ブス・マリアグラツィアはとにかく頭が良かった。ド田舎の小学校では群を抜いて優秀で、周りの者どもが自分と同種の言語を話しているとは、ついに信じられなかったほどである。中学のときに入った小さな塾ではブスを筆頭とする成績優秀者のために特別クラスが作られたが、その中でもブスは一度も、誰の後塵を拝することもなかった。「ブスちゃんすごい!」「天才!」「東大!」「ハーバード!」「オックスフォード!」「マサチューセッツ!」周りの小物どもはブスに挑みかかる気概ももたずにその強靭な知性をほめそやした。ブスは自分のことを、世界のどの大学にでも入れる才女だと確信していた。まったく本気を出していない状態で他をこのように圧倒していたのだから、幼いブスが自分よりも賢い人間は世界に存在しないと考えたとしても無理はなかろう。中学を出て進学校として有名な高校に入り、ブスははじめて定期テストで二位となった。確かにショックだったが、一位のエタ・ルチアーノはバケモノじみていた。もはや現実に生きている人間ではなかった。エタはいつも涎と鼻水を垂らしながら勉強していてひどく汚らしかったし、コミュニケーション能力が乏しいというよりも皆無であったため、今後社会で生き抜いていけるとは誰にも思えなかった。みながエタとの交信を試みてはあえなく失敗していた。進学校の中でその圧倒的成績は一定程度尊敬されていたが、そのうちに誰からも畏れられ、また誰からも話しかけられない「神がかり」のような存在となった。エタは必ず一日に一回、恐らくはズボンのポケットの内側に開けたのだろう穴から性器をいじくり、授業中に射精した。それは誰の目にもあきらかな仕方でなされ、男子の性的側面に何の興味もなかったブスもこれには参った。単純に臭かったからである。ブスはエタに、授業中に射精するなと注意した。しかし、エタは虚空をみつめながら梵語のような言葉を唱えるのみで、一向に射精をやめなかった。高校二年生になり、ブスは文系、エタは理系とコースが分かれたが、ブスは共通の科目で一度でもいいからエタを倒そうと必死になって勉強した。ブスはそれまでに経験したことのない上を目指す感覚に酔いしれながら、一心不乱に努力を重ねた。しかし三年間、すべての科目においてエタは一位だった。ブスはエタの影を踏むことさえできなかったのである。エタは東大理Ⅲに入り、ブスは京大法学部に入った。気狂いの如く勉強に励む必要を失ったブスは早速、男もすなるサークル活動をしてみむとしてした。ブスの高校の全体を圧する偏差値至上主義は、大学に入り距離をおいて見直してみれば、人間をじくじくと蝕む異様に歪んだ価値観であると思われた。中にいるあいだ、何の疑問もなく人間の価値はそのまま偏差値に換算されると考えていたことが、どれほど恐ろしい思考停止だったのかということを、ブスはサークルの新歓をまわる中で学んだ。新入生としてながめるサークル活動はどれも光に満ちていた。アルコールの適度に入った先輩たちの、他者との障壁を失ったかのような百パーセントの笑顔は、ブスのこれまでにしてきたどの表情よりも素敵だとブスは思った。ブスの高校ではついぞみかけることのなかったイケてるメンズ等も数多くみられ、胸がときめいた。後に、ブスがときめいたイケてるメンズはすべて他大生であったことがあきらかになるが、それは些事である。サークル最高。サークルは人生のピーク。ブスはそう思った。ノーサークル・ノーライフ。サークル・オア・ダイ。スメルズ・ライク・ティーンスピリット。ブスはまことにそのように思った。サークルへのあこがれに比べ、学問に対する興味はほとんどわき起こらなかった。さらにいえば大学卒業後の自分の人生にも興味がなかった。日夜くたくたになるまで働いてつねに死んだ眼をしていた両親を間近でみてきたこともあり、ブスは大学卒業以降の人生に希望がもてなかったのである。人生最大のきらめきは大学時代にある、そしてそれは充実したサークル活動によってのみ生まれるものだ……そんな考えがブスを少しずつ支配していった。