不要不急論

応募作品

T.K

小説

3,839文字

不要不急なのは一体なんだろう。そして誰がそれを判断するのだろうか?

「不要不急の外出は控えるよう、お願いします」

テレビで都知事が言っている。彼女の顔を見ていると、なんだか無性に腹が立ってきた。俺はテレビから視線を外して立ち上がると、冷蔵庫からビールを取り出して一口飲んだ。炭酸の刺激が喉を伝う。

「ふぅ」

体の底から声が出る。これが最後の一本だ、味わって飲まなければならない。流しの上の戸棚を開けると、昨日買った大量のカップラーメンが崩れてきた。床に当たってへこんだカップラーメン達を拾いながら食べる味を選別する。今日は醤油味にすることにしよう。

蛇口からヤカンに水を入れ、コンロに火をつけた。お湯が沸くまでの間、スマホでTwitter巡回をする。

「外に出ちゃいけないなんて辛すぎる」

「休業補償しろ」

「Stay homeなので歌ってみました」

俺はこいつらに向けて「黙って自宅にいろ」とコメントを送った。そしてまた、ビールを一口飲む。

昼にバイト先である居酒屋の店長から届いたメールを、もう一度開いた。何度読み返しても、やはり明日から来なくてもいいという内容の文章だった。

スマホをベッドの上に放り投げると、台所に戻りお湯が湧いていることを確認しカップラーメンに注いだ。部屋をラーメンの匂いが満たしていく。タイマーを3分にセットすると、手に持っていたビールを今度は一気に飲み干した。そして新しいビールを冷蔵庫から取り出そうとして、さっきのビールが最後の一本だったことを思い出した。

……さて、明日からどうやって生きていこうか。

バイト先を失い、かといって頼る親類もいない。ビールすら無くなった。貯金なんてしてこなかった。というよりもできなかったという方が正しいだろう。

酔いが回ってきた頭でこれからのことを考えても何も浮かんでこない。ただ、自分ができることは黙って家にいることだ。外出せずに、このまま家にいて、カップラーメンを食べて、それが無くなったらあとはどうなってもいい。

タイマーが鳴った。蓋を開けて中身をよくかき混ぜ、麺をすする。それはいつものように奥行きのない味だった。このクオリティの味であっても、俺とは違って必要としている人はいるのか……。

バイト先でも自分は空気のようだった。同僚の誰からも相手にされていない。厨房で機械のように皿を洗いながら、注文される料理を黙って作っていただけだ。誰からも何も言われないように、ただ指示に忠実に、黙って作業をしていただけ。だからだろう、今回のような非常時では真っ先に用無しにされる。代わりになる人は沢山いる。

カップラーメンを食べ終わると、ベッドに横たわった。背中にスマホが当たる。もう一度メールを確認する。何度読んでも、自分は店にとって不要になったということが書かれている。俺以外のスタッフはどうなったのだろうか? という疑問が一瞬頭をよぎったものの、それを聞く勇気は出てこない。

あいつはどうしているんだろう。小学生から高校まで同級生で、齢30を迎える今になっても、バイト先まで一緒だった茶髪。特別仲がいいというわけでは無かった。それなのに、腐れ縁のように細々と続いていた関係。思い返してみると、二人で遊んだという記憶もない。ただ、どの記憶の中にも視界の端にいるあいつ。今ごろあいつはどうしているんだろう。居酒屋も営業していなけりゃ働くところもないだろう。人の心配をしている場合ではないが、自分以外の人が今どうしているのかは少し気になった。

連絡を取ってみようか……。

今まで向こうからはシフトの相談等で連絡が来たことがあるけれど、自分からしたことはない。

やっぱり連絡をするのはやめよう、俺が連絡をしたら迷惑に違いないのだから。そう思い、スマホを枕元に置いて目を閉じた。ラーメンで血糖が上がったのだろう、睡魔がやってきた。これからは人に会う予定もないし、外へ出かけることもない。お風呂に入る必要はないのだ。俺はそのまま眠りに落ちていった。

目を開けると、見慣れた天井が目線の先に現れた。時計を見ると午前9時を回ったところだった。ベッドから起き上がり、ぼうっとする意識のまま台所で水を飲んだ。ベッドに戻るとまた横になり、枕元のスマホを手に取る。

