継体守文

サイファイ・ララバイズ(第5話)

諏訪靖彦

小説

9,068文字

小難しい話の前の一休み的なスラップスティック・コメディです。

 俺は電話機のフックを軽く押して通話を切った。そしてフックから指を離すと、周囲に聞こえる強さで受話器を叩き置く。通話先の人物に対して俺が怒っていることを編集部内に周知させるためだ。でも実際は怒っていない。怒っているように見せたほうが部内の心証が良いと判断したからだ。すると隣の席に座る小林一郎が声を掛けてきた。小林は週間ダイヤの風俗記事担当で、前任者がとある事件で逮捕されてからこの部署に配属されてきた。もともと文芸誌を担当していたからだろうか、話し方に特徴がある。
「海野さん、落ち着いてください。額を伝う血道が憤怒によって膨張し、今にも虹色の血が噴き出して、私の目を潰しそうです」
 俺は怒っていないので、青筋なんか立てていない。虹色の血云々はどこかで聞いたことがあるな。そうだ、少年時代ゲイバーで働いていた美輪明宏が客として来ていた三島由紀夫に言った言葉だったな。いや、そんなことはどうでもよくて、小林がそう言ってくるということは、俺の顔を見ずに受話器を置いた音だけで俺が怒っていると判断したからだろう。よし成功だ。うまくいったから、このまま小林に愚痴ろう。そうすれば小林を通じて、いずれ編集部内の噂になって、俺は役職など関係なしに間違っていることには間違っているとハッキリ意見することが出来る一本筋の通った男だとみなされる。俺は隣の席へ椅子を回し、体を小林に向ける。小林は俺が体ごと向いたことに気付いたはずだが、一瞥もせずにパソコン画面を見ながらキーボードを打ち続けている。そんな小林に対し、怒っていないが怒気を含めた口調で、わざとらしくならないように細心の注意を払いながら、周りに聞こえるような声で言う。
「ウチの係のスクープを編集長が差し止めろと言ってきたんだ。編集長は俺たちの苦労を知らないから、差し止めろなんて軽々しく言えるんだよ」
 言い終わると周りを見渡す。よし、何人かこっちを向いている。
「努力と苦労の殆どは徒労に帰すように出来ています」
 しかし小林は俺の顔を見ないで話す。何度か注意したことがあるが、一向に直る気配がない。というか直す気がないのだろう。それで小林は何と言ったんだっけ。そうだ努力するだけ無駄だと言ったんだ。俺たちが、と言うか俺たちの係が、俺はほとんど関わってないけど、俺以外の係のみんなが、とにかく頑張って掴んだスクープなんだ。
「お前は悔しくないのか?」
 俺は小林を指さしながら言った。よし。熱い上司っぽい問いただし方が出来た。しかし相変わらず小林の目はパソコンのモニタを見つめたままだ。そして口だけ動かして言う。
「何に対して悔しがるんですか? 私たちの係で作成した何の記事が差し止められたのですか? 何が私の唇を噛ませるのか説明がなされていません」
 確かに何のネタが差し止めを食らったのか小林に説明してなかった。しかしモニタを見ながら話す小林は俺の話に興味がないように見える。周りの注目が集まっている状態で、俺が部下にあしらわれると映ってはいけない。俺は小林の肩を掴んで強引にこちらを向けてやろうと思ったが、やっぱりやめて肩をそっとたたいた。するとやっと小林が俺の方を向いた。なんかめんどくさそうな目をしているが、構わず話を続ける。
「すまない。何の記事が差し止められたか言ってなかった。三十代にもなってアイドルグループを名乗っているグループ『凩』の小野メンバーが大麻を吸っているのを、奴の行きつけのバーに潜入して掴んだスクープの話だ。編集長は言葉を濁していたが、所属事務所からの圧力があったんだろうな。まったくあの事務所は何をやっているんだ。先日、これまた三十代アイドルが酒に酔って全裸で徘徊して、挙句の果てに大声でグループメンバーの名前を叫んで、世間を騒がしたばかりじゃないか。事務所は所属タレントの不祥事をなかったことにするのが管理責任だと思っているのか。いや管理責任というより事務所の倫理観の問題だ。わいせつ物陳列は犯罪だぞ。大麻吸引は犯罪だぞ。厳密には大麻吸引自体は犯罪ではないけど、所持しているからこそ吸引したんだ。それを事務所の力で握り潰すなんて、あそこの事務所は所属タレントの大麻吸引を奨励しているのかってんだ」
 俺はうまいこと言ったつもりでいたが、それを聞いた小林が予想外の返事をよこした。
「件の事務所は取締役が全員ヤクザです。ゆえに事務所が大麻吸引を黙認して居る可能性が有ります。 反りて推奨しているのかもしれません。事務所が販売し所属タレントが買えば内々に資金が回りますから」
