“突撃!潜入ルポ”(貴方が知らないかもしれない世界)
皆さん、こんばんは。秋山カルマです。
本誌の創刊五周年を祝して始まったこの企画も、(大変好評につき)今回で、第三回を迎えました。
さて今回の“突撃!潜入ルポ”は・・・と、早速本文にいきたいところなのですが、まず始めに、訃報です。
当企画の第一回で取材させていただいた、国内某所に存在する地下ハーレムの所有者、中村氏(仮名)が、先日急性すい炎のため他界されました。
温厚で、笑顔を絶やさない、とても素敵な老紳士でした。
「人身売買の自由化こそが、世界経済活性化の第一歩である」という氏の名言は、多くの人に語り継がれてゆくことでしょう。
心からご冥福をお祈りします。
そして、意外にもあの環境を満喫し、中村氏を心から慕っていたあの少女達にも、命運を祈りたいと思います。
出来れば、当企画の番外編として、あの少女達の今後についての取材を試みたいとも考えております。お楽しみに。
さて、“突撃!潜入ルポ”第三回目の今回は、ある田舎町の割烹料理屋を取材してきました。もちろん、通常の料理屋では御座いません。この店の店主から直接取材依頼があったのは一月程前。
信じられないようなお話で、取材の価値は大いに有るものの、潔癖症気味の私にとっては、絶対に検証したくない類のお話でした。
しかし、翌日会議にかけたところ、取材実施が決定。大恩有る編集長に肩を叩かれた私は、渋々現地へ出発したのでした。
当料理屋の最寄り駅に到着したのは、午後三時前。
プラットホームに降り立つと、私は大きく息を吸って土地の空気を味わいました。田舎のベッドタウン特有の、キレの有る澄んだ空気です。
この駅は、二つのプラットホームが二階部分に設置されている構造で、北側のプラットホームには、両サイドに座れるタイプの三人掛けベンチが三つ、タバコ/弁当/おにぎり/サンドウィッチ/酒/清涼飲料水/雑誌などを売っている小さな売店、冷暖房完備の待合室、そしてホームの一番東側には、小さな灰皿がポツンと置かれた喫煙場所が有りました。しかし、南側のプラットホームには、ベンチが三つ、清涼飲料水の自販機とタバコの自販機が一つづつ有るのみで、喫煙場所も売店も有りません。
ちなみに私が電車を降りたのは、北側のホームで、線路を挟んだ向かい側には、接骨院や歯科医や不動産屋の看板が並び、その向こうに小さなタクシー乗り場を見下ろせました。
プラットホームから階段で一階に下りると(エレベーターも設置されていました)、一階は50メートル程の南北自由通路構造になっており、北側と南側の両側に自動改札機が設けられ、北側のみにトイレが設置されていました。トイレは女性/男性/障害者用に分かれていて、男子トイレの大便器は全て水洗の和式でした。
さて、このコーナー恒例の“過剰な最寄り駅描写”の為のリサーチを終えた私は、先方に指定された南側の改札を出ました。
駅前には、古びたパチンコ屋、営業しているのかどうか判断のつかない喫茶店、○○饅頭という暖簾のかかった昭和テイストの土産物屋等が並び、土産物屋の隣には、聞いた事のない名前のコンビニエンスストアが場違いな色彩を放っています。
雲一つ無い晴天の下、いつも私が目印に使用している緑色の傘を片手に持ちながら、コビニエンスストアの前に屯している女子高生を視姦する事約十分、パチンコ屋の駐車場から、白のハイエースが現れ、私の前に停車しました。
「君、秋山君か?」
助手席のパワーウィンドウが開き、頭に白いタオルを巻いたサングラスの男が私に尋ねました。
サングラスのせいで表情は分かりませんが、その声色からは、とても気さくな印象を受けました。
「はい、そうです。貴方は、山崎さん(仮名)ですか?」と私が応じると、男は「そうそう。スマンな遅なって。乗って乗って。開いてるし」と助手席を指しました。
山崎さんに誘われるまま助手席に乗り込み「どうも、この度はお忙しい中・・・」と彼に名刺を手渡そうとすると、彼は片手でそれを制し、車を急発進させました。
「スマンスマン。今の道な、逆向きの一通やねん」
一つ目の角を右に曲がると、山崎さんは車のスピードを緩め、隣で固まっていた私に笑顔で言いました。
「あぁ、なるほど」と一つ息を吐いた私が「では、改めまして・・・」と再度名刺を差し出すと、山崎さんは大げさに顔を顰めて首を振りました。
「ええよええよ、名刺とか。貰ってもフィルターにするくらいしか使い道無いし」
「はぁ。ただ、僕の連絡先とか・・・」
「大丈夫大丈夫」
“フィルター?”“大丈夫?”と思いながら
「はぁ、さようですか・・・」と間抜けな応答をし、名刺をポケットに仕舞った私は、改めて彼の容姿を直視して、一瞬顔を顰めました。
遠くに見える山並みは美しく紅葉しているというのに、山崎さんは、半袖の作務衣の上下という季節外れな軽装で、その作務衣から覗く逞しい両腕には、トライバルの刺青が無数に刻み込まれていました。
細身で貧弱な身体をパーカーとダウンベストに包んでいた私は、服の上からネックレストップ(木製のお札)を握りしめました。
何気に後部座席を見ると、そこには金属製の長い棒にグリップと挟みの様な物が付いた器具や、大きめの補虫網、側面に丸い穴の開いた四角い箱、等が乱雑に転がっています。
それらの見慣れない器具から派生する不気味なイメッジと刺青の相乗効果によって、極度の緊張に陥った私は、車外を眺めるフリをして、一つ、大きな欠伸を出しました。
「で、秋山君は、此処来んの初めてか?」
山崎さんは、タバコに火を点けながら尋ねました。
「はい。葛城(仮名)には一回旅行で行きましたけど」
私はこの町から車で三十分程離れた温泉街の名をあげました。
「葛城な。温泉好きなんやったら、葛城もええけど、此処の温泉も結構ええで。三年前に開湯したばっかりやから、まだあんまり知られてない分、混む事もそない無いし」
「へぇ。まだ新しいんですね」
「せやな。まあ、最近は村興し的に結構宣伝もしてるし、だんだん観光客も増えてきてるみたいやけどな」
寂れた商店が立ち並ぶメインストリート(?)を抜けると、目前に大河が現れました。
そのまま車は直進。橋を渡っていきます。
半分開けられた窓から、冷たい風が車内に吹き込んでいましたが、山崎さんは寒そうな素振りも見せません。
