「あなたはパンですか?」
僕は顔を上げる。つり革に掴まった男が僕に話しかける。
「あなたはパンですか?」
周りの乗客のたじろぎが伝わってくる。
僕は眠い。無視してスマホを取り出していじる。
『なんか電車でやばい人に絡まれてる』
Tweetした。トゥートもした。
僕はスマホのブックマークを開く。昨日何かをブクマしてたから。なんだっけ。あれ、さっきまで何を考えてたんだっけ。
「あなたはパンなのですか?」
男は繰り返す。至極丁寧に、靴屋の店員が足のサイズを確認するように。
『お前はパンなのか、ってずっと言われてる。地下鉄やばいな』
僕はTweetする。いいね、がついた。RTはまだ。早く来い。
乗客は慣れたようだ。同じようにスマホを取り出して親指をフリックさせている。
僕は気になって「電車 パン」で検索してみた。
『電車でやばい人がパンを連呼してる』
『パン職人、有楽町線に現る』
『絡まれてる人かわいそう』
『パン屋、襲撃』
僕は無表情でほくそえむ。
「あなたがパンではない理由はなんですか」
男はゆっくりと質問してくる。何だか答えたくなってきたけど、他人に答えたくはない。
「あなたの思考に浮かんでいるのは本当に感情なのでしょうか」
男は覗き込むように背を屈ませた。
「音楽は音楽で。パンはパン。でも僕やあなたの考えは本当に考えなのでしょうか。実はパンなのでは?その感情は音楽なのでは?」
疑問符を並べる男はとても楽しそうで、これより面白いことなんてないよ、 と今にも言いそうだった。
「僕は何もかもが疑わしい。そして疑わしい存在が何も解決されず、日々を生きていることに恐怖を覚えるんです」
「僕にとってパンは電車です」
たまらずに言い返してしまった。頭にあった言葉。
「パンが電車?」
彼は片眉を吊り上げる。
「おかしいことを言いますね。そんなことあるわけがない」
僕は顔を上げない。でも前を見る。笑顔で表情を消す。
「電車がパンだったら良いと思いますよ、ええ。いや、もう良いとかではなく。パンで電車なんですよ。あなたには理解できないだろうけど」
「感情はパンのように膨らみ、音楽はパンのように膨らむのに」
「ええ、そうかもしれないけど。ええ、でもね、パンが電車であることの方が自然だと思い、ますよ」
「似つかわしくないのに?」
「何もかも似つかわしく無い方が、何もかも自然だろう?」
僕はスマホを取り出してpinコードを叩く。早く打ち過ぎて画面が固まる。早く開けよ、twitter。お前は本当に無能だな。
「でも、でも」
「でもじゃない。感情はパンに似ている。音楽はパンと友達だ。でもパンと電車が=で結ばれることは永遠に無い。でもそれが自然なんだ。だからパンは電車なんだ」
『次は麹町』
電車がアナウンスする。もしかしたらパン屋さんが言ったのかもしれない。それを確かめる術はない。 男は無表情になり、スマホを取り出してフリックして何やらぶつぶつ言っている。そして立ち去った。
僕は電波の悪い地下鉄でtwitterをやっと開いた。#電車でパン、というハッシュタグを作った。RTされた。
ページは表示されないのに。
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