「それに亜男、お前この子たちに一万円ずつ渡したって? 大したもんだ。ママの悪いところまでしっかり継承するとは」と姉が言った。
僕も不愉快という文字を自身の顔に書いた。金をせびり取られて皮肉を言われる筋合いはないし、子守をほっぽり出したのは姉のほうだし、おまけに利亜夢が左の口角を上げて僕を見ていたし。
「亜男くん、君はもぎたての果実ではなく、もぎ取られたての枝のほうだったんだね。残念」とヒカルさんが言った。無表情で。
僕は顔に書いた不愉快という文字を慌てて消した。そして〈誤解〉という文字を顔に書いてヒカルさんに見せた。でも、ヒカルさんはその文字を読み取れなかったみたいだ。筆跡に問題があったのかも。
その数分後、ヒカルさんとモラちゃんとはそのデパートのタクシー乗り場で別れた。タクシーに乗ったヒカルさんに僕は手を振り続けたけど、ヒカルさんは僕を一切見てくれなかった。不本意ながら擬似夫婦喧嘩みたいなことはできたわけだ。
僕は姉と利亜夢と三人でタクシーに乗った。怒りが込み上げてきたのはそのときさ。僕はタクシーに乗ってそれから気づいたんだ。ヒカルさんに嫌われたのはみんな利亜夢のせいだってことに。だから! だから僕は利亜夢がその行動をとったとき、野蛮とは思いつつも大声で彼を叱ったのさ。
利亜夢が何をしていたのかというと、彼はヒース・レジャーのその落ち着きのない頭を昼間にエビの頭をそうしたようにもぎ取りにかかっていたのだ。ちゃんとした大人[注1]なら、その場面を目撃した瞬間に彼を叱りつけるよね? 僕もちゃんとした大人であるがゆえに彼を叱りつけたってわけなんだ。
しかし、だ。僕は利亜夢にしてやられた。僕の説教を遮って、この悪童はこんなことを言い返しやがったんだ。
「ジョーカーは人殺しの悪い奴なのに、どうしていじめちゃいけないの?」
車内に笑い声が響いた。利亜夢のその発言を聞いて姉とタクシードライバーのおじさんが馬鹿笑いしたのさ。それこそジョーカーみたいに。
僕はというと、利亜夢に一本取られて閉口してしまった。それこそバットマンみたいに(情けない!)。そんな僕を見て、姉が追い撃ちをかけるように言った。
「利亜夢にも分かる言葉で理由を教えてあげてくれ、亜男。なぜ人殺しのジョーカーをいじめてはいけないのか、その理由を」
僕は姉の存在を架空請求扱いすることにした。つまり姉のその発言を無視した。
僕はタクシードライバーのおじさんに足元のブレーキと口元のブレーキをかけるよう言った。するとおじさんはすぐさま相棒を路肩に寄せた(口元のブレーキはかけなかった……ちくしょうめ!)。
僕はタクシーを降りた。
ゆっくりと歩いて遠ざかっていく僕の背中を、姉と利亜夢とタクシードライバーのおじさんが見ているだろうと思った。だから僕は電子葉巻を吸ってその煙を吐き切ったあと、背中に大きくこんな文字を書いたんだ。
不愉快、と。
つづく
[注釈]
1.ちゃんとした大人
※風邪さんの僕に対する愛が深すぎる。これまで過去にお付き合いしてくれた彼女達の誰からもこんなに愛されたことはないのでは……。深い愛とはどういうものなのか、まさかそれを風邪が教えてくれるなんて思ってもみなかった。あと、今週は涙活しすぎました。
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