ブスは新歓をまわりにまわった結果、「ユニコーン研究会」への所属を決める。ユニコーン研究会の活動内容の基本は、週末に京都競馬場(まれに阪神競馬場)へおもむき、それぞれの熱い予想を戦わせながら、競走馬の中にユニコーンがまぎれこんでいないかどうか観察するというものである。ブスはこのえもいわれぬ虚無感が人生に通じると思ったし、また何より男九名、女三名と男子の割合が高く、恋愛関係を生じさせるのにうってつけだと考えた。それに、イケてるメンズ(他大生)も数名所属していた。ブスはサークル活動の中で競馬を学び、複雑かつ壮大な予想理論を組み立てた。それは評判となって着実な金銭的利益も生み出したが、いつまでたっても女の中でブスだけが誰とも付き合えず、また一夜限りの過ち的なよろこびも味わえなかった。女AはイケてるメンズAと付き合い、女BはイケてるメンズBと付き合い、「昨日実はさ、○○(随時、彼氏とは別のサークルメンバー名が入る)とやっちゃったんだよね」みたいなことをたまにおっしゃるのである。ブスは処女だった。ブスは白く輝く純潔の処女だった。だが、ユニコーン研究会において、その処女膜を破りたいという男はあらわれなかった。
二回生になったある日、女子としては四人目となるダレノガレ朱美の加入が決まった。ダレノガレ朱美は一流モデルさながらの美貌を駆使して、イケてるメンズCと即座に交際をはじめた。これにてユニコーン研究会のイケてるメンズは完売、残りの六名は容貌もキャラも冴えないモブ的なやつらであった。しかし、ブスはその六名のうちの誰にでも処女を捧げる用意があった。恋愛関係をつくれない自分への焦りがブスを追い詰めた。ブスの競馬理論は、人気別の勝率、馬体重の増減、過去レースの上がり三ハロンの平均タイム、距離別・競馬場別成績、右回り・左回りの成績、追い切りタイム、輸送距離、血統からみる馬場適性・距離適性、出走馬の脚質による展開予想、鞍上の信頼度等を組み合わせたアルゴリズムによって「連対率」を算出し、さらに当日のパドックで複数のチェックポイントを調べ上げるもので、精度を上げるための準備が面倒ではあるものの確実な成果を残し続けていたのだが、ある日、ダレノガレ朱美が「これの項目埋めていくのだるい」といい出すと、みんな一斉に「確かに」などといい出した。さらに、ダレノガレ朱美が「あたし競馬ってロマンが大事だと思うんですよ」といい出すと、みんな一斉に「それな!」などと叫び出したのである。つまりそれは、特定の馬への思い入れを徹底的に排除するブスの競馬理論を破棄することを意味していた。ブスは「その買い方だと回収率は還元率(馬券種類によって異なるが七十~八十パーセント)に近付いていくだけだよ、単発では当たりが出ても長くやれば絶対に損するよ」と主張したが、焼け石に水。ユニコーン研究会の理論的支柱としてのポジションを失ったブスは、自分のみ地道に儲けを出しながら窓際社員の如くみんなについていくだけだった。飲み会を重ねる中で、ダレノガレ朱美は男性陣にねっとりと絡みつくようなボディタッチを繰り返し、ブスに比べればはるかに中途半端なかれらの競馬知識を称賛して承認欲求を満たしてやり、また「私って感じやすくて、すぐイっちゃうんですよ」「潮吹いちゃうこともあって」等々の下ネタを定期的に炸裂させ、全員を台風さながらの勢いで虜にしていった。いつの間にか、イケてるメンズA・Bはダレノガレ朱美とやりまくっていた。それに気が付いた女A・Bはサークルの例会で猛抗議。「どうゆうこと! 説明してよ!」しかし、ダレノガレ朱美大好き芸人と化していたイケてるメンズA・Bは「しょうゆうこと☆」などといってまともに取り合わない。女A・Bは激おこでサークルを去り、ブスはほくそ笑んだ。これで女は私とダレノガレ朱美だけ。私にも少しは注目が集まるかもしれないわ。しかし、注目はすべてダレノガレ朱美のものだった。冴えない男六名も結局ダレノガレ朱美とセックス。そのうち女A・Bの遊び相手からも漏れていた下位三名は、ダレノガレ朱美で脱童したときよろこびのあまりむせび泣いたという。ブスは誰にも振り向いてもらえなかった。