あいつから連絡が来ていた。

「店長から聞いたよ。こんな騒動で店の経営が厳しいからってお前のことをクビにしたんだってな。大丈夫か?」

あいつに心配されたことに、無性に腹が立った自分がいた。返信はせずにスマホを閉じた。どうせあいつの心配は偽善だ。人の心配をしている自分がかっこいいとでも思ってるんだろう。いつもあいつはそうだ。あいつに彼女ができた次の日には俺に「彼女ができたんだ」と言ってきた。彼女がいない俺への当て付けに違いない。居酒屋のメンバーで飲み会があった時にもあいつは俺を誘ってきた。俺が行っても嬉しいと思うやつなんていないのに、わざわざ俺を誘うなんて嫌がらせにもほどがある。今までのあいつの言動を思い返すと、腹が立って仕方がなくなってきた。

連絡なんて返してやるものか。このまま俺は不要な外出をせずに寝て過ごすのだ。誰にも邪魔をされずに、誰の邪魔もせずに、ずっと家に籠るのだ。

それだけが、俺にできるたった一つの、誰かの為にできることだ。

……でもせめて、この気持ちを誰かに知って欲しかった、わかって欲しかった。

 

あれからずっと連絡が取れなくなっているあいつが気になって、俺は店長に住所を聞いて、あいつの部屋を尋ねることにした。もうすっかり騒動は収まり、世の中は前と変わらずに動いている。それなのに、あいつは連絡が全く取れないし、どこで何をしているのか誰も知らない。

昔からあいつは何を考えているのかわからないやつだった。小学校1年の時から、腐れ縁は続き、なぜだかわからないが高校までクラスがずっと一緒だった。もう親も居ないあいつのことを世の中で一番知っているのは多分俺だろう。人一倍人に気を使うやつなのに、口下手で、自己主張をしないやつだから周りからは誤解されていることも多いと思う。

でも、あいつはいいやつなのだ。誰の言うことも受け入れて、その人の役に立とうとあいつなりに努力をするやつなのだ。それを誰も知らないのが悔しい。かと言って俺があいつに気を使って色々と誘っても、気が乗らないことには乗ってこないやつだった。きっと俺にも気を使っていたのだろう。

あいつは……両親が亡くなった高校卒業をする頃だったろうか、なんとなく雰囲気が変わった。元々明るい性格では無かったが、なんというかより一層影が濃くなったとでもいうのか、人を寄せ付けなくなった。両親は何で亡くなったんだっけか……確か、事故か何かだったと思う。ちょうど18歳で高校卒業間近だったから、あいつは一人暮らしをすることになった。

それからはバイトをして生活費を稼いでいたんだと思う、詳しくは話さないやつだから俺も知らない。でも、居酒屋で再会したのが22歳の時で、それからこんな歳になるまでお互いバイトだ。他にできることなんてありゃしないさ。

あいつの家に着いた。実家は一人で住むには広すぎたのだろう、古いアパートが目の前にある。階段を上がり、203号室のチャイムを押した。しばらく待ってみたものの反応はない。もう一度チャイムを鳴らす。中から物音がするかどうか耳をすましてみたものの、何の音も聞こえてこなかった。きっとどこかへ買い物にでも出かけているのだろう。携帯に連絡を入れても返信はないので、置き手紙をすることにした。

「最近何してるんだ? たまには連絡よこしてくれ」とだけ書き、名前を書いてからドアポストに紙を入れた。

その時、ドアポストの隙間から臭いがした。鼻をつまみたくなるような不快な臭いだった。あいつは部屋の掃除を全くしないのだろうか。ドアポストから中を少し覗いてみた。暗くて何も見えない。ドアノブを捻ってみると、鍵は閉まっていないようだった。俺は胸騒ぎがして、ドアを開けて中の様子を見ることにした。

ドアを開けると、より一層強烈な臭いが鼻を突き刺した。俺は顔をしかめて鼻をつまみながら部屋の中に足を踏み入れた。

「おい、いるのか?」

声をかけるもののやはり返事はない。靴を脱ぎ、申し訳程度の短い廊下を進み、居間のドアを開いた。

真っ暗で部屋の様子が見えない。部屋の明かりを探して手を壁に伝わせる。スイッチが見つかり押してみたものの、電気はつかなかった。俺はスマホをポケットから取り出すと、ライトをつけて部屋の中を照らした。床には大量のカップラーメンのゴミやティッシュが広がっていた。そして、ベッドの上にあいつが横たわっている。

「おい、大丈夫か?」

俺は急いで彼に近づき、肩を揺すった。しかし、人形を触っているかのようにまるで反応がなかった。顔は眠っているようだ。でも、息をしていない。

俺はもう一度あたりを見渡した。この大量のゴミは、きっと彼がこの部屋から一歩も出なかったから溜まっているのだろう。居酒屋をクビになったあの日から、全く外に出ていなかったのか。不要不急の外出を控えるように言われて、彼は自分の外出を不要なものだと捨て去ってしまったのかもしれない。