「あの、山崎さんは、関西出身ですか?」
「一応、和歌山出身やねんけど、中学出てから此処に越してくるまでは、ずっと京都におってん。秋山君も関西やろ?」
「はい。僕は奈良です」
「奈良か・・・」
山崎さんは、少し興醒めしたように言いました。
京都⇔奈良⇔和歌山間における住民の対立感情というのは、千年以上前に始まり、今でも続いているのです。
「京都でも飲食関係の仕事をされてたんですか?」
「せやな。祇園の料亭に見習いで入って、中畑(仮名)っていう店やねんけど、そこで三年前までやから・・・、トータル十年近く働いとったな」
「で、その後、此処で今の店を始められたんですか?」
「まあ、そうゆうことや」
「この土地を選んだ理由っていうのは何だったんですか?」
「理由?」
山崎さんは、紫煙を吐き出しながら、暫く考えました。
「・・・まあ、色々他にも候補は有ってんけど、店の立地条件とか、値段とかの折り合いもあって、完全予約制で、遠くから金持ち連中が態々食いに来るような、田舎の小料亭っていう感じの場所を探しとったから、この辺はゴルフ場とかも近くに一杯有るし、建物の雰囲気も気に入ったし、・・・まあでも、ゴルフ場が多いっていうのが一番大きかったかな。せや、だから理由は、ゴルフ場や」
山崎さんは、タバコを車外に指で弾き飛ばしました。
「なるほど。ゴルフ場」
「そう。後、食材も抱負やしな」
「食材、ですか・・・。その、取材依頼の電話の時に、言われてた事なんですけど、それは、開店当初からずっとされてることなんですか?」
「せやで。初めっからそのつもりで準備してたし」
「その、準備っていうのは、具体的にはどういったことなんですか?」
「まあ、中国に二ヶ月くらい行って、蛇の味とか、調理方法とか、飼育方法の研究をしたりってところやな」
「・・・はぁ、なるほど」と頷きながら、私は車外の景色を眺めました。車は両サイドを田んぼに挟まれた無駄に新しい道をゆっくりと走っていきます。
「あの、一番疑問に感じてる事が有るんですけど」
「何?」
「その、鰻屋としてでは無く、蛇料理屋として開業する事は考えなかったんですか?」
「無いな」
「でも、露見した時のリスクを考えると、僕にはそっちの方が妥当な案に思えるんですけどね。経済的な利益は分かりますけど」
「いや、別にな、経済的な利益を考えて、そういう店を始めた訳じゃないねんで」
「そうなんですか?」
「何ちゅうたらええかんな。まあ、遊び心半分、復讐心半分っちゅうところかな」
「・・・復讐心、ですか?」
「せやな、まあ、復讐って言うとちょっと大袈裟やけどな」と言って、山崎さんは笑いました。
「その、それは誰に対しての復讐なんでしょうか?」
「誰に?」
山崎さんは、首を傾げながら、暫く考えました。
「・・・あのな、十年以上京都の料亭なんかで働いてると、色々な奴に会うねんな。政治家とか、芸能人とか、大企業の社長とか。まあ、特権階級とかいわれてる奴らや。で、そういう奴らに対して、俺は、ずっと嫌悪感を持っててな」
「嫌悪感・・・ですか」
「権力とか、金持ちに対する僻みっていうのも有るんやろうけど。たとえば、そういう連中と自分を比較した場合、まあ、喧嘩でも大概の奴らには勝てるし、精神的な部分でも、俺が子供の頃に教わった道徳観念とか、慈愛とかを、微塵も持ち合わせてないような、利己的で、ご都合主義で、下品で、男らしさの欠片も無いような奴らが多かったわけよ」
「へぇ。そんなもんですか?」
「全員が全員そうってわけでもないねんけど、大半がそんな奴らやねん。で、そういう俺から見て二流三流の人間が、歴史と自然環境によって作り出された最高級の料理を食うわけよ。それを作ってる側の人間の、月給近い金を浪費してな。だからまあ、誰に対するって言うたら、そういう奴らやな」
「なるほど。そういう人達に対しての復讐心っていうわけですね?」
「半分はな。後は遊びや」
田んぼに挟まれた長閑な田舎道を走ること数分、車は山の麓で左に折れ、暫くいって停まりました。
車の右側には、件の店と思しき小民家風建造物がポツネンと佇んでいます。
「ちょっと車停めてくるから、その入り口のところで待っといて。直ぐ開けるし」
「了解です」
私が車を降りると、山崎さんは荒々しく車を発車。数メートル先に立つ“P↑”という標識が指す細い道に、ドリフト気味のターンで進入していきました。
店には“割烹”という表札が掛かっているのみで、店名を示す看板は無く、外からも見えるように設置された生簀には、細長い生き物が蠢いています。
「もしや・・・」と恐る恐る生簀に近づいた私を迎えた蠢き群の正体は、通常の鰻群でした。
ややあって、入り口の扉が開き、中から山崎さんが顔を出しました。
どうやら店の裏手に駐車場が設けられているようです。
「お邪魔します」という挨拶をしながら店に進入した私を、山崎さんは入って左手の六畳程の和室へと案内しました。
私に上座の席を勧めた後、「ちょっと待っててや。茶淹れて来るし」と山崎さんが部屋を出て行ってしまったので、その間に、私はテーブル上に置かれていたお品書きに目を通させて頂きました。
丼と定食各々の“松竹梅”に1ページ、ビールや地酒等のアルコール類に1ページを費やした計2ページのみの、至ってシンプルなお品書きです。
暫くすると、湯気立つ湯呑みを二つ持って現れた山崎さんが、それらをテーブルの上に置き、向かいの席に座りました。
勧められるままに、私は茶を一口啜りました。
それは、とても美味しいほうじ茶でしたが、かなりの高温で、私の猫舌は軽い火傷を負ってしまいした。
そんな私を横目に、山崎さんは茶をフーフーやるのみで、一向に口をつけようとはしません。
「あの生簀の中に入ってるのは、鰻ですよね?」
前歯で舌を擦りながら、私は徐に切り出しました。
「せやで。鑑賞用やけどな」
「あれを店で出す事は無いんですか?」
「これまでには一回も無いなぁ。まあ、そういう保険的な役目も一応は有るんやけど、今のところは蛇だけで問題無くまわせてるしな」
「なるほど。あとですね、この店のキャパって、どのくらいなんですか?」
「これと同じサイズの個室が一つと、後は二階に十二畳の個室が一つ有るだけやな」