性に奔放なダレノガレ朱美によりユニコーン研究会は全員が穴兄弟となったが、ブスの穴はどこにも通じない、寂寞をきわめるブラックホールであった。ブスは、ダレノガレ朱美の彼氏であるイケてるメンズCはこの状況をどう思っているのか、ひっそりと聞いてみた。「恋人が他の男の子と、そういうことしてるのってどうなの?」ブスはイケてるメンズCの悩みを聞き出して、さらにはダレノガレ朱美と別れさせ、自分の方へ目を向けてもらおうと思っていたのである。だが、イケてるメンズCはなんと、「いや、おれ3Pとか4Pするの好きで、ちょうどいいっていうか。あいつらに撮影とかもしてもらってるし」。ブスの理解の範疇をはるかに超えていくユニコーン研究会。そのうちに、ダレノガレ朱美が誰とのセックスを一番気持ち良いと思うか、誰のテクで潮を吹き、誰ではまだ吹いたことがないか、等々のもともと冗談半分の議論が白熱するあまり、ユニコーン研究会には険悪なムードが広がっていった。イケてるメンズAは、顔は一番かっこいいとされるが潮を吹かせたことがない。ダレノガレ朱美はイケてるメンズAのいないところで、「あいつ、セックス前に水2リットルぐらいもってきて、飲めっていうんだよね」。潮を吹かせたことのある男どもは大笑いだったが、そうでない男は乾いた笑いである。「実はあいつではイッたことない」「前戯がしつこい」「話が面白くない」「胸毛めっちゃはえてる」などなど、ダレノガレ朱美は当人のいない場で、順番に悪口をいっていく。みながみな疑心暗鬼となり、ユニコーン研究会は当初の明るい雰囲気を失っていき、例会も悪口を言われたくないがための強制的な集合にすぎなくなっていった。しかし、ダレノガレ朱美を悪くいう者はない。みんな朱美ちゃんに夢中。朱美ちゃんの一番になりたい。奔放なダレノガレ朱美に疲れて、ブスの方に寄ってくる男もあらわれるんじゃないか、とブスは期待したが、誰も寄ってこなかった。ブスは泣きたい気持ちで、ダレノガレ朱美(他大生)を京大正門横のカフェレストラン「カンフォーラ」に呼び出した。一度にべもなく断られたが、「総長カレー」をおごるというと事態は一変、笑顔でホイホイやってきた。総長カレーに目がないダレノガレ朱美である。ブスはダレノガレ朱美を非難するために呼んだのではない。
「朱美ちゃんって、なんでそんなにもてるの」。
それはブスの魂の叫びであった。誰からも身体を求められない寂しさは、ブスを発狂寸前にまで追い込んでいた。「いや、なんかフツーにしてたら寄ってくる」。ダレノガレ朱美は、ブスにはまったく興味がなさそうにカレーをかきこんでいる。「私、フツーにしてても誰も寄ってこないんだよ! そんなに私ってだめかな? かわいくない?」するとダレノガレ朱美は鼻からカレーを噴き出して咳き込んだ。鼻血のようなそれを拭き取り、咳が落ち着いてから、「ブスちゃん、自分がかわいくないってわかってなかったの?」「え?」「ブスちゃんの顔じゃ、誰もちんこ勃たないよ。あたしが男だったら付き合うのとか絶対無理。みんなに馬鹿にされるもん」「そうなのかな」「そうだっての。あたしブスちゃんの顔に生まれてたら、たぶん五歳ぐらいで絶望して死んでる。アッハハハ!」ブスはショックのあまり血の気がひいて、身体じゅうが震えるのを感じた。「まあ、頭いいんだし金稼いで、整形すりゃいいんじゃない?」ダレノガレ朱美はカレーをぺろりと平らげて、ブスを振り返りもせずカンフォーラを飛び出した。ブスはダレノガレ朱美を憎み、世界中の美女を憎んだ。部屋に帰り、鏡に映し出される自分の姿をみて怒りがおさまらず、叩き割った。破片に切り裂かれた拳から血が噴き出したが、手当する気にもならなかった。ブスはユニコーン研究会にそれから一度も顔を出さなかったが、誰もブスに「どうしたの」「最近来ないね」などと声をかけることはなかった。ブスのサークル活動は処女膜も閉じたまま、最悪の結果で幕を閉じた。
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