「ここか」
品川の籠屋で棒を担いでいる助吉と魚屋の平次が枯れ芒を掻き分けて進んだ先に漸く辿り着いたのが笛吹寺と呼ばれるこの廃寺。障子は紙が剥がれ落ちて只の格子戸になり、壁も辛うじて薄皮一枚残って寺の如き影を保つような如何にもな風情のあるお堂があった。押込みにやられて和尚が殺され、賽銭箱は破壊され、仏像仏具も残らず持ち去られたというが、元より檀家も居るんだか居ないんだか判らないような荒れ寺だったこともあってそのまま打ち捨てられ朽ち果てるばかりである。
「思ってたよりもむごいんじゃないかね、助さん」
「そうだねえ、平さん」
二人は提灯の明かりに下から照らされた崩れ落ちそうな屋根を見上げた。
「かつがれたかね」
「かもしれんねぇ」
助吉は半分だけ崩れずに残っている階段に腰を掛けながら、あちこちのぞき込んでいる平次の問いかけに答えた。
「が、〈出そう〉なのはたしかだわな」
三刻ばかり前、新地の賭場で運良く泡銭を稼いだ助吉と平次は蕎麦屋で熱燗を引っ掛けながら岡場所に行くか夜鷹を拾うか相談していた。知り合ったのはついさっきなのに、同じ賽で勝ったのをきっかけに旧知の仲のように盛り上がっていた。
「岡場所はもうおそいんじゃないかね」
「いや〆鯖屋ならまだいける」
「あすこは年増ばかしでないか」
「いやいやそれがいいんじゃないか。年増のじゅくじゅくしたかんじがええ」
「ばか言え。銭のあるときぐらいいい女を抱きてぇよ」
「じゃあ夜鷹かぇ?」
「いやーどうだろかねぇ」
夜鷹はアタリハズレの落差が激しい。昨日今日食い詰めたばかりのお武家のお内儀が身をやつしたなんてのに当たったらそりゃもう幸運極まりないこと請け合いであるが、大体の場合店でも客が取れなくなって捨てられるように河原に流れてきた年増やら鼻落ちやらが大半だ。穴があればなんでもいいという晩なら選り好みはしていられないが、今は懐が暖かい。それにさっき幸運を使い果たしたとしたらもうアタリは引けないだろう。どうあってもこの後にくるのはハズレ籤だ。
「お主らは先刻の」
突然話しかけられて二人が振り向くと坊主が一人立っていた。髪も髭もぼさぼさに乱れているが汚らしい袈裟を纏っているので辛うじて僧職にあることが見て取れた。先程の賭場に居た生臭坊主である。確か勝ち逃げせずにそのまま壺振りを続けていたはずだ。
「ああ、坊さんか。あれからどうだった?」
「仏は拙僧に更なる試練を与えて下すった」
「なんでえ結局オケラかい。へへ。欲張るからだよ。まあ座りねぇ」
平次は横の腰掛けに座るように促した。和尚は忝ないと一礼して盃を受け、胤覧と名乗った。なんのことはないただのタカリである。
「お主らは笛吹寺を知っておるか?」
「いや」「知らねえな」
「知りたいか」
和尚は飲み干した盃を突き出してお代わりを要求した。
「別に知りたくはないが、なんなんだよ」
助吉は徳利を傾けながら和尚に問い糾した。生臭坊主はニヤリとして波なみと酒が満たされた盃をぐいとあおった。
胤覧の話はこうだ。
野盗に襲われて荒れた笛吹寺はその後いつしか夜鷹のたまり場になっていたそうなのだが、その中に元は吉原だか品川にいたお女郎で、天河という女がいた。佳い女なのだがいかんせん肉付きが悪く、労咳も患ってるなんて噂が立って花街を追い出されてしまった。流れ流れて笛吹寺に行き着いてひさいでいたということだが、そのうち寒い朝にくたばっているのを仲間の夜鷹が見つけて番屋に届けたという。そいつがどういうわけか化けて出るようになった、という。
「どういうわけか?」
「オチもサゲもないんじゃ上方じゃドツキ回されるぜ」
「まあ待て。話はここからじゃ。化けて出る理由なぞはたいしたことではない。……主らは吸茎を知っておるか?」
