逢うは永遠の始め

篠乃崎碧海

小説

10,249文字

逢うは別れの始め。それではあまりに寂しいから、しばし夢を見るとしようか。

薄暮教室外伝、本当は花が散る前に書くつもりでしたがいつの間にやらGWになってしまいました。この子達誰?と思った方は師範編(https://hametuha.com/novel/55697/)をお読みください。

 それは予想以上に異様な存在感を放っていた。

 本殿の裏手にひっそりと身を隠すように、やや低めの木が一本あった。それだけだと地味なようだが、その花は遠くからでも鮮やかに際立っていた。

 原島の語った通り、妙に紅の強い花が枝をしならせるほどついている。昼の光の下だから明るい紅色をしているが、暮れ方や、それこそ提灯の灯りで照らせば不気味な深紅にも見えるだろう。

「なあ、これホンマに桜か……?」

 桝谷が訝しげに木に近づく。

「なんか変な咲き方してるけど。色も強いし……梅、じゃないんだよね……?」

 枝ぶりと花片の先に柔い切れ込みの入った姿はたしかに桜のそれだが、花は空へと向かわず、地面に向かって重く垂れ下がるようについている。枝垂れ桜のように枝全体が垂れるのではなく、釣鐘状をした花の先だけが揃って下を向いていた。

 こんなものは初めて見た。桜だと言われればそうなのかと頷くが、桜ではないと言われてもやはり頷ける気がする。

「なるほど、寒緋桜なら今頃に咲きますね」

 揺れる花のすぐ下、触れそうなぎりぎりまで近づけられた細い指先。謎が解けました、と嬉しそうに平野は笑った。

「カンヒザクラ? っていうの、これ」

「ヒガンザクラとは別物なんか」

「別物です。寒緋桜は『緋寒』桜とも呼ぶのですが、桝谷君の言うようにヒカンとヒガンで混同しやすいので敢えてカンヒと呼ぶようになった……とも言われているとか。彼岸桜なら染井吉野の片親、江戸彼岸が一番有名ですね」

 僕も本物を見るのは初めてです、と平野は満足げだ。彼には染井吉野の透き通るような白の方が似合いそうだが、これも悪くない。

「よォそないなことまで知っとるなァ」

 そんなら、これも立派な桜なんやな。見られてよかったなと桝谷は目を細めた。

「野宮、満足か?」

「うん、満足だ! すっごいよな、六人なら大抵のことは叶えられるんだから」

 怖いもんなしだ。その言葉につられたように、播本が珍しく幸福そうに笑ったのを見た。

 

「満開だけど、桜吹雪にはまだ早いんだね」

 無事に春を見ること叶った野宮は、これなら心置きなく故郷に帰れると満面の笑みだ。

「この桜は花片を散らさず、椿のように花の形のまま落ちるんですよ」

 啓、なんでそんなに詳しいの? 桜吹雪はさておき、呆気にとられたように野宮は尋ねた。それについては僕も全く同感だ。平野はたまに「どうしてそんなことを?」と思わず聞き返したくなるようなことを知っている。

「時々家を訪れていた年の近い幼馴染に、植物図鑑を読んでとよくねだられていたから……」

 やや気恥ずかしげに答えた平野に、へえ、と興味津々に頷きを返す野宮。聞かずともあれこれと喋りまくる野宮(おかげで僕たちは彼の家族構成のみならず育った土地の村落構成?までかなり詳しく知ってしまっている)と違い、平野はあまり故郷の話をしないから、僕も初耳だ。

「年の近い幼馴染か、ええな。どんな子やったん?」

「利発で、よく表情の移り変わる子でした。弟と同い年だったので、まるで本当の妹のようで」

 おお、美しき純愛の予感……どうしようもないことを言いかけた桝谷を原島が後ろからはたく。まったく、どうしていつもそうなるんですか。そうだそうだと野宮もそれに乗っかって桝谷を揶揄する。この二人、恋のあれこれを散々桝谷にからかわれてきたことをいまだに根に持っているのだ。

「こういうこと、もっとたくさん話したかったな」

 二年も一緒にいたのに、まだ知らないことがたくさんある。それが少し寂しかった。きっとこれからも、ことあるごとに思い出してふと切なくなったりするのだろう。

「いつでも……とは言えなくなるけれど。これからも話せます、きっと」

 桝谷や原島はよく「絶対」と口にするが、平野は言わない。記憶が正しければ、恐らく一度も聞いたことがない。十割の肯定も否定も彼は示さない。それが逆に僕に安心を与えてくれていたのだと気がついた。

「うん。そうだね、啓が言うならきっとそうだ」

「本江君。前々から思っていたのだけれど……君は、僕の言葉を信じすぎてはいませんか」

「ははっ、今頃気づいた? 信じてるよ、とてもね。啓の言葉には嘘がないから……いやちょっと違うかな。嘘はあるけど、人のことを決して傷つけないし蔑ろにしないから」

 たかが十数年しか生きていない僕に正しさなんて定義しようがないけれど、もしもそれに近いものをひとつだけ挙げるとするならば――僕は隣に立つ友を見た。今はすぐ隣にいるけれど、彼はきっとこの先の未来でずっと遠く、ちっぽけな僕の想像も及ばないところまで行くのだろう。誰もが通り過ぎてしまう小さな声の持ち主の前で足を止められる、彼ならば。

 

 


 

 