「店は、昼から開けてるんですか?」
「まあ、予約次第やな。要望が有れば朝からでも開けるし、予約無かったら一週間でも閉めてるし」
「ちょっと失礼な質問で申し訳ないんですけど、経済的には、その、やっていけてるんですか?」
「まあ、生活困らん程度にはな。副業でも結構儲けてるし」
「え、副業?」
「本職以外の仕事の事なんやけどな」
「はぁ・・・」
「この店で使わん蛇の内臓部分とかを、加工して売ってんねん」
「それは、ご自分でされてるんですか?」
「いや、そういうのをネットで販売してる業者に卸してる。自分で全部出来たら一番ええねんけど、店頭で売る訳にはいかんし、俺ネットとか全然分からんしな」
照れ臭そうな笑みを浮かべながら、山崎さんは茶を啜りました。
「なるほど」
私も茶を一口啜りました。湯温は少し下がっていましたが、火傷を負った舌は、ヒリヒリと痛みます。
「その、蛇自体の調達はどうされてるんですか?」
「まあ、殆どが狩りと仕掛けやな。一応養殖的な事もしてんねんけど、これが意外と難しいねん。あいつらメッチャ神経質やからな。蛇の交尾を見たら、幸せになれるっていう迷信が有るくらいやし」
「へぇ、初めて聞きました」
「この俺でも、まだ二回しか見た事無いからな」
「かなりレアなんですね。で、その、蛇の性交って・・・、実際、どんな感じなんですか?」
「なんかな、こう、ぐわ~って絡み合ってんねん。ちょうど注連縄みたいな感じで」
「・・・はぁ、何か、想像するだけでゾッとしますね」
「まぁ、実際に見ても、かなりゾッとする光景やけどな」
「ですよね・・・。で、その、狩りとか仕掛けは、山崎さん一人でされてるんですか?」
「せやな」
「結構大変なんじゃないですか?」
「そら初めは大変やったけどな。今はもうコツも掴んだし、ストックも増えてきて、無難にやってるよ」
「なるほど。で、その、捕獲作業は、いつされてるんですか?」
「大体昼間の空いた時間に仕掛けに行って、翌朝見にいく感じやな。まあ、夜行性やから、昼間に出会う事は殆ど無いわ。たまに妊娠中の奴が水辺におるくらいで」
「その妊娠中の蛇も捕まえるんですか?」
「捕まえるよ。店で出さんとほっといたら、五、六匹子供生みおるし、そのまま殺しても、卵は結構高く売れるしな」
「そうなんですか・・・」
「珍味っちゅうやつやね」
「はぁ・・・。で、その捕まえる蛇の種類は決まってるんですか?」
「マムシ」
「のみですか?」
「のみやね」
「でもマムシって毒持ってますよね。捕獲過程で咬まれたりとかは無いんですか?」
「最近は無いけどな、昔は何回かやられたよ」
「え、咬まれた時はどうされてたんですか?」
その質問に、山崎さんは前腕を切開して、口を付けて吸う仕草で応じました。
「えぇ、自分で処置されてたんですか?」
「せやで。何で?」
「・・・いや、何か、凄い、聞いてるだけで、痛そうですし」
「慣れたら大した事ないよ」
「その、衛生的には、大丈夫なんですか?」
「ちゃんとしたやり方でやれば、全然大丈夫」
「その、ちゃんとしたやり方っていうのは、どうやって学んだんですか?」
「色んな人に聞いて、あとは練習」
「え、練習って?」
「わざと咬まれんねん」
「・・・わざと、マムシに、ですか?」
「せやで。でな、咬まれた所を自分で処置してから、医者に診てもらうねん。ほんで、医者がそれ見て完璧な処置やって言いおったから、それからは咬まれても全部自分で対処してる。まあ、咬まれる度に病院行ってたら、店開けてられへんし。実際、その後も、結構な回数咬まれたしな」
「じゃあ・・・」
・・・腕とか傷だらけなんですか?という質問を、私は飲み込みました。トライバルの刺青が眼に入ったからです。恐らく、そのトライバルの下には、無数の傷跡が隠されているのでしょう。
「・・・他の蛇は一切使わないんですか?」
「使わんなぁ」
「それは、味的な問題ですか?」
「せやな。日本の蛇の中では、マムシがダントツで美味いねん」
「へぇ。そうなんですか」
「そう。続いてシマヘビ。一番数の多いアオダイショウが一番不味いな。まあ、だから数が多いんかもしれんけど」
「あぁ、なるほど」
「まあ、いくらマムシが美味い言うても、普通に焼いたり煮たりしたって大して美味いもんでもないけどな」
「なんか、東北地方では、蛇と一緒に米を炊く蛇飯っていうのが、昔はご馳走として食べられてたって聞いたことがあるんですけど、あれもマムシなんですかね?」
「知らん」
「あ、知りませんか・・・」
「飯と一緒に炊いても、あんまり美味いしくないと思うで」
「はぁ。・・・あの、山崎さん自身も、蛇は食べるんですか?」
「食べるよ。味見でな。仕事やし。まあ、お蔭様で毎晩ビンビンやけどな」
「え、あれって、本当に効くんですか?」
「効いて効いて。蛇食いだしてからモテるモテる」
「へぇ、そうなんですか」
「そらそうやんか」
「・・・山崎さんって、結婚はされてないんですか?」
「え、してるよ。この店も嫁と二人でやってるし。今はちょっと出てるけどな」
山崎さんはウンザリした表情で、パチンコのハンドルを回す仕草をしながら言いました。
「パチンコ、ですか?」
「せや。嫁があんなもんやっとったら、俺がなんぼ稼いでも全部ワヤや」
「最近は女の人でも填まってる人が多いみたいですね。女性専用の店も出来てきてるみたいですし」
「え、まじで?」
「はい。この前大阪で見ました。何か、保冷機能付きコインロッカーとか、託児所とかまで設けられてるところも有るみたいです」
「ほんで、主婦とかが通いおんの?」
「そうですね。パチンコする為に旦那に内緒で借金して、それが何百万とかまで膨らんで家庭崩壊とかっていう話も最近良く聞きますしね」
「どアホやな。まあ、そんな女と結婚する男も大概アホやねんやろうけどな」
「かもしれないですね」
「俺もあんまり人の事言える立場と違うけどな」
山崎さんは自嘲気味に笑いながら茶を啜りました。外からは、野鳥の鳴き声が聞こえてきます。
「奥さんとは、この店を始める前からの付き合いなんですか?」
「せやな」
「じゃあ、京都の方なんですか?」
「いや、中国」
「・・・地方、ですか?」
「チャイナ」