こんなに死に急ぐことも無かったのに……。

今となっては彼が何を考えていたのかはわからない。でも、周りと馴れ合うことがなかった彼が、周りの人のために自らを不要だと判断したこと、まだ若いのに急がなくてもいい死までの道をたった一人で進んでいってしまったことが、俺にはわかった。

2020年5月3日公開

© 2020 T.K

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"不要不急論"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2020-05-21 23:01

    こういう絶望的なほど陰鬱な話は好みだ。ステイホームの果ての主人公の死にはグレゴール・ザムザを思わせるものがあった。行間を埋めつくすかのように思考をすみずみまで説明する二部構成の一人称の語りには息苦しさを感じた。

  • 投稿者 | 2020-05-22 02:39

    物事がうまくいかないと卑屈になってしまいますよね。感情が上手く書けていると思いました。自分のことを気にかけてくれている人がいて、救いのない話でもなかったのかな。死因が気になりました。

  • 投稿者 | 2020-05-22 19:33

    卑屈な主人公が「自分の存在が不要」と見做しているのが悲しいな、と思いながら読み進めました。
    腐れ縁同士の心のすれ違いも切ないです。
    が、最後の最後に「……でもせめて、この気持ちを誰かに知って欲しかった、わかって欲しかった。」という主人公の願いが報われたような気がして、陰惨な中にもほんの少しの光があるように感じました。

  • ゲスト | 2020-05-22 21:02

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  • 投稿者 | 2020-05-23 13:42

    今回の合評会はテーマに応えて時節を反映した作品が多かったけれど、本作はとりわけ今現在を映し込んだ作品だったと思います。危ういギリギリのところでどうにか生き延びてきた若者が、何かの変動で社会から振り落とされ、頼れる人はおらず頼ろうとする気持ちも出てこない。
    実は彼の身を案じる人はいるのだけど、一歩踏み出せば何かのつながりを築けたはずなのに。緩い絶望の中に浸ったままゆっくりと自死して行くのは無惨です。それをありふれたことのように淡々と展開してゆく語り口がまた、今現在を映しているようでした。

  • 投稿者 | 2020-05-23 22:46

    なんとも悲しい異なる視点をもった二部作ですが、これを「現代的」と感じてしまうことに寂しさを感じますね。影が暗くて、何を考えているかは分からないけれども、いいやつ。彼の目からはそう映ったわけで……間違いではないのに、ないのだけれども。

    「なんだよ、おまえ、腹ン中はささくれ立ったことばっかり考えてるじゃねえか」

    そう言える環境は必要なのかもしれませんが、ますます世界は正しくなっているので、難しい。やっぱり破滅的なインターネットも必要か。

  • 投稿者 | 2020-05-23 23:06

    日本社会にべっとりと横たわる孤独の二文字を不要不急から照らし出した作品。おそらく「自分」も「俺」も普段は互いに忖度し不干渉を貫いているはずが、不要不急が二人の間の楔を解きつつも悲劇を呼び込む。
    個人的には「俺」よりも「自分」に感情移入します。

  • 投稿者 | 2020-05-23 23:51

    ちょうど会社に音信不通になった人がいた(生きてました)のでタイムリーだな~と思いました。個人的には[わかってほしかった」というのは明確に書かないほうが深み画ましたんじゃないかと思いました

  • 投稿者 | 2020-05-24 03:12

    前半と後半とで視点が変わっていることに気づいた時、前半の「俺」の死を予感して胸がざわっとしました。「あいつはいいやつなのだ」と思うきっかけとなったエピソードが作中に書かれてあると、死に遭遇した際の悲しみがよりいっそう伝わってきそうだなあと思いました。

  • 編集者 | 2020-05-24 17:18

    前半読んでる時ウーバー勧めようかと思ったが、後半の転換に至りそんなことで済む話ではなかった。
    緩慢になり(させられ)、世間との繋がりを感じられなくなっていく時点で自殺は始まっているのだろうし、このコロナでその道に歩み始めた人もいるかと思うと、辛いものがある。今を突いた話だと思う。

  • 投稿者 | 2020-05-25 19:47

    お題と現実に対するストレートな応答だと思いました。危機の際に誰が声無き悲鳴をあげているのか、その無音の声を掬い上げるような小説でした。

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