病院に母と二人で走り、やっと辿り着きました。
白亜の大きな建物。けれどこの病院が発っするのは、不穏で邪悪なオーラ。
ゼイゼイと荒い息を吐く母。わたしはさっさと院内に入りました。母を一人残すのは不安でしたが、父を一刻も早く救出せねば。この病院のキナ臭さが、わたしを追い立てます。
正面受付で父の居場所を聞くと、事務員は隣の同僚と一瞬目配せしてから、無表情を装って答えました。
今の事務員の反応。そして病院の外観・雰囲気。
受付の奥の壁には、
「豊な人生日々の為のイニシエーションをもっともっともっともっと広めよう!」などと、いかがわしいポスターが堂々と貼ってある始末。
受付には「入会案内」の用紙が、大量に……。
カルト集団が経営している病院! そんな所での長期の治験……。
わたしは父の病室へ駆け出しました。
建物内部は、全てが真っ白に塗装されていました。トイレのドアノブさえ。
それでもここは、清潔さが微塵も感じられない異空間。
壁には曼荼羅や写経が貼られ、ついにはテレビや新聞で顔を見たことがあるカルト教団教祖の大きな写真が、悪趣味な装飾を施された額縁に納まっています。
それら不愉快なものを視界から外しながら、父がいる最も奥の別棟へと走ります。
途中、医師からも看護師からも患者からも、宇宙人を見るような目で見られました。
会員でないわたしが院内を走り回っているのが、奇異に映るのでしょう。
ようやく別棟に到着し、父の病室に入りました。
違和感を覚える程、清潔過ぎるこの病院で、唯一父の病室だけがひどく不潔でした。
これが「非会員」への、教団の対応。
シーツが交換された形跡は一切無し。汗と体臭が染み付いたパジャマ。
土気色をした父が、横たわっていました。骨と皮だけの体に成り果てて。
わたしを見る父の目は虚ろで、誰だか分からないよう……。
「……入会は、しない。ち、治験の……ほ、ほ、報酬を、く、くれ」
父はわたしを病院関係者――教団関係者と錯覚しています。
わたしを支配し始める、哀しみと怒り。
法外な薬物の実験体にされ、意識朦朧としている間、病院関係者が父に何をしたか。
心身ともにズタボロの父に、執拗に入会を迫る狂人達。
それでも父が強引に入会されなかった理由が、うわ言から分かりました。
「か、か、金なんて……無い。教団に入っても、お、お布施なんか……できない」
弱りきった父は、会員拡大の勧誘者としても使用価値が無いと判断した教団。
好きなだけ実験体にすることができたでしょう。使い物にならない非会員ならリスクを心配せず、どんどん薬物を試すことが可能です。
わたしは手早く父の荷物を片付け、カーディガンを羽織らせた父をオンブして、病室を後にしました。
「マル邪(非会員)は早く消えろ! 樹光会長に魂を捧げない邪悪な俗物め!」
出口に向かうまで、こうした罵声をいくつも浴びました。
わたしは歯を食いしばって父を背負い、出口に向かいました。途中、とある部屋に寄り、あるモノをポケットに忍ばせました。それは咄嗟の、無意識の行動。
出口では、母が何人かの中年女性――会員に取り囲まれていました。
うろたえ、泣きそうな顔の母。会員達にしてみれば、母は最も勧誘しやすいタイプ。
わたしは中年女性の会員達の輪に、父を担いだまま体当たりを食らわせました。
悲鳴を上げて地面に倒れこむ、数人の会員ども。
その時、悲鳴を聞きつけた警備員らしき男達が駆けてきました。ドーベルマンのように訓練された俊敏な動き。屈強な肉体。そして、表情というものが抜け落ちた顔つき。
民間の警備員とは比較にならない精強ぶり。彼等も教団の会員なのでしょう。そして狂った教義の元、狂った訓練を受けた……。
わたしは母に父を預け、ポケットから、先程オペ室で拝借したメスを取り出しました。
「ここで何をしていたか、全てバラすぞ!」
十二才の華奢な女子一人が、メスを握っているだけ。
警備員面した戦闘要員の会員達は怯む様子もなく、わたし達を包囲します。
「最初にかかってきた者を殺す! 必ず殺す! 喉かペニスを切り裂く!」
戦闘員達は、わたしの言葉よりも、全身から放たれる狂気のオーラに怯んだようでした。
ここが玄関付近だったのが幸いしました。道行く人々が、何事かとこちらを見ています。
戦闘員のリーダーらしき人間が舌打ちすると、無表情に吐き捨てました。
「ここには、その男の方から飛び込んできた。無理に連れ込んではいない。ここの医者に『退院不可』の診断書を書かせて、再入院させてもいいんだぞ」
この男をメスで切り刻みたい衝動を、必死に抑えました。
「そうすれば、全てを警察に通報する」
この一言は効いたようでした。
それだけ、背徳の活動を行っている教団なのでしょう。
破壊防止法適用第一号は何としても避けたい彼等は、リーダーの合図で包囲を解きました。黙ったリーダーの目に宿るは、わたしへの殺意。
わたしは母の体を空いている方の手で押しやりながら、病院の玄関から歩道に出ました。
何とか、脱出に成功。
帰路は、母とわたし二人で父を担ぎました。一刻も早く我が家へ。
母はもう、心身共に限界。
当然でしょう。父を担ぎながら、決して近いとはいえない距離を移動しているのです。なのに、なぜわたしは汗一つかいていないのでしょうか。
息も乱れず、疲労も感じず……。
死体のような父を抱えながら、ヨタヨタと歩くわたし達に浴びせられる好奇と不審の目。けれど誰も声一つかけず、ましてや助けてなどくれません。
期待もしていませんが。
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