「へぇ、そうなんですか。じゃあ、その中国で蛇料理の研究をされてる時に知り合ったんですか?」
「いや、知り合ったんは京都。まだ料亭で働いてた時分やねんけど、中国行く前に中国語の勉強せなあかんと思って、ランゲージエクスチェンジっつうのをやっててんな。知ってる?」
「お互いの母国語を教え合うっていうやつですよね?」
「そうそう。それの相手やった子やねん」
「なるほど。お互い色々教えあっているうちに、っていう感じですか?」
「別にそういうロマンティックな感じじゃないねんけどな。お互いの利害関係とか、後、まあ、酒の力とかもあってっていう感じで・・・」
「はぁ・・・」
「まあ、丁度、向こうのヴィザがどうのっていう問題があったから、ほな結婚しよか?っていう感じやったし」
「へぇ、何か複雑ですね」
「別に複雑なことは無いよ。ようは偽装結婚みたいなもんや。生活上はほんまの夫婦みたいな生活してるけどな」
「なるほど・・・」
「秋山君はどうなん?結婚してんの?」
「いや、まだです」
「まあ、まだ若いしな。遊びたいやろ?」
「いえ、そんなつもりでもないんですけど・・・」
「俺みたいに自分で店でもやりたいって言うんやったら嫁はん貰ったほうが便利やけど、秋山君みたいな仕事してたら、結婚みたいなもんしたところでメリット0やもんな。子供でも出来たら話は別やけど」
「まあ、そうですね」
「なんやかんや言うても、男は自由が一番やで」
「そんなもんですか」
「そらそうやんか」
「・・・あの、お子さんはいてはるんですか?」
「おらんおらん。今出来ても困るしな」
「どうしてですか?」
「そら、こんな仕事いつまで出来るか分からんし、子供出来てしもたら、嫁ともほんまもんの夫婦になってしまうがな」
「でも、山崎さんは男性やからともかく、奥さんの年齢とかは大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。まだ全然若いし」
「え、おいくつなんですか?」
「二十四や」
「えぇ、二十四?」
「せやねん。だからまだ全然焦ること無いねん。お互いいつ気が変わるかもしれんしな」
「・・・なるほど」
「で、秋山君は、彼女もおらんのか?」
「いないです」
「なんでや?」
「なんでなんですかね・・・」
「どんくらいおらんの?」
「もう、半年近くになりますね」
「へぇ、欲しないの?」
「欲しいんですけど、中々出来ないんですよ」
「そっかぁ。まあでも、ああいうもんは縁次第やからな。作ろ思て出来るもんちゃうし。まあ、うちの丼毎日食うとったら、直ぐに出来る思うけどな」
「え、どうしてですか?」
「そらそうやんか。女なんかな、やれ金や、顔や、言うとるけど、なんだかんだ言うて、アレ次第やねんから」
「はぁ。なるほど、そんなもんですかね」
「当たり前やんかぁ。・・・っちゅうかさ、何か秋山君って呼ぶのも堅苦しいし、カルマって呼んで良い?」
「あ、はい。全然、呼んでください」
「え、自分さ、カルマって、それ本名なん?」
「いえ、ペンネームです」
「ほな本名は何ていうの?」
「真之介です」
「秋山?」
「はい」
「へぇ。秋山真之介かぁ。良い名前やんか。ほな真之介って呼ばせてもらうわ。ええか?」
「・・・はい。全然大丈夫です」
「秋山君も俺のことヤスオ(仮名)って呼んでくれたらいいし」
「いや、それは、ちょっと」
「何で?全然良いねんで」
「いや、僕的には、山崎さんって呼ばせてもらってるほうが落ち着くんで」
「え、そうなん?まあ、それやったらええねんけど」
私は愛想笑いを保ったまま、お茶を啜りました。
「・・・で、その、奥さんは、こういう店を開くことには賛成されてたんですか?」
「してないしてない。あいつは普通の店をしてほしいって今でも言うとるわ」
「そうなんですか?じゃあ、それを説得して始められたわけですね」
「説得も何も、あいつは俺に逆らえるような立場と違うからな。俺に何かあったら、あいつは中国に帰らなあかんようになるわけやし」
「どういうことですか?」
「そういうカラクリが有るんよ。まあ、だからこれまであいつがこの店の秘密を世間にバラすことも無かったんやと思うけどな」
「なるほど」
「いや、別に縛り付けてるわけじゃないねんで。あいつが自分で選んでる事やし。俺は、ちゃんとあいつが趣味に興じられるだけの小遣いもやってるわけやしな」
「・・・その、山崎さんのご両親は、知ってるんですか?」
「何を?」
「この店で蛇を出してるっていうことなんですけど」
「あぁ、知らんな」
「店に来られたことも無いんですか?」
「有るよ」
「有るんですか?え、じゃあ、その時、ご両親にも蛇を出されたんですか?」
「え、出したよ。何で?俺は別に鰻料理とは一言も言ってないしな。嘘は吐いてないで」
「・・・ご両親の反応はどうやったんですか?」
「美味い!って言うとったで。これは何処産の鰻や?って聞いてきおったから、裏山産のマムシや!って正直に言うたったんや。まあ、二人とも笑っとったけどな」
笑顔でそう言う山崎さんを見て、私は寒気を感じました。
「・・・味、なんですけど、マムシと鰻ってそんなに似てるもんなんですか?」
「元々はそんなに似てるもんじゃないねんけど、調理次第ではかなり近いもんには出来るよ。まあでも、並べて食べてみたら流石に分かるやろうけどな。食感は技術でどうにでもなるけど、風味はなんともならん部分が有るからな」
「そうなんですか」
「せや。まあ、後で真之介にも食わしたるやんか」
「・・・あ、はい」
胃の底から込み上げて来るものを押し返すように、私は生唾を飲み込みました。
「あとですね、ちょっと気になってるんですけど、何でこういう取材を受ける気になられたんですか?」
「う~ん。なんでやろなぁ?まあ、思い付きっちゅうか・・・」
「でも、万が一、この店ってバレてしまったら大変じゃないですか」
「・・・まあ、別に最悪バレても良いとは思ってんねんけどな」
「え、そうなんですか?」
「せやで。むしろ、皆に知って欲しいくらいやな。金持ちとか食通とか言われてる奴らが、鰻と蛇の違いも分からんと、美味い美味いっちゅうて丼頬張ってんねんで。真之介にも一回見せたりたいくらいやわ」
