ネコの名をなんと名づける初冬の夜

応募作品

亜山寿

小説

2,402文字

そのニュースを見たのは、猫テロリストとの奮闘のさなかだった。パリでテロが起こったのは、1Kにて「あたし」の猫飼い生活がスタートした一週間後だった。

 それは土曜の夕方だった。あたしは風呂上がりにリビング兼寝室、つまり自分のアパートの唯一の居室にてテレビを付けた。そこには『パリで爆発・発砲テロ』の字幕が。現場はレストランや劇場だという。
 不穏だな。心の内でつぶやき、タオルを玄関の洗濯機に投げ、一人掛けソファに座った。
「冷た!やられた」
 テーブルの上のペットボトルが倒れている。尻をどけた所には染みが。
「お前―」
 ベッドの脇に丸まった茶色い縞の毛玉を睨む。しかしすぐに内省が起こる。キャップきっちり締めないとな自分、と。たった一週間の間に随分オトナな思考を獲得したもんだと我ながら感心だ。
「なあ、テロ!」
 毛玉に同意を求めると、奴……ネコ科ネコ属イエネコの“テロ”はささっとあたしの足元へ駆け寄り、その茶毛を擦り付けてくる。おかわりの要求。こいつにおあずけすると刃傷沙汰に発展することをこの一週間で学習したあたしは『こねこ用』と印刷されたピンクのフードに手を掛ける。
「あっちもこっちもテロかあ」
 袋の中身を開けながら呟いて、皿にかぶりつく猫を見下ろす。
「こいつのテロはちょっと落ち着いけど。今日の損害は少量の水こぼしのみか」
 テロの毛を撫でながらあたしは先週末のあの日からの事を思い返していた。

*

「どこでそんなきったなくなってきたのよ」
 野良猫に餌をあげちゃいけない、それは知ってる。だから眺めるだけに留めてた、昨日までは。でもこの日、ついつい、やってしまったのだ、夕飯用に買った鮭にぎりを。どんな冒険をしてきたのか、こいつは砂にまみれて尻尾と後ろ脚を濡らしてフラついてたから。今日だけだぞ、と諭しながら。だけど猫に言葉は分からないし論理も通じない。こいつ、もともと人間慣れしてるとは思ってたけど……
「ついてくんな」
 お決まりのこのコース。どこかで見たデジャヴ。そうだ小学生の頃妹が同じ事態を招いて親に怒られてたっけ、多分それ。
振り切って玄関に入ったあたしはドアの外の鳴き声を聞きながら心の中で呼びかけた。ここはペット禁止だ、飼えないぞ、と。入居の時はそんな事気に留めてなかったけど……ん?てことは。もしかしたら。
 あたしは素早くスマホを手に取り、アパート名とこの土地の名を入力し検索をかけた。よし入居者募集出てる。備考欄備考欄……なに、ペット相談可だと?
翌朝管理会社に電話をかけ、夕方には大家からのペット飼育許可を得ることができた。敷金上乗せと家賃に毎月三千円プラスという条件のもと。古くて借り手がつかないから規則をユルくしているのだろうな。

「猫飼いの最低限マストアイテムってなんですか?」
 隣のデスクの猫飼い女性社員に意気揚々と質問。日常会話よりワントーン、仕事の会話よりツートーン高いあたしの声に先輩社員はやや戸惑っていたが、喜んで教えてくれた。
 最低限アイテムは、餌、皿、トイレと砂、爪とぎ。動物病院での健康診断は、今度の土日にやることにする。先輩は飼う猫の色や柄、大きさに興味を持ち、撮影してきてくれと要望してきた。了解だ。