「きゅうけい?」
「そうじゃ。吸う茎。口取りのことじゃ」
「ああ」
「口取りかあ。そこらの置屋の女はやらんよな」
「そうじゃろう。あれは高い位のお女郎の秘技じゃからな」
笛吹寺のお堂で寝ていると金縛りになり、天河が化けてでて勝手に吸茎をして、果てたところで去っていくのだそうだ。ただ、そこに寝るだけでは天河が出てくるとは限らないという。和尚が言うには天河を呼び出すにはちょっとしたコツがあるのだという。
「からし?」
「からしって、あの田楽やら寿司につけるあれかい?」
「左様。大の辛党であった天河の好物はずばり、からしなのじゃ。イチモツに塗りつけて待てば、現れること請け合いじゃ」
飲むだけ飲んで、しゃべるだけしゃべって、和尚は去っていった。
残された二人は、黙って勘定を済ませ、からしを二匙ほど和紙にくるんでもらい、店を出た。
笛吹寺まではおおよそ一里といったところか。通りすがりに店じまいをする料理屋の提灯を無理やり買い取って明かりにした。
果たして和尚の言ったとおりの場所に、笛吹寺はあったのだった。
そして丑三つ時。霊が出るならそろそろだが、今のところその気配はない。
「助さんは幽霊てみたことあんのかい?」
「ねえな。平さんは?」
「俺はあるんだなあ。ガキの頃からバケモノだのモノノ怪だのとはなにかと縁がある」
「ほう? たとえば?」
「天井の節穴からだれかのぞいてたり、通りの向こうで女がじっと見てるから、俺に惚れたかと思って近づくと、見たらやばい奴だったりとか」
「それはきついな。他には?」
「あとは狐憑きとか猫憑きになったりなんかもある」
「憑き物ってなぁどうなるんだ」
「ありゃあ自分ではまったく覚えてないんだが、俺が急に狐みたいになって暴れだしたんだそうだ。油揚げを食わせたらおとなしくなったので狐だとわかったらしい。朝起きたら体中がすり傷だらけで参った」
「それは難儀だな」
「助さんはなにもなし?」
「金縛りぐらいはあったかなあ。体は動かないが、まわりは見えるし音も聞こえるってやつだぁな」
「なるほどねえ」
さて、と助吉は懐からからしを取り出した。
「これを塗らねえと出てこないんだろう」
「本当に塗るんかい?」
「とりあえずやってみねえとなぁ。平さんは?」
「俺はからしはあんまり好きじゃないんだなあ。甘党で」
「イチモツに塗るのに甘党も辛党もあるかい」
助吉は指でひとすくいして、ずらしたふんどしから陰茎に薄くからしを塗った。これ以上多く塗ると染み込んで痛くなりそうで、ほどほどにしておいた。
「さあ来いからしなめ」
「妖怪じゃないんだから」
廃寺で提灯の明かりに照らされて、二人はだははと嗤った。
なんとなく話が途切れたところで、助吉は虫の声が大きくなったような気がした。
ちょっと季節外れじゃないか? すると、すぅっと提灯の火が消えた。
なんでぇろうそく切れか、と思ったが声にならない。
提灯を見ようとするが首も体もそちらに向けられない。
肩になにかがのしかかって後ろに倒された。
なにかが覆いかぶさっているのはわかるが、顔は暗がりでよく見えない。
平次はどうしたかと思ったが、右にも左にも姿が見えなかった。
ついに出やがった。本当に出やがった。
このあとはどうなるかはわかっている。和尚の話が本当なら、口取りされて気をやるはめになる。
そうなったらそうなったで、それはそれで悪くぁないじゃねぇかと助吉は思った。
覆いかぶさっていたものが、下半身の方へ移動していく。
ふんどしがほどかれ、助吉のいちもつが露わになった。すでにおっ立っている。冷たい手が軸と玉をまさぐっている。
鼻息が陰毛に触れたと思ったところで、ぬめっとした感触が亀頭を包み込んだ。
これは!