「それはまあ、この取材で世間に知れることにはなるでしょうけど・・・」
「まあでも、三年もこの商売やってきて、経済的にも安定してきてんけど、何かそれだけじゃ物足りんようになってきてんやろな」
「いや、でもね、もしこの店っていう事がバレたら、店の存続云々だけじゃなくて、山崎さん自身が詐欺罪とかで罪に問われてしまうんじゃないですか?」
「それは無い」
「無いんですか?」
「無い無い。蛇食わして何で犯罪なるんよ?」
「いや、でも鰻と称して出してるわけですし」
「称してないよ」
「え?」
「この店の何処探しても鰻っていう文字無いがな」
そういえば、先ほど拝見したお品書きにも、丼、定食と書かれているのみで、鰻という文字は一文字も有りませんでした。
「だから、皆が生簀を見て勘違いしただけやっていう言い逃れも、理論的には可能なんよ。あれは、バーで飼われてる熱帯魚みたいなもんですぅ、言うてな」
「でも、口頭で言われた事も無いんですか?客に何処産の鰻ですか?って聞かれたりして」
「無いよ」
「・・・はぁ」
「産地は国産ってこと以外は基本的に秘密ってことにしてあるし、しつこい客には、裏山で捕れましたってちゃんと言ってるしな。まあ、大概は笑って終わりやけど」
「じゃあ、最悪全部露見しても、山崎さんが罪に問われる事は無いんですね?」
「多分な。蛇を許可なしで飼育してるって事くらいちゃうか」
「それは罪になるんですか?」
「って聞いた事有るけどな。まあ、どっちにしろ、バレた時のことはバレた時に考えるわ。ひょっとしたら、三年間も鰻として通用してた蛇料理屋っちゅうことで、大人気になるかもしれんしな。最悪の場合は、中国に逃げたらええだけの話やし」
山崎さんは座椅子の背もたれに反り返って手を伸ばし、大きな欠伸をしました。極太の両腕に力が入り、トライバルの無い部分に太い血管が浮き上がります。私は誘われ欠伸を飲み込む為に、お茶を飲み干しました。
「で、他には?」
欠伸まじりに山崎さんが言い、私はポケットからメモ帳を取り出して、予め考えておいた質問リストを開きました。
リストアップされた質問の内、半数近くは、既にこれまでの問答で答えが出ているものでした。
「あ、あのですね、これまでの三年間で、その、真剣に疑われた事は無いんですか?」
「無いなぁ。多分、中畑で長年修行してたっていう肩書きに皆安心しきってんねやろな。客の半分くらいは中畑からの紹介客やし」
「その、中畑で一緒に働いてた人達が食べに来られたことは無いんですか?」
「無い。何かと理由つけて断ってる。こっちから差し入れで普通の鰻持って行った事は有るけどな」
「やっぱり料理人の方が食べたら分かると思います?」
「一般の料理人が食いに来た事は何回か有るよ。でも大丈夫やった。まあ、真之介も後で食べたら分かるやろうけど、奇跡的に似せて作ったあるしな」
「じゃあ、客にバレるんじゃないか?っていう不安とかは特に無いんですね?」
「初めのほうは多少あったけどな。最近は無い。逆に誰かそろそろ気付いてくれよ!って思ってるくらいやわ」
「じゃあ、一回も危なかった事は無かったんですね」
「俺の知ってる限りは無いなぁ。あれ?って思った連中も中にはいてるやろうけど、日本人ってほら、イチャモンとかあんまりつけへんやん。よっぽどの確証が無い限りさ」
「確かに。そうですね」
特に、山崎さんのような人にイチャモンをつけるのは、かなりの勇気が必要とされます。
「あと・・・ですね。罪悪感とかっていうのは無いんですか?」
「無いなぁ」
「・・・全く、ですか?」
「全く。俺無宗教やしな。そら最低限の道徳とか美意識みたいなもんは持ってるけど、俺が今やってる事って、その範疇外やんか」
「どういうことですか?」
「ようは、良く言うやん。人殺しは戦争中には肯定されるけど、平時にやると罰せられるって」
「・・・はい」
「そういう事よ」
「あの、すみません。もうちょっと詳しくお願いします」
「だからな、鰻と思わせて蛇を食べさせる事って、見る方向とか、食べる人間の立場次第で、良いことにも悪いことにもなるやんか。それは分かる?」
「はい。何となくですけど」
「でな、そういう事って世の中に一杯あって、自分以外の人の問題やったら、それを取り上げて、善とか悪とかって判断するけど、自分自身の問題やったら、その判断はせえへんわけ」
「どうしてですか?」
「え?やってもしゃあないやん。大体、判断つけようにもつかへんしな。善とか悪とかの基準ってさ、自分自身の問題になってしもたら、全然分からんようならへんか?」
「いや・・・、僕は結構判断つけてしまうほうですけど」
「しんどない?」
「しんどいとかっていうのは、あまり考えた事が無いですね」
「そうなん?まあ、とにかく俺は自分事に対しては、ひたすら受け入れるだけやねん。良いも悪いもなく。まあ、俗に言う運命論者ってやつや。人の事には結構厳しいけどな」
「・・・山崎さんって、変わってますよね」
「まあ、よう言われるけどな」
山崎さんは微笑で粗茶を啜りました。
「あと、将来の展望とか、何か有あれば、聞かせてもらえないですか?」
「将来の展望なぁ・・・。特に無いなぁ」
「この店をどうされていくかっていうのでも良いんですけど」
「全然考えてないなぁ。死ぬまでやるかもしれんし、明日閉めるかもしれんし。まあ、何か他の事するにしても、もう飲食関係はやらんやろうけどな」
「そうなんですか?」
「そらもう人生の半分この世界で生きてきたしな、次何かやるんやったら、そろそろ他の事したいなって思うよな」
「なるほど。例えばどんな事ですか?」
「そらその時なってみな分からんけど、何か、人から注目を浴びるような仕事がええな。人前で何かやるような」
「プロレスとか、ですか?」
山崎さんの体格から、それ以外には思いつきませんでした。
「プロレスはええわ。頭悪く見られそうやし」
「・・・まあ、多少そんなイメージも有りますけど。でも、山崎さん凄い体してますよね。鍛えてはるんですか?」
「あぁ、これ?やってるよ。駅の近くにジムとプール付きの養護施設があってな、そこに通ってる」
「へぇ、市民に開放してるんですか?」
「せや」
「無料ですか?」
「いや、でも安いで。一回百円」