 え、あの事務所ヤクザ系列なの? 知らなかった。俺が編集長に二つ返事で取り下げますと言ったのは正解だった。ヤクザの倫理観は一般人とは違うからしょうがない。価値観の違う者同士上手くやっていくにはこういった忖度も必要だ。寛容の精神だ。しかし良かった。結果良かった。もし反対してややこしいことになっていたら、俺の名前がヤクザに知られることになったかもしれない。危なかった。これにて終了と行きたいが、まだ俺たちの話を聞いている奴が居るから会話を止めるわけにはいかない。ヤクザの話が出たところでいきなり会話をやめたら、日和ったと思われる。最悪なめられるかもしれない。よし丁度いい。俺がヤクザに対しても筋を通す人間だということを周りに知らしめよう。掲載差し止めは決まっているし、これからどうこうなることは無い。
「事務所がヤクザと繋がりがあると知ったうえで編集長に言ってやったんだよ。差し戻しはできないってね。うちの係の努力を無にすることは出来ない。何なら犯罪行為に加担する事務所についての記事を書いてもいいとさえ言ってやった」
 当然そんなことは言ってないわけで、差し止め理由すら聞いていない。編集長の意見は絶対で、社会通念より会社組織が優先されるのは当たり前のことだ。編集長に逆らうなんてことをしたら、出世の道が閉ざされる。副編集長のまま終わりたくない。妻の靖子は妊娠を期に仕事を辞めた。俺が家計を支えていかなければならないのだ。
「間接的でもヤクザに抗うとは、海野さんの勇ましさは尊敬に値します。そんな海野さんに対して編集長はなんと答えたのですか?」
 よし。小林から尊敬という言葉を引き出した。もっと大きな声で言って貰いたかったがまあいい。さて、編集長がなんて答えたことにしようか。あまりやりすぎると後に響く可能性が有るから、当たり障りのない答えにしておこう。
「最初は譲れない姿勢を見せていたが、俺の熱意に負けたのか、編集長はもう一度考えてみると言った。おそらくヤクザ事務所に記事差し止めは受け入れられないと連絡するんだろうな」
 俺が二つ返事で記事の差し止めを了承したので、この件が蒸し返されることは無い。編集長との会話が明るみに出ることもないだろう。記事は差し止められ、ヤクザ事務所も編集長も俺も、皆がハッピーな展開になったわけだ。
「受話器から溢れ出すマグマのような熱情に、編集長は心を動かされ、所属事務所からの脅迫に屈してはいけない、社会理念に従うべきだ、決して反社会的勢力の言いなりになってはいけないとの感情が芽生えた。そして編集長は所属事務所に記事の差し止めなどしないと連絡する運びになったわけですね」
 そんなことは全然していないし、俺は編集長にわかりましたと言っただけだ。そして、これからも編集長に逆らうことはない。
「ああ」
 俺は肩肘を立てあごに手を置いてからそう言った。そして周りを見渡す。心なしか俺たちの話を聞いている部内の人間の目に、俺に対する尊敬の念が浮かんできたような気がする。俺が惹きつけた尊敬の念に、さらに突き刺さる言葉はないか考えていると、突然電話が鳴った。誰からだろう? 編集長からだとしたら別の件だ。しかしこれだけみんなの注目が集まっているのだから、受け答えには気を付けなくてはならない。受け答えを誤ると尊敬の念からから軽蔑の念に急降下してしまう。そう考えていると小林が言った。
「海野さん。内線電話が鳴っていますよ。きっと編集長からですよ。小野メンバーの大麻吸引記事を掲載すると事務所に通達した結果報告ですよ。編集長がやっぱりダメだったと言ってきたらガツンと言い返してくださいね。係のみんなのためにお願いします。応援していますから」
 おい、余計なことを言うな。そもそもお前は最初どうでもいい風だったじゃないか。編集長が事務所に連絡するはずないから別の話なんだよ。いやまて、もしかすると俺たちの話を聞いていた係のやつが、俺の熱意にほだされて、編集長に記事の差し止めについて意見したとかじゃないよな? 俺はまた周りを見渡す。なんかさっきより俺を見つめる人が増えている気がする。一度考え始めるとそうとしか思えなくなった。誰だよ、そんな感受性豊かなのは。そんなんじゃ編集部でやっていけないぞ。いや、もともとみんなの感情に訴えかけように熱弁をふるっていたんだから、当初の目的が達成されたとも言えるが、それが正解だったのか分からなくなってきた。
「海野さん。早く取らないとカラスが鳴きますよ」
 分かってるよ。と言うかもっといい例え方があるだろ。文芸部出身が聞いてあきれる。ああ、そうだ。小林は文芸部で使えなかったからウチに配属されてきたんだった。いや小林の話はどうでもよくて、電話を取らなくてはいけない。もうちょっと時間を稼いで考えを纏めてから電話を取りたかったが、すでに二十コール近く鳴っている。俺は意を決して受話器を取った。
