SUAを破壊できる情報機関を立ち上げるにあたって、必要な人員を集めなければならない。
まずは情報収集・工作のプロは不可欠な存在だ。
ニシキは官僚の人脈を利用して、俺を勧誘する前から既に退役した情報科職種の軍人を何人か目星をつけていた。俺とアオイは昼夜を同じサイクルで一緒に過ごし、優秀な軍人をリストアップする作業を行っていたが、ニシキだけは官僚と兼業なので常に死にそうな顔をしていた。しかし彼のSUAへの憎悪は変わらなかった。彼はヘラヘラ生きている若者を見かけると、殴りかかりたいのを我慢するように目をつぶって深呼吸した。それは俺とアオイをまったく必要のない緊張状態にした。本当に物騒な奴だった。
俺やアオイは目前に迫るコンクリートの巨大な壁を事務所から眺めながら、対峙する相手の強大さと盤石ぶりを毎日のように見せつけられていた。
ハードとしてのSUAの威圧感は、東京を覆い、自由な精神を求める人間のライフラインを握り少しずつ圧迫しているようにも思えた。
「仮にこの壁を表面をダイナマイトでふっとばしても、建築AIがすぐ直しちゃうんだろうな」
そう言って俺は端末の画面をにらんでいるアオイに話しかけた。
上野のビルの窓からは、ギガストラクチャーの表面で蠢いている建設AIの群れがよく見えた。適切な速さで御徒町の基礎工事が行われていく。建材を神経質に並べているAIもある。メンテや同期で一部のAIが止まることはあるが、全体として工事が止まることは無い。今眺めているエリアも、一週間も経てば地下部分は出来上がるだろう。じきにまたあたらしく一〇〇〇メートルのビルが建つ。俺たちの三十階のビルなど、ギガストラクチャー規格のビルとくらべれば、ゾウとアリみたいなもんだった。
「よくこんな壁を作り続けられる材料がありますよね」
アオイがこちらを向いておずおずと答える。
この娘はいつまでたっても敬語だし、まだ俺やニシキに対してどこかおどおどしている。
特にニシキに対しては先日の喫茶店での地獄をまだ引きずっているらしい。
しきりに髪をかきあげる仕草がいかにも女で、うっとうしかった。
「日本はアジア中から建材買ってるんだよ、主に宇宙から勝手に鉱物を持って帰ってきてる中国だけど、他の国は建築はおろかあらゆるモノ作りさえもう既にやってない、AIの開発や宇宙開拓が今の世界のトレンドでホットスポットだ、多数のベンチャー企業がすごい勢いで新陳代謝を繰りかえしている、時代遅れなんだ日本は、まだ土建屋中心のビジネスにしがみついている、ずっと貿易赤字だし、戦争は負けてるしね、なさけない話だ、日本こそ宇宙へ行くべきなのにな」
「日本だけなんですね、こんなものがあるのは」
アオイは作業を止めて忌々し気にギガストラクチャーを見上げている。巨大なものがきらいなのだろう。俺とおなじだ。
「古いものは壊さなきゃな、内部から」
「こんな大きなもの壊せるんですか」
「作っているのが人間である限り壊せるさ」
「わたしはのみこまれそうで、こわいな」
アオイはそういうと呆れているのか感心しているのか判別できない表情でこちらを見た。
かなりの長い時間を一緒に過ごしていた割には、ひさしぶりに目が合ったな、とおもった。
彼女の目の色はきれいな茶色だった。
リストアップした中で頭一つ抜けて優秀なのが元自衛軍情報部統合情報部長である茂山カナメという男だった。
彼は二十四年前の中露戦争中に、対露情報工作を行うチームを率いており、獲得した情報をコントロールしていたことにより実質的に戦況を左右できる程のポジションにいた人物だ。俺たちはニシキの防衛省にある人脈を使って、その茂山にコンタクトすることに成功した。
その防衛省キャリアから聞いた情報によると、茂山という男は、組織に属していながら軍になじめていたのか疑問が残るほど古いタイプの民族主義者であり、潔癖な人物だということだった。背が低く印象に残らない地味な顔だちをしているが、大きな耳が特徴的だそうだ。
俺はそれを聞いて、理想的だ、とニシキに伝えた。
ただ、これから組織に加入するあらゆる人間に対して、思想テストを俺とニシキで行うことにした。アドルノのFスケールを基にした、社会的性格を細かくはじき出すテストだ。俺はテスト中も心拍、脈拍、回答にかかった時間をチェックして、嘘をついているかどうか判別した。全員の面接は俺が行った。情報部隊のリーダーとなる茂山の面接時間は六時間を超えた。飲んだコーヒーの数は二人で十杯だった。