「へぇ、安いですね」
「まあそのかわり、キチガイと一緒に使わなあかんけどな」
「それは・・・、大変そうですね」
「始めは鬱陶しかったけどな。もう慣れたわ」
「何か他に趣味とかって有ります?」
「趣味なぁ・・・。まあ、後は、ギターくらいかなぁ」
「あぁ、良いですね。バンド活動とかされてたんですか?」
「いやいや、前の職場の奴にちょっと教えてもらったくらいで。まあ、皆でスタジオ入って演奏して、それを録音したこととかはあるけどな。コピーやけど」
「へぇ。どんな感じの曲を演奏されたんですか?」
「古い日本のパンクロックやな。スタークラブっていうバンドやねんけど、知ってる?」
「いや、知らないです」
「まあ、知らんやろなぁ」
「あんまりパンクとかは詳しく無いんで・・・」
「真之介は、楽器とかしてないの?」
「いや、僕は全くしてないですね」
「そっかぁ。何か、やってそうな雰囲気あるけどな」
「興味は有るんですけど、機会が無かったですね」
「何か趣味とか無いの?」
「趣味ですか?まぁ、麻雀くらいですかね」
「麻雀かぁ。俺も昔はやっとったけどな。何、フリーとかでもやんの?」
「いや、仲間内でしかしないですね。フリーでも何回かやったことはあるんですけど、やっぱり知り合いとやってるほうが何かと楽しいんで」
「まあ、せやな。あれは気使わん奴らとやんのが一番やな」
「はい」
「ほんで、真之介は何か将来の目標とかあんの?」
「そうですね。僕は今の仕事を結構気に入ってるんで、こういう仕事を続けながら、いつか小説とかも書いてみたいですね」
「小説な。でも、あれで食っていくんも結構しんどいやろ?」
「よっぽど売れっ子にならないと厳しいみたいですね」
「中畑で何回か小説家に会った事あるけど、意外に陽気な奴が多いな」
「え、誰に会いはったんですか?」
「いや、田町(仮名)とか、島中(仮名)とかな」
「あぁ、なるほど。陽気そうですね」
「ほんで何かしらんけど、人前ではしゃいでる芸人とかが、反対に陰気臭かったりすんねんな」
「芸人は誰に会われたんですか?」
「芸人は特に誰とも会ってないけどな」
「・・・そうなんですか」
「ほんで?真之介は、どんな小説書こうと思ってんの?」
「そうですね・・・。今考えてるんが、親子の乞食の話なんですけど、主人公がその親子を盗撮するところから始まって、最終的には、インタビュー的な事をするんですけど・・・」
「何のために?」
「その、主人公は、ドキュメンタリー映画を撮ろうとしてるんですよ。で、彼は凄い差別的な嫌な人間で、その乞食の親子を徹底的に馬鹿にしながら彼らを撮っていくんですけど、本当は彼らの方が心根の優しい、良い人間で、ようは、人間、何が幸せか・・・みたいな話なんですけど・・・」
「なるほどな。まあ、ちょっとありそうな話やけど、面白いんちゃう」
「・・・はぁ、ありがとうございます」
「で、他に質問は?」
メモ帳を見ると、リスト上の質問は、既に尽きてしまっていました。
「もう、特には・・・」
「無い?ほなちょっと食材見に行こか?」
「え、・・・あ、はい」
私は反射的に顔を顰めて頷きました。
「何?蛇、嫌いなん?」
「あんまり、好きじゃないですね」
「ほんまにぃ。ほなやめとくか?」
「いや、それは、一応、仕事なんで」
「ほうか。まあ心配せんでも大丈夫やで。全部牙は抜いてあるし、最悪生え変わった奴に咬まれても、俺がちゃんと処置したるしな」
「は、はい。有難う御座います」
その処置に、トライバルの刺青も含まれているのかどうか、私は聞くことができませんでした。
和室を出ると、山崎さんは入り口から外に出て行きます。私は無言で後に続きました。
「全部家の蔵で保管してんねん。こっから歩いて三分くらいの所やねんけどな」
そう言って入り口の鍵を閉めると、山崎さんは駅から来た方向とは逆方向へ歩き出しました。
道は緩やかな坂道で、右サイドが森、左サイドには草の生い茂った死田が並んでいます。日も大分傾いていて、来た頃よりも若干肌寒くなっていましたが、山崎さんは相変わらずの格好です。
「結構ええところやろ?空気も良いし」
「はい。大阪みたいな所から来ると、特にそれは感じますね」
「せやろ。やっぱ人間はな、こういう水と空気の綺麗なところで暮らさなあかん」
「山崎さんは、元々田舎の出身なんですか?」
「まあ、せやな。奈良程田舎では無いけどな」
「は、はぁ・・・」
戦争が無くならない理由が、少し分かった気がしました。
「おう、もう見えるわ」と山崎さんが言うので顔を上げると、森の中に、古い平屋の家と、その右奥に少し離れて、これもかなり年代物の蔵が建っていました。総敷地面積は三百坪程でしょうか。
「はぁ、立派な家ですね」
「古いけどな。住むには支障無いわ」
「買われたんですか?」
「せや。只みたいな値段でな」
「良いですね。庭も広いですし」
「あ、ちょう待って!」
前庭を横切って蔵の方に向かっている道中、急に足を止めた山崎さんが、口の前で人差し指を立てました。“シー”のポーズです。
何事かと足を止めて固まっていると、山崎さんが母屋と蔵の間を指差します。その方向に目をやると、なんと、蛇がトグロを巻いていました。
石の様に固まっている私をその場に残して、山崎さんはゆっくりとトグロに歩み寄って行きます。
西に傾いた日に照らされて、トグロ上の三角頭は、不気味に光っています。
山崎さんがトグロから2メートル程にまで近づくと、トグロは「シャーッ、シャーッ」という威嚇の声を上げました。
そんな威嚇にも負けず、1メートル程にまで近づいた山崎さんは、そこからダッシュ一発。トグロに向けてダイブしました。
「うわっ!」と叫んで目を覆っていた私が、恐る恐る目を開けると、既に立ち上がっていた山崎さんの右腕に、蛇が絡み付いていました。
蛇の頭部は、しっかりと山崎さんの手に掴まれています。
「真之介、これでそこの倉庫開けて」
左手で短パンのポケットから取り出した鍵束を振りながら、山崎さんは倉庫の方へ歩いていきます。
しかし、私の足は全く動きません。
あの蛇の仲間が、近くの茂みに潜んでいるのではないか?という恐怖に襲われ、竦みきっていたのです。
「おい、何を固まっとんねん」
