部屋に入った途端、胸騒ぎを感じた。
不安、不吉……言葉で表現できない悪い予感。
それはすぐ、現実となった。
樹光は床に奇妙な魔方陣を描き、作務衣を着ていた。
何か、呪文を唱えている。
胸が苦しくなった。
息ができない。
全身の毛穴が開き、冷たい汗が噴き出す。
樹光は額から汗を滴らせながら、目を閉じて一心不乱に呪文を唱える。
これが樹光の能力!
完全に侮っていた。
体中から抜け落ちていく力。
遠くなる意識。
膝をついてしまった。
このままでは殺られる。
肉体の再生能力は役に立たない。
樹光なら、ワタシの魂ごと消滅させられる可能性がある。
この貧相な教祖には、それだけの能力がある。
瞼の裏に、あの病院で廃人と化した父の姿が甦った。
優しくて誠実だった父。
己の醜い延命のために、その父を劇薬の実験体にした男。
歯をくいしばった。
最後の力を振り絞った。
霞んでいく目で、狙いを定める。
日本刀を樹光に放った。
大きく見開かれる樹光の目。
刃が、正確に彼の心臓を貫く。
ワタシは意識が無くなる寸前に、瞬間移動した。
強敵を仕留めた日本刀と共に。
目が覚めた。
ワタシは横たわっていた。
ベッドに。
かつて父が廃人となって横たわっていたあのベッド。
ここは、あの邪悪な病院だった。
だが誰も、この部屋のことなど気にかけていない。
総本山での異常事態発生が、ここにも伝わっている。
院内は大騒ぎだ。
ワタシはゆっくり立ち上がった。
安堵した。
肉体と精神は完璧に回復している。
樹光を透視したとき、狂人達の本質を見た。
絶滅者を殺せる程の能力を持った樹光なら、子ども達の難病を癒すことは容易。
なぜ樹光はそれをしなかったのか?
樹光の力を知りながら、なぜ会員である医療関係者が救いを求めなかったのか?
「面倒くさい。死ねばいい。さっさと寄付だけしろ」
それが樹光達、このカルト集団の総意。
病室のドアを開けた。
子ども達の苦しみを、千倍にして味わってもらおう。
父を好き放題に試験体にした会員達を、好き放題に破壊しょう。
直に、この不自然な真っ白の建築物は、鮮やかな赤色のそれへと変わる。
その色こそが、この邪悪な狂人どもの巣に相応しい。
多くの人間が、新興宗教に入信している。
地下鉄サリン後も。
誰もが孤独。
混沌とした社会で、自分の居場所を見つけられずにいる。
不安や絶望を感じた時、助けてくれる人間がいない。
善行を行った人間は、黄泉で輪廻する。
だがそれは幸せなことか?
また、生きなければならない。
また、苦痛を味あわねばならない。
また、死の恐怖に脅えなければならない。
変えられない、死すべき運命。
ならば、生まれてくる意味は?
なぜ、生きなければならない?
人生は生きるに値するか?
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