面接と銘打ったテストは上野の事務所の地下一階、奥の部屋で行われた。
この部屋を作った本人であるニシキは、取調室をイメージしてみたよ、と言っていた。
真ん中にテーブル、イスが二つだけの部屋だ。あまり居心地のいい部屋ではない。
窓のない圧迫感のある部屋の中、二人きりだった。表情はすべて録画している。俺は映画「ブレードランナー」を思い出した。
俺は茂山のテスト結果を見つつ彼の思考を探ることにした。シニシズムと破壊性のパラメータが高く、権威主義への攻撃性が特徴的との分析が出た。俺がこのテストを受けたとしても、似たような結果が出るだろう。
「なぜ俺がお前を呼んだかわかるか」
俺は高圧的な態度で対面に座っている茂山に尋ねた。
俺は二十九歳で彼は四十八歳、通常の倫理観であれば無礼な態度であったが、そもそも年齢を気にするような古臭い儒教的価値観に浸かっている者には用はない。
彼は表情を変えずに、慎重に考えを巡らせようとしていた。
「鷺沼さんから聞いています、が、やはりあなたの口から聞きたい」と茂山は言った。
抑揚のの少ない声だった。敬語なのは只の癖か、それとも口調から自分の感情を読み取られるのが嫌なのか。おそらく後者だろう、と俺はおもった。
「いいよ、俺たちはSUAを崩壊させる」
茂山は表情を変えず、
「なぜでしょうか、我々は二十四年前、この国のためにたった一ヶ月だが死力を尽くして戦いました、主に情報戦であったが、私の入手した情報がなければ今のこの国は無いでしょう、私の仕事はざっくりと言ってしまえば中国とロシアが核を日本に対して使うのかどうか、という分析でした、恐ろしく精神を削る仕事でしたがやり切りました、最後まであいつらは日本に核を使うシナリオを作らなかった、戦争が終わって、SUAは今やこの国そのものです、復興の象徴でもあります、SUAがこの国の平和を、私たちがそれだけを願って戦った平和を支えています、それをなぜ今壊さなければならないんですか」
茂山は本心で話していないと俺は直観した。俺は間を開けずに、
「お前も右へ倣えの隣百姓なのか、軍の中でも跳ねっ返りと聞いていたがちょっと失望したな、お前の望みはないのか」
敵意むき出しに突っかかるふりをして、反応を見る。
「私の望みは我が国と民族が安らかで永らえることです」
茂山の表情はかわらないまま。
「曖昧な言葉は俺の前では二度と言うな、文学的な表現をするなら作家にでもなれ、それともお前は俺の組織にスパイとしてきたのか、いいか、はっきりと答えろよ」
茂山はほんのすこし眉をひそめた。ほんのかすかな微表情だが手元のセンサーにはひっかかる。センサーによると多少は不愉快になったらしい。まだ足りない。
「わかりました、曖昧な回答は二度としません、スパイでもないです、あなたたちが分からないんです」
間をおいて茂山は少しも気圧された雰囲気を出さず、答えた。これは正直な回答だ。隙が見えた。あと一押しでこいつの本質が見られる。
「SUAを壊すのが目的、以外に表現のしようがないよ、あいつらが作ったルールは人間を新しい形の奴隷にしている、ここでいう人間っていうのはお前の言う我が民族だ、お前は他国のことは詳しくても肝心の愛する我が国の変化には鈍感なんだな、いまや日本人は五つに階層を分けられて、SUAが握っている各企業に管理、運用されているよ、国の仕事は着々とSUA関連企業にアウトソースされているしね、行政の範囲が拡大するのは近代国家の宿命だが、拡大した分だけ民間、つまりSUAにアウトソースされてるんだ、これを危機と言わずして何と言うんだ、ニシキが経産省の官僚であることは知っているよな、経産省はSUAと最も関わりが深い省庁の一つなんだが、その体たらくぶりは予算折衝でさえSUAの人間を同伴しないと決められなくなっているらしいよ、今彼らが単独でできるのは無難な国会答弁を作ることぐらいだ、陰でSUAはこの体制の維持のために多くの非合法な調整を行っているのは知っているよな、警察組織が縮小しているのも、SUAの警備部が国家公安委員会と調整して、警察庁から人材を引き抜いているからだ、国立大学の独立