口取りだ!
和尚の話は本当だった!
生暖かいぬめりが亀頭を包み、蠢く。
りゅりゅるると舌が動き回る。
ちゅるんと唇から亀頭が押し出され、今度は裏筋を舌が這いだした。
いちもつに塗りたくられたからしを舐めとるように、縦横無尽に舌が這い回る。
暗いから本当に舌なのかはわからないが、たぶんそうだ。
からしをだいたい舐めとったのか、今度は再び亀頭に戻り、強く吸い出した。
九深一浅。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く。
深く。
浅く。そして、軸から玉から舐め回す。
そしてまた深く。
幾度かのルーティンの末に、助吉は気をやった。いちもつを包み込む天河の亡霊が、助吉の放った白濁液を飲み込んでいく。
高いような低いような声が耳元で聞こえる。返事はできない。
助吉は果てたまま、ついに気を失った。
助吉が寒さに震えて目覚めると、すでに空は白んじていて、お堂の床にだらしなくいちもつを放り出したまま大の字になっていた。
慌ててふんどしの中に収め、壁際でひっくり返っている平次を起こした。
「平さん起きてくれよ」
「ああ、助さんかい」
「出たな天河」
「え? 出た? 俺はいつのまにか眠っちまって覚えていない」
「本当に出たんだよ。すごかった」
「なにが」
「口取りだよ! 天河の口取り!」
「なんでえ、からしが効いたかね。くそう俺も塗ればよかった」
「へっへっへ」
すると突然平次が口を押さえてお堂の外へ走り出した。
はだしのまま走り抜け、壊れかけた手水鉢のところで、咳き込みながらばしゃばしゃと顔を洗っている。
「どうしたい平さんよ」
平次は喉をヒューヒュー鳴らしながら。
「ひどいじゃないか助さん。寝てる間にからしを食わせるなんて」
水でガラガラと口を洗いながら、ベッと地面に吐き出した。
助吉はいや、そんなことはしていないと思ったが、それ以上はなにも言えなかった。
それから、助吉は天河の好物だったという辛子稲荷を供えにきて、たびたび一人で廃寺に泊まっていったが、「からしなめ」はもう現れなかった。助吉が野盗に襲われて命を落とした住職の名を知るのは、それから三年後のことである。どっとはらい。
藤城孝輔 投稿者 | 2018-02-16 19:50
落語のような語り口で気軽に読める。「深く。深く」の部分も字面で見るだけでは単調だが、抑揚をつけて音読すると非常に面白くなるはずだ。そういう意味で、これは朗読されることを前提として書かれた作品であると言えるだろう。
「狐憑きとか……」のやり取りでオチが見えてしまったけれど、小咄としてきれいにまとまっているのであまり気にならなかった。今回の合評会参加作の中では最も優れた作品だと思う。五つ星!
退会したユーザー ゲスト | 2018-02-16 20:09
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大猫 投稿者 | 2018-02-17 00:29
落語「お菊の井戸」の翻案かと思いましたら、フェラする幽霊でしかもからし好き。面白いです。助さんばかりがいい思いしてあまりホラーな感じはありませんが、実は平次さんが代理でやってくれたと分かった時のぞーッと感がもっと出ていれば別の意味でのホラーになるかと思いました。枚数が足りないから仕方ないけど、幽霊との絡みがあったらいいな。
退会したユーザー ゲスト | 2018-02-21 21:03
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高橋文樹 編集長 | 2018-02-22 12:52
小噺として佳品だった。オチも良い。
ホラー要素があまりなく、エロというよりはギャグに倒しているのは作者にてらいがあったか。
Juan.B 編集者 | 2018-02-22 14:01
エロもホラーもむしろ爽やかに消費される、後味の良い作品だった。冒頭から欲望丸出しだが全然憎めない主人公らも良い。本当に良く出来ている。