山崎さんに叱咤されて、私は強張った体を震わせながら、何とか倉庫の方へと前進しました。
「この一番小さいやつや」
漸く倉庫前に辿り着くと、片手に蛇を巻き付けたままの山崎さんは、そう言って私に鍵束を手渡します。出来るだけ蛇を見ないようにしながら、私は鍵を受け取ると、扉の南京錠をもたつきながら開錠しました。
「あ、開きました」
「戸も開けて」
「は、はい」と返事をして、一つ大きな深呼吸をした私は、震える両手を古い扉の取っ手にかけ、左右に開きました。
俯き加減の私の顔に、蔵の中から冷たく生臭い風が吹き付けてきます。
その風に顔を顰めながら扉を開ききった私の眼に飛び込んできたのは、上下、左右に積まれた水槽の山でした。
薄暗い蔵の中で、水槽内の細長い生き物達は、不気味に蠢いています。私は自分の体温がサーッと下がるような感覚に襲われました。
入り口で棒立ち状態の私を押し除け、蔵の中に入った山崎さんは、入って直ぐの壁際に掛けられていた手ぬぐいを手に取り、右手に絡まったままの三角頭の顎を両側からギュッと押さえて牙を剥き出しにさせると、口の中に手ぬぐいの端を入れ、上向きに引っ張りました。すると、三角頭の上あごの牙は、布地に引っ掛けられて、綺麗にもぎ取られます。
私は床に転がった二本の牙を呆然と眺めていました。
「よし、これで大丈夫」
手ぬぐいを元の場所に掛けた山崎さんは、その横のスイッチを押して蔵の電気を点けました。明るくなった蔵の中の光景は、一層不気味です。
「どや、こんなん見た事ないやろ?」
笑顔で言いながら、山崎さんは近くの水槽を開け、牙を抜かれた蛇を振りほどいて放り込みました。
「無い・・・ですね」
「なんや、青褪めた顔して」
「いや、何かちょっと、圧倒されてしまって」
「気持ち悪いやろ?」
「はい。正直」
「まあ、じき慣れるわ」
山崎さんはポケットからショートホープを取り出し、口に銜えて火を点けました。
「いるか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
入り口に立って数十匹の蛇を眺めながら、私がショートホープを吸っている間に、山崎さんは水槽内の蛇達を観察して回りました。
「これなんか良さそうやなぁ」
床に煙草の灰を落としながら、ニヤけ顔の山崎さんは、三角頭の細長い生物を選定していきます。
「真之介、自分で選ぶか?」
「いや、お願いします」
「じゃあ、これにしよか」
一つの水槽を持って戻ってきた山崎さんは、入り口脇に転がっていたボストンバッグにその水槽を入れました。
「ちゃんと全部見んでええんか?仕事やろ?」
「いえ、もう十分です。ありがとうございます」
「ほうか、ほな戻ろか?」
「あ、はい」
ボストンバッグを軽々と担ぎ上げた山崎さんに続いて蔵を出ると、外は夕暮れ色に染まっていました。
「ほなちょっと作ってくるから、さっきの部屋で待ってて」
店に戻ると、山崎さんがボストンバッグを振りながら言いました。
「あの、調理過程も見させてもらいたいんですけど・・・」
私はプロ意識を振り絞って言いました。
「いや、ちょっとそれは勘弁して。作ってるところは誰にもみせられへんねん。俺が研究に研究を重ねて編み出した究極の調理法方やからな。無形資産っちゅうやつや」
「そこを何とかならないですかね」
「ならんなぁ。こればっかりは」
「そうですか・・・」
断固たる態度の山崎さんに残念そうな表情を向けながら、内心、私はホッとしました。
「ちょっと時間かかるけど、酒でも飲みながら待ってて」
ボストンバッグと共に奥へと消えた山崎さんは、暫くするとビンビール二本とグラスを持って和室に戻ってきました。
「まあ、適当にやっといてや」
「あ、すみません。ありがとうございます」
究極の料理が出来上がるのを待っている間に、厚かましくもビールを頂戴しながら、私はメモ帳に今回の取材を整理していきました。
もうここまででも十分成立しているのでは?等と初めは逃げ腰だった私ですが、酒と取材の整理が進むに連れて、“蛇丼”に相対する心構えは、構築されていきました。
丁度私が腹を括った頃、お盆に丼とお椀を載せた山崎さんが個室に現れ、それをテーブルに置きました。
「スマンな、待たせて。意外に暴れおってな」
「・・・いえ、丁度、取材の整理が出来て良かったです。ビールも頂きましたし」
「ビールもっといるか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「ほうか。ほなまあ、冷めへんうちに食うてや」
「は、はい。じゃあ、早速いただきます」
私は服の上からネックレストップを握り締め、一つ深呼吸をした後、まずお椀の蓋を取りました。
「あの、これは?」
「それ?ただのお吸い物や」
「じゃあ、これには入ってないんですか?」
「見たら分かるがな」
「じゃあ、とりあえず、これから」
お吸い物は、通常の、良いお味です。
火傷を負った舌が、少しだけ痛みました。
「美味しいです」
「そらそうや。早よ丼いかんかい。それを食いにきたんやろ?」
「は、はい」と歪な笑顔で応じながら、私は気合を入れ、丼の蓋を開けました。
「み、見た目は普通のうな丼ですね」
「当たり前やがな」
「じゃあ、い、いただきます」
「はいよ。よろしゅうお上がり」
私は、心中“ヘビーやな”などという拙い駄洒落を唱えながら、震える手で蛇丼を口に運びました。歪んだ表情で、ゆっくりと咀嚼する私を、山崎さんは微笑で見つめています。
「・・・え、あれ?めっちゃ美味しいですよ!」
一口目を飲み込んだ私は、思わず叫びました。本当に、美味しかったのです。
「当たり前やないか」
山崎さんは、満足気な表情です。
「いや、ほんまに。この味といい、食感といい、完全に鰻そのものですよ」
「な、分からんもんやろ?」
私は二口目を口に運び、一口目と変わらぬ感動を得ました。
「いやいや、これは凄い!」
「だから言うたやん」
「これがほんまにさっきの蛇なんですか?」
私は三口目を咀嚼して言いました。
「ここで普通の鰻出してどないすんねん」
「いや、でも、本当に、信じられないですね・・・」
「残骸持ってきたろか?」
「いや、そ、それは結構です」
「良う噛んで食えよ」
「は、はい」