性が失われ、予算が減少しているのも、SUAが文科省と中央教育審議会に働きかけて、国会にも通さず、サービスコード別に教育基本法や学習指導要領を再編成しなおしたからだ、本来国民に選ばれた政治家たちがリーダーシップをとって官僚を動かすべきだが、何よりもスムーズに官僚を動かしているのはこの国では宗教家と企業人の集まりなんだよ、ロシアと中国が核を使わなくてよかっただって、そりゃ使わないよ、割に合わないもん、日本はほっとけばこうやって自滅するんだからな、今の状態が感情として許せないのが俺たちだ、与えられた自由は暗黙の了解で制限されているんだよ、なぜこの状況を許して平気でいられるんだ、お前が軍を辞めたのだって、一因はSUAにあるはずだ」
俺は一息に話すと反応を待った。
「感情か」
茂山は一言発した後十分ほど沈黙し、考えていた。思考し納得しなければ行動しない、慎重な男だ。俺は茂山から口を開くのを待った。コーヒーを飲むのさえ止め、茂山の顔から眼をはなさなかった。
「私は国のために働きたかった、とはいえ私たちに目的を与えるのは政治家です、政権与党の意向に従って動くのはその国の軍として当然です、感情は私たちに必要ない、だが、今や衆愚政治そのものと化した立法府は機能していない、ご存知の通り行政は縦割りで一部はSUAの御用機関です、今の自衛軍内部も同様です、過去の二・二六事件の青年将校や、満州事変の石原莞爾の様な、行動の正当性は問わず何か事を成すエネルギーを持った人間がいなくなってしまった、もちろん政治家にもいません、愚かでも何かを始められる人間がいないんだ、その恐ろしさが分かりますか、みな肥大化したシステムの中に組み込まれて、知性と勇気を失い、失敗を恐れて……動けない、動けないんです誰一人、前回の対中露戦争では誰も死ななかった、が、反面なんのシステムも壊れませんでした、ただ単純に、外交の手段の一つとして戦争が行われて、終わった、私はむなしかったんです、誰も死ななかったのに、私は私がやった自分の仕事を嫌悪している、私は二十四年前核攻撃の心配は無いというレポートを軍上層部にあげたんです、確かな情報に基づいていたはずでした、しかし願望がほんの数パーセント混じっていた気もします、核は撃ち込まれない、なぜか確信していました、すべてが巨大な予定調和の中で行われているような気さえしたんです、この無力感はなんだ、こんなの、なにもしない方がましではないのかと……」
そう言って茂山は三杯目のコーヒーを一息に飲みほした。茂山の体から力が抜けたように見えた。彼の精神はガードを解いた状態にある。茂山は組織人だ。しかし、個人と組織の間で迷うことができる有能な人間だ。そして戦うべき対象が見つかっていない。ぜひ、こいつを仲間に加えたい。
「戦争は終わってないだろ、黒船が浦賀に来てから今まで、ずっと続いてる」
俺は茂山に向かって言った。彼はまた考え込んでしまった。
彼の頭の中では、日本の現状が果たして自分の価値観上でセーフなのかアウトなのか、様々な項目において検証がなされているはずだ。自身の愛国心と、仕事が直結せずに苦しんでいる。俺に愛国心など無いので全く理解できないが、彼の判断基準は予想できた。後は自らふさいでいた感情に火を点けて、俺が望む方向へ誘導するだけの事だった。彼は考えがまとまったようで、諦めたような、自嘲的な表情で言った。
「わかった、二十年前からこの国はおかしかった、うん、それをおかしいと感じる自分がおかしいのだとおもっていた、仕事柄、フタをしていたようです、あなたたちの様な若い人たちのためだ、と自分に言い聞かせていた、フタをしていたんです」
「なにに」
「自分の感情です」
「感情は論理よりも大切なものだよ、お前が今の自分であろうとする執着は、お前を制約し続ける」
茂山は俺を見つめている。一流情報部員が自我をむき出しにすると、すさまじいほどの迫力だった。対峙した俺を測る。情報を絶え間なく収集する。少しでも彼に弱さを見せたらあっという間に信頼を失う。