「はい。海野です」
「お疲れ様です。総務の丸山です」
 なんだ編集長からの内線じゃないのか。心配して損したよ。でもよかった、丸山さんが連絡してくれたおかげでみんなの視線から逃れられそうだ。でも何の用だろう? ありがとうとの思いを込めて丸山に聞いた。
「お疲れ様です。どうしました?」
「奥様のお母様からお電話です。繋ぎますね」
 お義母さんから? もしかして靖子に何かあったのかもしれない。予定日はまだ先だけど、陣痛が来たのかも。だとしたら急いで病院にいかなきゃならない。靖子とは出産に立ち会う約束をしていて、そのために講習を受けたり、勉強をしてきたんだ。立ち合い出産は俺の方から靖子に提案した。最初靖子は難色を示したが、俺の熱意に負けてなんとか了承してくれた。普通逆かもしれないけど、うちではそうなんだ。子供が生まれる瞬間にその場にいなければ、生まれてから「はい、これが君の子だよ」なんて靖子に言われても、俺の子供だという実感がわかない気がしたんだ。靖子のお腹から人ではない何か別のものが生まれてきても、その場にいれば俺の子だと納得できる気がしたんだ。
「お義母さん。優人です。靖子に何かありましたか?」
 俺は靖子の母親に聞いた。最近やっとお義母さんと言うことに慣れてきた。俺は幼いころに両親を亡くしていて、従兄の家で育ったが、従兄の両親にお父さんだとかお母さんとは言わなかった。言わなかったというより、言い出すタイミングを逃したんだ。従兄の両親へは育ててくれたことへの感謝しかないけど、社会人になってからもそれは続いていて、いつかお父さんお母さんと呼ばせてもらおうと思っているけど、靖子と結婚して靖子の母親を先にお義母さんと呼ぶようになってしまった。お母さんごめんなさい。
「優人さん? 携帯電話の番号を知らなかったから会社に掛けちゃったの。ご迷惑じゃなかったかしら?」
 やはり緊急の要件らしい。俺は先を促す。
「いえ、大丈夫です。それで靖子に……」
「先日はどうもありがとうね。お父さん喜んでいたわよ。あの人お酒好きだから。優人は次いつ来るのか? って、毎日のように靖子に聞いているのよ」
 靖子は臨月に入って実家に帰っている。その靖子の様子を見に先日靖子の実家に行った。少ない小遣いを奮発して上等なウィスキーを持って行ったら、靖子の父親と盛り上がってしまい、朝までに一本開けてしまった。やすい酒じゃないから一気に飲むなと言いたがったが、そんなことを言いだせるはずもなく「お義父さんお酒強いですね」なんて煽てていい気分にさせた。そういえば、お義父さんも先に言ってたな。お父さんごめんなさい。
「こちらこそ、色々御馳走してもらって、ありがとうございました。それより靖子は……」
「よかったわ。また是非いらしてね」
 靖子の実家は山間盆地にある集落で、むかしは魚介類による動物性たんぱくの摂取が難しかったため、昆虫を食べる文化が生まれた。それは今でも続いていて、ウィスキーのつまみがイナゴや蜂の子の佃煮だった。最初は抵抗があったが、食べてみると意外とおいしい。けど、そんな話をしたいわけじゃなくて、靖子がどうなってるか知りたいんだ。恐らく靖子の母親は話を見失っている。靖子の性格は母親譲りだ。
「ええ、またお邪魔します。それで靖子は?」
「靖子ね。靖子の作るお焼きおいしくなかったでしょ。あの子、お焼きを作るのがヘタでね。今度はちゃんと私が作った切干男根と野沢菜が入ったお焼きを御馳走するわね」
 靖子の作るお焼きについてはどうでもよくて、靖子と作った子供がどうなっているか知りたいんだ。でも、本当に先日の礼が言いたくて電話してきた可能性もあるな。さすがに娘が産気づいたことを娘の夫に知らせようと電話して、そのことを忘れるなんて考えにくい。きっとそうだ。だとしたら長々私用電話をしているのを部下に見せたくない。早めに電話を切り上げることにしよう。
「お焼き楽しみにしてます。ではそろそろ……」
「それじゃあまたね、優人さん……あ、そうそう、言い忘れてた。靖子が産気づいたのよ。さっき破水してね。今病院にいるの。私も破水が先だったから遺伝……」
 なんだよ、やっぱり忘れてたのかよ。

2018年12月26日公開

作品集『サイファイ・ララバイズ』第5話 (全12話)

サイファイ・ララバイズ

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© 2018 諏訪靖彦

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