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月の背中 計画

第二逃 計画

月の背中・A面(第2話)

東亰チキン

 チャンスは思いがけないかたちでやってきた。これに乗らない手はない――奴隷から自由の身へ。あいつらを殺さない代わりに普通の暮らしを手に入れる。悪くない気分だ。

タグ: #ハードボイルド #ロードムービー #一人称 #吉野家 #小学生 #散文 #昭和

小説

25,523文字

 

迷い

 
 
 夜の闇を加速させていく虫の声に包まれておれたちは歩いていた。松本はおれから二、三メートル離れた前にいる。
 
 電柱の近くへ差しかかった赤い後ろ姿を防犯灯の光が闇に浮かびあげた。もぎたてのりんごのような色をしていた背中が今はミルクチョコレートのそれになっている。
 
 黙りこんでいる松本。おれも同じだった。気まずい空気でできた壁の向こうに声をかけたかったが、おれの勇気はその壁をぶち破れないでいた。ランドセルの金具が立てる音を聞きながらやりすぎたことを反省する。
 
 さっきは――松本を叩きのめしているときはひとりでかっぱらうことも考えた。だが、よくよく思えばおれの頭と運だけですべてをうまくやりきれるはずがなかった。学校へどう忍びこんで、どこへ向かって逃げて、隠れて、やり過ごすのか。そういうことをこの脳みそは一ミリも思いつけない。今だって頭のなかにあるのは奴隷の暮らしから抜けだすことと、あとは今さら気にしてもしかたがない聖香のことだけだ。
 
 もちろん、この計画に聖香を巻きこもうとか、そんなことを考えているわけじゃない。悪いことと聖香は水と油の関係だ。泥棒――いや、家出の『い』の字でも口にしたら最後、イ*011モ欽ビンタの二の舞になることはわかっている。明日を過ぎれば二度と会えなくなるのに、そういう終わり方だけはしたくない。
 
 ただ、叶うものならおしまいぐらいは普通に口を利きたい。別にさよならなんかいえなくてもいい。おはよう、元気、また明日。たったそれだけでかまわない。聖香と言葉を交わすことができれば、おれはそいつを思いでにこの街を出ていくことができる。知らない街で生きていくことができる。そしていつの日か聖香を忘れることができる。
 
 考えごとをしている間にずいぶんと歩いていた。松本は相変わらずの位置にいる。口を開くそぶり・・・はおろか、振り返ることすらしてこない。それぞれの場所に向かって別れるところまで、あと五十メートルもなかった。
 
 計画をふたりでやると決めた以上、このまま別れるのはまずい。家を出るまでまだ日があるなら今日は口を利かずにさよならしてもいいが、計画の実行は明日だ。そいつを成功させるには特急でいつもどおり――つまり、仲なおりをする必要がある。せっかくのチャンスをここで棒に振るわけにはいかない。
 
 丁字路があと少しのところまで迫ってきていた。松本はそこを右へ、おれは左へ曲がる。
 
「松――」
 
 蚊の鳴くような声。おれは静かに息を吸いこみ、へその下へ力を溜めこんだ。
 
「さっきは……」
 
 今度はやたらと高い声が出た。貼りついた感じの喉に大急ぎで唾を流しこみ、続きをいう。
 
「その……殴ったりして悪かった」
「ボクのほうこそ笑ったりしてごめん」
 
 あっけらかんと松本がいう。拍子抜けしたおれはペンギンガムを一枚、泥のついた顔の前へ差しだした。
 
「ガム、好きじゃないから」
 
 小蝿でも払うような手つきで遠慮されたガム。引っこめたそいつを自分の口へ放りこむ。
 
 松本はふてくされていた。怒っていた。当たり前だ。自分をぶちのめしてきた相手を五分かそこらで許せる馬鹿なんていない。特急コースの仲なおりはちょっと無理かもしれなかった。
 
〈うらぎるな。こいつぜってーうらぎるな〉
 
 松本はそんなやつじゃない――自信満々にいいきるおれと、そうじゃないおれがいた。
 
 こんなことで裏切るぐらいなら、はじめから誘ってくるわけがない=自信満々側のおれのいい分。対して、そうじゃないほうの意見は具体的で、しかもいくつもあった。
 
 いい分、その一/松本が計画からおれを外して、ほかの誰かと手を組んだらどうする?
 
 その二/鍵がいつもの場所になかった。だから中止だとうそをつかれたらどうする?
 