「私は情報マンとしてイスラエルのモサドを手本にした訓練を受けてきたし、教官として何十人も教育してきた、辛い訓練を受けるにあたって、必要なのはモチベーションと人格形成です、この国を愛するが故、滅私奉公してきた、ただ、今の自衛軍は事務屋の集まりに過ぎない、太平洋戦争の失敗を反省して軍国主義を過剰に脱臭した結果、命令されなければ何も考えない機械のような人間が国防を担っている、これから彼らに牙をむけることとなるのでしょうか、彼らは無能なだけで何の罪もありません……」
「牙を向けるべきは国や軍じゃない」
「……」
「国を壊すわけじゃないんだよ、潰すのはSUA関係者、そしてそれに自分で考えることなく流されている民衆だ、これからあんたは今まで押し込めてきた組織やシステムに対する憎悪を彼らに向けるんだ」
「あくまで直接やりあうのはSUAに絞るということですか、ただ奴らに直接攻撃を加えれば警察は動きますよ、軍はよっぽどのことが無い限り治安出動できないと思いますが、仮に中国人が皇居でテロをやらかしても軍は動かない、でも警察は動く、そして何より恐ろしいのはSUA直轄の警備部です、彼らはギガストラクチャー内の治安を一手に請け負っているが、かなりの組織力を有している、自衛軍から優秀な人間を引き抜いていますからね」
「警備部や警察は俺たちが乗り越えなければならない壁の一つでしかないよ、俺は軍の上にある政治にも手を付けるつもりだ、優秀な人間に一手に権力を集中させる、独裁を経て共和制となり、衆愚政治から独裁へ戻るっていうのは政治のサイクルだ、当たり前の現象なんだよ」
「今、どう政治を変えるべきだと思うんですか」
茂山は真剣な表情を崩さない。
「国会ではない、集団の利益を考えない、優秀な人間たちの合議制だ、アレントの考え方が一番近い、名称はどうあれ、寡頭制だ」
「それは今まで通りの見せかけの民主主義、つまり官僚制社会主義ではないのですか」
「俺が今考えているのはファシズムとか独裁に近いな、バカに参政権は与えない、真に判断能力がある人間がすべて決める」
「それはあなたやニシキさんが全部決めるって意味ですか」
「場合によってはね、だってほら、今は幕末や太平洋戦争前以来の緊急事態だ、緊急事態では決める人間はより少なく、優秀でなければいけない、スピードと質が求められるからね、太平洋戦争前に当時の若手テクノクラートが作った総力戦研究所を知っているか、あれは東条英機が優秀な官僚の意見より集団の力学を重視した結果、もし開戦したら必敗、という彼らの的確な意見が握り潰されたんだ」
茂山はそんなことはとっくに知っている、それこそがやっかいなんだ、いう言葉を用意したが、飲み込んだように見えた。俺の標的がわかったから言うまでもないと判断したのだった。そういう民主主義のもつ調整弁でしかない奴らを皆殺しにしてやるんだ、と言外で理解した。
「和泉さん、あんたは自分に正直な人なんだね、自分の判断が正しいかどうかなんて、だれにもわからないのに、信じることができるんだな、私に生意気な若造だと思われることも怖くないんでしょうね、ここまで自信のある人は俺の周りに居なかった、今までの環境が、情けないですよ、あなたみたいな人は居なかった」
「それだけが取り柄だ、お前が俺を信じるかどうかは自由だ」
「和泉さん、私は仕事をするにあたって、今はあなただけを信じよう、あなたは今日嘘を全く言っていない、私はいくつかごまかすような言動があった、その点においてあなたを尊敬している、私はあなたより二回りほど年上だけど、軍の上層部よりあなたについていきたいと心から思っているんだ、自分でも不思議だけどね、信じてくださいよ」
「堅苦しい言い回しをするね、あんたには情報部隊を組織してもらう、俺たちの生命線となるはずだ、よろしく頼むよ」
「任せてください、私以上の人材は日本にいないよ」
そう言って茂山は初めて笑顔を見せた。
この男は俺を気に入ったわけではない、あくまで自分の環境を変えたかっただけだ、と気付いていた。
結果的に、彼が退役した後も育てている情報収集と分析を行うインテリジェンスチームは、丸ごと俺たちの組織に加わることとなった。彼らは戦争が終わっても尚、中国やロシアの諜報活動について監視を行っており、彼らに関する情報を多く持っていた。
その後茂山は予算を要求してきた。
ニシキはその三倍の金額を彼に与え、対SUA情報収集への準備を始めさせた。
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