む。ネクタイを緩め、ほっと息をついた。特にやましいことは……いや、盗むような真似をしたのは良くないけれど。床にごろりと寝転がり、鞄を漁る。三冊とも取り出して、一頁目からゆっくりと読んだ。二次元のキャラクターなら顔を識別することができた。こんなことをしても、瞬を偲ぶことにはならないし、むしろ冒涜しているような気さえしてくる。私の胸の違和感もきっとそのままだ。全くもってナンセンスなんだ。床に開いた同人誌の頁から、ふと瞬の部屋の匂いがした。瞬間、記憶が溢れる。私は振り切るように立ち上がりズボンのチャックを開け、そのまま猛然と自慰を始めた。自分でも何をしているのか理解してはいても、手の動きを止められず、私は獣のようなうめき声をあげ続けた。瞬とはそこまで仲が良かったわけではない。年に数回会う程度だ。それが、どうして、こうなるのだ。私は物心ついてから初めての、身近な者の死を受け入れようとしていた。やがて熱いものがこみ上げて、私は同人誌の頁に射精した。びちっという生なましい音と共に白濁色のゆるい液体が紙に散る。根本からしっかりと扱いて、熱を出し切る。頁の上には汚い華が咲いていた。崩れるように膝をつく。肩で息をしながら、私は彼を弔った。(了)

2021年8月20日公開

© 2021 maronsan

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