 全部は無理だろう。いや、やればできる。流石に入りきらないからまとめて送れよ。ンな金ねえよ! 四の五の言いながらも(言われながらも)、部屋は次第に片付いていく。

「どうしてみんなそんなに身軽なンだよ! 過ごしたのは同じ二年間だ、おかしいだろ!」

「君が増やしすぎなんですよ」

 そう言う原島がちょくちょく荷物を実家に置きにいっていたことは、この部屋の全員が知っている。ずるい、とぶつくさ言いながら、野宮は相変わらずさっぱり閉まらない鞄と格闘する。

「野宮、これ借りるで」

 窓際に立ってそれを見ていた桝谷は、同じく窓辺に置かれたままの桜楓帖を手に声をかけた。

「平野クン、ついでに君のこともちょっと借りてええか?」

「僕ですか?」

 ええから、と手招きする桝谷に、平野は不思議そうな顔をしながらもついていった。

 

 

「まったく、あれじゃいつまでたっても終わるわけない――埃っぽいのは俺もうんざりや、離れとき」

 回復したとはいえ、ほんのひと月前には肺炎で入院していた身だ。無理矢理にでも引き離してやらなければ、自身の不安定な体調のことなど忘れていつまでも律儀に手伝い続けるに決まっている。

「ありがとうございます」

 桝谷君には気遣われてばかりでしたね。申し訳なさそうにするので、ああもうしゃあないなと肩を叩いた。

「俺、こう見えても世話焼きやねん。せやからこれは性分のなせる技」

 気にするなと言ったところで気にしてしまうのが平野という奴だ。赤いものを青いと言い張り続けるくらいに無理なことだと、二年間で思い知った。

「平野クン、最後の共犯な」

 こっそりとポケットに入れてきたものを桝谷は見せた。平野の言うとおり花の形そのままに落ちていた寒緋桜の数輪を、開いた桜楓帖の頁の上で丁寧に平らにする。

「こうしたら遠い北国にもすぐに春が来るやろ」

 野宮、これ見てどんな顔するやろな。感動して泣くかな。どう思う、と平野の目を見た。彼はひとつ頷いて、きっと喜びます、と囁くように笑った。

「俺な、実を言うと平野クンのことが一番心配や」

 言い方はどうかと思うが、他の面々は放っておいてもまあどうにかなるだろう。不器用だったり本音が言えなかったりとかく人と衝突したりと難点は多々あるが、恐らくどうにでもなる。人のことをとやかく言えるようなご立派な人間ではないが、自分もどうにかなるうちに含まれるだろう。

「なあ、これだけは言っとく――ひとりになっちゃあかんで。どないしょうもなくなる前に助けて、って言われへんとあかんで」

 身体が弱いから、というのも理由のひとつではあるが、一番は彼が完璧に本心を隠し通せてしまう人間だからだ。彼自身もそれが本心でないとわからなくなるほどに誤魔化すのが上手いからだ。自分は二年間こうしてすぐそばにいてようやく朧げにわかるようになったが、この先もうまく汲み取れる人間に出会えるとは限らない。彼はそこまでわかっていて、それで構わないと思っている。どうせ誰にわかるものでもないと諦めているから、そもそも理解を求めようともしない。

「ありがとう。でも僕なら大丈夫です」

「わかってへん。ぜーんぜんわかってへん。今の答えではっきりしたわ」

 ため息をつく気にもなれない。どれだけ危ういか、ちっともわかっていない。

 なァ神さまとやら、どうしてこいつをこないに正しくしてもうたんか。ただでさえ生きづらい難儀な奴を、どうしてこないにも真っ直ぐに作ってしもたんか。俺のちっぽけな力じゃ到底変えてやれへん――

「なあ、また会おうな。いつかどっかで、必ずまた会おうな」

「ふふ……桝谷君、まだ気が早いです。卒業式までとっておいてください」

 でも、そうですね――いつかきっと。楽しみにしていますと友は笑って、綺麗な瞳を永遠に俺の心のどこかに焼きつけた。焼きつけられてしまった。

 

 

 今日は散歩したから腹減った、早く夕食行こう! あらかた先が見えたのか、野宮を先頭に部屋から出てくる。ささやかな悪巧みがバレないうちにと、二年間の思い出の詰まった頁をそっと閉じた。

「卒業記念で豪勢な献立だってさ!」

「知りませんよ、また食べすぎてお腹壊しても」

 去年、卒業生でもないのにこれでもかと掻き込んで後で苦しんでいたのは誰でしたっけ。原島の冷ややかな声と、今年は晴れて主役だから大丈夫だと明後日の返事をする野宮。

 

「なあ、平野。これに目を通してくれないか」

 いつも尊大な物言いしかできない播本が、珍しく人の顔色を窺うような目をしている。

手渡された原稿用紙を一通り眺めて、平野は驚いた顔をした。

「随分と思いきったことをするのですね」

「式で読む答辞だ。先生方には誰にでも言えるであろう心底つまらない文を提出してあるんだが、本番ではこちらを読むつもりだ。論として破綻しているところがないか、忌憚のない意見を求めたい」 

「わかりました、僕でよければ」

 

 あと二週間足らずで、僕たちはここから巣立つ。絶対の約束も、確たる未来もないままに。手の内にあるのは、根拠のない自信と若さだけ。

あの日、あのとき、必ずと言った言葉に肯定の返事をしてくれたなら、未来は変わっただろうか。そんな「もしも」はなかったと知っていながら、今も時々夢に見る。

2021年4月30日公開

© 2021 篠乃崎碧海

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