「このテロリストめ」
 こいつを家に上げた夜から事は始まった。
黒いハエみたいな虫が無数にベッドに散ってる。いや。違う、これはここにある破れた枕から流出したそば殻。
「お前の爪とぎはこーれ」
 猫を片手で抱え爪とぎの上に置いた。ふう、と一息ついたあたしはすぐにまた仰天して叫んでいた。やったな。猫の尻の下、段ボール製の爪とぎにどんどん染みが広がっていく。
「お前のトイレはこーこ」
 今度は両手で掴みトイレの砂の上に乗せる。
 爪とぎをケースから外しビニール袋に入れ、床を拭きながらふと閃いた。
「よしお前の名前はテロだ、決まり!」
 翌日も、テロは部屋で全力疾走して皿を倒しドライフードを部屋中にばら撒き、あたし用のコンビニ弁当を隙を見て食い荒らした。それらを片付けながらあたしはハッと思い出した。
『オモチャ買った?』
 隣の席の先輩の言葉。あたしはテロの事後処理に追われテーブルに放置していた猫じゃらしをさっと手に取る。と、先端の羽根に付いている鈴がリンとなる。
 構えた。テロが息を潜め構えた。目が30パーセント増しで大きくなってる。やる気だ。
「しゃーっ」
 あたしは擬音を発しながら床の上に羽根を滑らせた。テロはハンターになった。速い。身のこなしも、手も速い。かぶり付く。鋭い牙でかぶり付く。背景がサバンナに見えた。
 死闘の後、初冬なのに汗ばんだあたしはシャワーを浴びに行き、風呂から出るとテロは伸びて眠っていた。やっとこ静かな夜が訪れそうだ。週末は健康診断だぞ、暴れるなよ。なんて無理か。しゃあない。

*

「なんか現場騒然としてるな」
 あたしはいつの間にかテレビを注視していた。そこに映る夜の街は無数の青い回転灯に照らされている。走り回るは数えきれないレスキュー隊員や警官。進入禁止のテープ、多分その手前で回されてるこのカメラ……緊迫。画面が切り替わり日本の官房長官まで出てくる。
「本気でやばいやつだ」
 あたしは稀に仕事帰りに映画を見たりする。先週も行った。例えばその鑑賞中に真っ暗な館内で発砲が起こったら?逃げ惑う、やられる、終わる。いやその前に悶絶し、のちに絶望的に終了する。そういう人生の終わりが、一晩で一つの街で百以上。

 あたしは勢いよく手を伸ばし、威勢よく飯を食う茶トラの毛をくしゃくしゃにした。
「お前の名前、取り消し!変更する、やっぱなし!」
 そして新たに命名しよう。
 ……
「トラ!」
 しかし即座に自分の命名に首を振った。いや、これじゃとっても被りそうだし。よし……
「ちゃ!」
 うがうが、と餌がのどにつかえたような音を鳴らす、この縞毛玉。いや、
「ちゃだ。お前は、ちゃ。な、ちゃ!」
 “ちゃ”の喉がゴロゴロいいだした。

2017年8月15日公開

© 2017 亜山寿

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合評会2017年8月 純文学

"ネコの名をなんと名づける初冬の夜"へのコメント 16

  • 投稿者 | 2017-08-16 22:49

    猫を飼い始める時の描写がとても楽しい短編ですね。最後に名前を変えるあたりが今の日本人の感覚っぽくていいですね。

    • 投稿者 | 2017-08-18 11:21

      コメントありがとうございます!
      そうです、書く時はみんなの感覚に受け入れられるかどうかも意識しているかも知れません。ベタになってしまうかもという危険と隣合わせなのですが。

      著者
  • 投稿者 | 2017-08-18 20:07

    私の実家は動物医療関係の仕事をしていて、そこは、破滅している家庭環境です。
    それはさておき、猫飼いの破滅的あるあるが上手く表現されていると思いました。
    実際にこう言ったケース、ありますよ。

    • 投稿者 | 2017-08-18 23:13

      コメントありがとうございます。猫を飼い始めてからのメンタル変化はある意味「悟りへの道」ですね。悟りと破滅は背中合わせなのかも知れません。

      著者
  • 投稿者 | 2017-08-19 15:09

    作中でのテーマの扱いについては、冒頭で主人公がテロのニュースを自宅で目にするというパターンは本作を除いても今回の合評会作品で既に二作出ており、独創性に著しく欠けている。それぞれの作者が自己の世界の外側にどうコミットするのか楽しみにしていたが、発想がこうも均一的になってしまったのは残念だ。