結局私は、蛇丼を完食してしまいました。
「ごちそうさまです」
「おう」
「いやぁ、本当に凄いですねこれは。一種の芸術ですよ」
「ちゃんとうな丼やったやろ?」
「はい、最初の一口から最後の一口まで、完全にうな丼でした。しかも上等の」
「せやろ」
山崎さんは微笑で頷き、冷めた茶を啜りました。
「で?もう取材はこんなもんか?」
蛇丼の余韻に浸りながら、お茶を啜っていると、山崎さんが時計を見て言いました。
「あぁ、・・・はい。そうですね」
「まあ、ほな後は、真之介の好きなように書いてくれたらええし・・・」
「本当にありがとうございます。また、原稿出来たらチェックだけしてもらいに来ますんで」
「いや、チェックとか別にええよ。そんなもん、俺が読んだってしゃあないし」
「でもそれは一応・・・。これは書かれたらマズいっていうような所も有るかもしれないですし」
「無い無い。真之介の好きなように書いてええよ。雑誌が出ても俺はどうせ読まんし」
「え、そうなんですか?雑誌自体も一応送らせてもらうつもりなんですけど」
「いらんいらん。そんなもん、照れ臭ぁてよう読まんわ」
「いや、でも一応ですね・・・」
「いらんて。何でも好きなように書きいな」
「・・・そうですか、分かりました。じゃあ、そういう方向でやらせて頂きます。ただこういう場合ですね、ここで一筆貰っておかないと、後で問題になったりしても困りますんで」
「何や、面倒くさいのう」
「すみませんけど、お願いします」と言って私が差し出した紙に、山崎さんは“私サイドからの原稿チェックは必要無し。原稿については、秋山カルマ君に全権を任せ、後で文句も言いません”と認めて下さいました。
「後、ここにサインだけお願いします」
「はいよ」
「ありがとうございます」
「はいはい。お疲れさん。ほな駅まで送るわ」
「あ、すみません。お願いします」
店の外に出ると、日はどっぷりと暮れていました。
「これからまだ仕事か?」
車に乗り込むと、山崎さんが言いました。
「いや、今日はもうこれで終わりです」
「良かったやんか。風俗でも行ってきたらええねん。マムシパワーを実感しに」
「・・・風俗は、僕、あんまり好きじゃないんですよ」
「え、風俗が?」
「はい」
「変な奴やな。何が気にいらんねん?」
「いや、まあその、お金を払って女性とそういう行為をするっていう事にちょっと抵抗が有るんですよね」
「金払わんとSEXしてしもたら、その後が面倒でしゃーないがな。金払ってやるから、後腐れ無く楽しむ事が出来るんやで」
「まあ、そう言われればそうなんですけど」
「村花(仮名)とかいう作家も言うとったで、女は金で買うもんやって」
「山崎さんは、風俗には結構行くんですか?」
「俺か?俺は風俗はあんまり行かへんな」
「・・・そうなんですか?まあ、若い奥さんがいますもんね」
「いやいや、そういう事じゃなくて、俺はもっぱら援交や」
「え、援交?」
「せやで」
「女子高生とかですか?」
「せやな。最近は中学生ともやったけどなぁ」
「・・・中学生。・・・僕そういうのは、絶対、駄目ですわ」
「何が駄目やねんな?」
「何か、痛々しいっていうか、まだ風俗とかは、分別のついた歳の子達が生活の為とかにやってるっていう感じがしますけど、高校生とか、ましてや中学生なんて、絶対無分別に小遣い欲しさに軽いノリでやってるだけじゃないですか」
「けったいな事言う奴やな。援交も風俗も大差無いがな。ようはギブアンドテイクや。中学生も大人も関係あらへん。やる奴は幾つでもやりおるし、やらん奴は死ぬまでやらん」
「いや、そうかもしれないですけど・・・」
「生まれつき軽薄な女を、スケベな男が金を払って抱く。至って健全な話や」
「生まれつきっていうより、やっぱり親の教育とか、家庭環境とかのせいで、情緒不安定な子が、そういう援交とかに走ってしまってるんじゃないですかね」
「関係あらへん」
「無いですか?」
「無いな。大体、俺はそういう何でも親とか家庭環境のせいにするような風潮は気に入らんねん」
「そうなんですか?」
「二三年前に、真之介と同じ歳くらいの奴が、秋葉原で無差別殺人やりおったやろ」
「はい」
「あの時もな、ニュースとか見とったら、どこぞの大学教授みたいな奴が、全部親とか学校の教育のせいにしとった。ある意味、犯人も被害者やってな」
「はあ・・・」
「でも親のせいとか言い出したら、それは永久に遡っていかなあかん話になるやろ?」
「まあ、そうですよね」
「問題からの完全な逃避にならへんか?」
「なり・・・ますね」
「せやろ。後な、自分が何か悪いことしてしもた時に、こんな風に僕を育てた親が悪いんです、って言うか?」
「まあ、言わないですね」
「だから様はな、親が悪いとかっていうのは、日和見主義の傍観者が詠う、究極に不毛な理論なわけよ」
「なるほど・・・」
山崎さんのお話を理解しようと頭で転がしているうちに、駅に到着してしまいました。
「ほなまあ、お疲れさん。気つけてな」
山崎さんは、運転席から、笑顔で右手を差し出し、私はその手をギュっと握り返しました。
「はい、ありがとうございます。ご馳走様です」
「おう、またな。小説も頑張りや」
「はい。頑張ります」
山崎さんが車を発車させる気配が無かったので、私は二度三度頭を下げてから、駅の券売機に向かい、切符を買って改札を抜けました。
プラットホームに上がると、駅前には未だハイエースが停車中で、運転席の山崎さんは、誰かに電話をかけている様子でした。
電車を待ちながら、しばらくそのハイエースを見下ろしていると、パチンコ屋から出てきたミニスカートの若い女性がハイエースに近づき、助手席に乗り込みました。その女性は運転席の山崎さんに抱きつき、キスをしました。山崎さんは、それを邪険に振り払って、車を発車させました。
日の暮れたプラットホームから、ハイエースの消えた駅前を見下ろしていると、何か、夢世界から現実世界に置き去られたような哀愁を感じました。
さて、次回の“突撃、潜入ルポ!”は、国内で行われている女囚売春のレポートをさせていただく予定です。
どうぞ、お楽しみに。
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