 その三/殴られた腹いせにすべてをおれのせいにして学校へちくる・・・つもりだったら……どうするもこうするもなかった。
 
――やっぱり今夜のうちにやっちまおう。
 
 人を信用するのが苦手なおれは、ひとりで金をかっぱらうことをもう一度考えた。松本と別れた足でそのまま学校へ行き、窓ガラスを破り、例の鍵を使って事務室へ忍びこめば、そこに眠っている札束はすべておれのもの。みんなが明日持っていく分を差っ引いたとしても、今夜独り占めした場合のほうが手にする額は多いだろう。ついでをいえばハツのうさ晴らしにつきあわなくても済む。後のことはおいおい考えていけばいい。
 
〈そしておまえもうらぎりもの〉
 
 黙れ、化けもの。ガムもろとも噛み潰すぞ――心のなかに向かっていった。
 
「そしたら、じゃあ……明日、学校でな」
「うん、恨みっこなしでね」
 
 本当にそう思っているのかどうかわからない口ぶりだったが、今そのあたりを探ればやぶ蛇になる。おれたちはさっきと同じように黙って歩き、丁字路の止まれで背を向けあった。
 
 首の後ろで感じていた気配が遠のいていくにしたがってふくらんでいく不安。松本はおれを裏切るつもりなのか。騙すつもりなのか。売るつもりなのか。そんなものはもしかすると全部おれの思いこみなんじゃないのか。松本はやらないといってるわけじゃない。おれと組まないともいっていない。恨みっこなしというのは、計画の成功を松本なりに考えた返事なんじゃないのか。
 
〝沢村ー!〟
 
 すっとんきょうな声が背中に飛んでくる。振り向くと、松本がおれから数えて四つめの電柱の脇=防犯灯の光の輪のなかでランドセルをぶんまわしていた。おれになにか話すことでも出てきたのか――いやな予感。
 
「なんだよ!」
 
 チョコレート色のジャンバーに向かって叫び返した――なんでもないふうを装って。
 
〝空手とかやってんのかー!〟
 
 習いごとをさせてもらえる家なんかに生まれていたら、かっぱらいも家出もおれの人生には出てこない。こっちの心配とはまるで関係ない質問に胸騒ぎを覚えながら答えを返す。
 
「そんなもん……やったことねーよ!」
〝だって、ケンカ強つええじゃーん〟
 
 さっきのことをいってるのなら、あれは松本が弱すぎた。チビだからしかたがないのかもしれないが、もっと体を鍛えて技を磨かないと、この先苦労することは目に見えている。おれは自分の心配ごとを一旦頭の隅へ追いやり、ケンカの質問につきあってやった。
 
「頭が悪いからな! ケンカぐらい強くなくちゃどうしようもない!」
〝ボクも一度でいいからケンカ勝ちてー〟
 
 ケンカをすれば誰もがそう思う。今よりガキの頃はおれもそこに強くこだわっていた。
 
「今度からは急所を狙え!」
〝急所ー?〟
「そうだ! そこをしつこく攻めるんだ! 相手が気を失うまでな!」
 
 単純な勝ち負けじゃなかった。ケンカの本当の意味は相手の心を壊せるかどうかだと今のおれは思っている。
 
〝そんなことできないよー!〟
「それじゃケンカに勝てないぞ!」
 
 自分が痛い思いをする前に、たくさんの痛みを相手に与えて動けなくする。従わせるためにもっと痛みを加える。二度と歯向かわせないために相手が味わったことのない痛みを上乗せしてやる。暴力はそういう使い方をするものだと、おれはきちがいどもからいやというほど学んできている。ただ、それを今日、松本にするべきじゃなかった。
 
〝ボクの計画に乗ってくれてありがとー!〟
 
 ガッツポーズをする松本。暗すぎる道と明るすぎる防犯灯のせいで、ひとり芝居をしている役者みたいにそいつは見えた。なかなか様になっている。おれも同じポーズをして返した。そうしてお互いが見えなくなるまで、おれたちは後ろ向きに歩いていった。
 
 最初から疑ってかかってどうする。お互いを信じようといいだしたのは自分じゃねえか――二分の一のおれがいう。
 
 信じてやることにした。なにがあってもおれは松本あいつを裏切らない。そうすれば松本もきっとおれのことを裏切らない。そう心に決めると不思議と力が湧いてきた。これを友情と呼ぶのかどうかはわからない。ただ、そんなふうに思えたことがなんとなく、嬉しかった。
 

© 2017 東亰チキン ( 2017年1月7日公開 )

作品集『月の背中・A面』第2話 (全12話)

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