    テロの深刻な事態をニュースで目にした主人公が飼い猫の名前を変える結末について、私は安易な自己欺瞞だと感じた。名前を変えることでいったい何が変わるのか? 事件を受けてそそくさと無難な名前に変えようとしたのはテロについて真摯に考えるようになったというよりは、日常に突然起こる暴力と死から目を背けているだけのように見える。私はただ嫌悪感を持っただけだった。

    • 投稿者 | 2017-08-19 17:37

      おっしゃる通り考え浅い安易なその場の感情による行為ですね。しかし私自身が正しさや論理性より月並みな情で動いてしまう部分もだいぶありまして。なのでこういう登場人物に私は親しみを抱く時はよくあります。のでこう書きました。

      著者
  • 投稿者 | 2017-08-19 17:58

    猫とのほのぼのとしたストーリー。猫好きにはたまらない作風。ただテロという要素が取って付けたようであり、作者様の作為を直接見ているようで必然性を感じませんでした。「あたし」がどんな人間なのかも心が優しいというだけで、他にはわからなかったです。

    • 投稿者 | 2017-08-19 18:21

      鋭いご指摘。実を言うと不注意で原稿用紙5〜10枚なのを“5枚”と勘違いしていてがんばって短くしてました。あとそれを抜かしても、シンプルさや読みやすさ、分かりやすさを追求し過ぎたのかも知れません。掘ると逆に敬遠されるかと思ってしまいまして。
      しかし色んな方の色んな作品へのレビューを読んで考えが変わってきてます。

      著者
  • 投稿者 | 2017-08-22 03:14

    他にも主人公とテロの関わりが薄く感じられる作品はあるが、これは特に関わりが薄い作品だった。本当にパリでテロがあった、だけと言うか。ネコに罪はないと言いたいが、俺としてはもう少し能動さのある話を見たかった。ネコに優しいのは良い。

  • 投稿者 | 2017-08-22 23:37

    確かにテロへの、というか世界情勢や社会現象への意識の低さが現れているかもしれません。ある意味リアルな日本の庶民感覚です。それは自分の書いていきたいテーマの一つではあるのですが、しかしもう少し知識や思考を高めた上であえての庶民感覚が描けたらよいなと思います。

    著者
  • 投稿者 | 2017-08-24 13:20

    飼いたての猫の世話に奮闘するという、ありふれた日常を描いた作品であるが、テロのニュースを目にするところから物語が始まる。

    私はこれが伏線となり、その後の回想シーンにおいて、テロに対する何かしらの関わりが語られるものと期待したのだが、実際には猫に関することばかりで、少しもったいなさを感じてしまった。

    この作品におけるテロとの関連は、飼い猫の名前の由縁くらいであるが、命名の方法同様に、もう一つ捻りがほしかった。

    • 投稿者 | 2017-08-24 21:34

      書いたあと忘れてたのですが、プロット組んだ時点では「猫の他愛もない家庭内テロ」と「パリの本気で悪いテロ」の並列・対比、みたいなアイディアだった気がします。しかし皆さんの反応を見ると表現技術が足りなくて表せてなかったようです。

      著者
  • 編集者 | 2017-08-24 14:15

    深刻な事態に深刻ぶらないという深刻さにリアリティを感じる。それでいて、対岸の火事の延焼が少しずつ迫りつつあるという不穏さを漂わせているラストもよい。技術的にも、軽妙な文体なのに上滑りも空回りもせず完走しているの点はお見事。

    • 投稿者 | 2017-08-24 21:28

      深刻な事態に深刻ぶらない、迫りつつある不穏さ、私自身も言語化できていなかった「表したかったこと」を射当てられた感じです。すっきりしました。ありがとうございます。

      著者
  • 編集長 | 2017-08-24 18:11

    猫がテロという設定はなかなか秀逸だったと思ったのだが、それをどうパリと結びつけるかどうかが「ニュースで見た」だけだったので、ちょっと物足りない。日常生活の描写はこなれていて、読みやすい。

    • 投稿者 | 2017-08-24 21:30

      パリ不足でした。
      読みやすさは重要視しています。ありがとうございます。

      著者
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