姉が僕の前に取り皿を置いた。そして姉は僕にそのモナ・リザについて説明した。
名前はヒカルさんといって、年齢は二十四。ヒカルさんは服飾関係の仕事でロンドンに住んでいて、昨日一年ぶりに帰って来たとのことだった。ヒカルさんのお姉さんが例の女の子の母親で、この日ヒカルさんは子守を任されてしまったらしい。僕の姉と女の子の母親が友人で、それでヒカルさんと姉の交友が始まったとか。それから僕に大いなる苦悩を授けてくれた女の子の名前はモラちゃん。利亜夢と同い年だった。モラちゃんは平然とした顔でヒカルさんの隣に座っていた。
「山羊に食べてもらうわけにはいかないもんね、童貞は」
シャンパンで乾杯したあとヒカルさんが僕に向かってそう言ったんだけど、そのとき僕は隣に座っている利亜夢を睨みつけた。ヒカルさんのその発言を聞いて彼が吹き出したからさ(利亜夢は童貞という言葉の意味をすでに知っているようだった)。僕は利亜夢をしばらくのあいだ睨みつけていた。彼だって童貞のはずさ。笑われる筋合いはない。
まあそれはともかくヒカルさんの山羊発言の件だけど、それは小学三年生当時にとった僕の行動を姉から聞いたからだろうね。あれは確か一学期の修了式の帰り、僕は通知表をママに見せたくなかったし、その通知表だって今すぐこの世から消えてなくなりたいって顔をしていたから、山羊に召し上がってもらうことにしたのさ。ただし、ヒカルさんは勘違いしている。山羊は僕の通知表を食べなかったのさ。その山羊は学校で飼育していた山羊で、紙を見せるとすり寄って来て、そうしてその紙を憚りなく貪ることだけが取り柄だったはずなのに、僕の通知表には関心を示さなかったんだ。おそらくそこに記載された成績があまりに酷かったから食欲をそがれたんじゃないかな。
「女は造花のくせに水や肥料を欲しがる連中だからな」と上座に座っている姉が僕に向かって言った。「しかも造花のくせに枯れるし。それに最近はみんな不倫するのが目的か、あるいは離婚するのが目的で結婚してるようなもんだから、何はともあれ、童貞で居続けるって選択は正しいのかもな」
姉は僕をフォローしているわけじゃないんだ。彼女は皮肉を言いたいだけ――持論を展開したいだけさ。いずれにせよ姉は僕と同じく、ママからもらえる小遣いで贅沢をしている(そのママは国から小遣いをもらってるんだけど)。僕はそんな女の持論なんて聞きたくない。しかも姉は自分の意見を持たなければならないという一般論の脅迫に恐れをなして無理やり自分の意見を持たされているだけなのだ、たぶん。
姉は専業主婦だけど、精力的に家事をこなしているってわけでもないんだ。早々に家事を切り上げて、彼女は悪あがきとしか言えない無駄なエステティックに時間と金を費やしているのさ。姉は女を捨ててはいない。がしかし、女という性別からは捨てられている。彼女はさすが僕の姉だけあって、ブスなんだ。オレンジ色に染めた長い髪や肌や服装などは惜しげもなく金をつぎ込んでいる甲斐あって「辛うじて!」という感じなのだけれど、顔のパーツのフォーメーションは一般女性ですら相手にできる隊形ではないんだ。そしておまけに体形も悪いのさ。姉はチャッキーと同じ趣の顔(しかも巨大! 十キロ先にいてもその表情が分かる!)をしているばかりか、背が低くて手足が短くて骨太の体を有しているのだ!
そんな姉とヒカルさんはパエリアを食べながら、「世界中にいる出しゃばりたちが社会に貢献しようと思わなければ社会は良くなる」という話をしていたんだけど、不意にヒカルさんが僕のほうを向いてこう言ったんだ。
「それはそうと亜男くん。セックスの経験はなくても、キスはしたことあるでしょ?」
つづく
※風邪さんが僕にぞっこんでなかなか別れてくれないので、しばらく休みます。熱も下がらないし。二つの意味で……。
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